義仲ものがたり 第5話
~信濃源氏・長瀬義員が見た義仲~
■第4話のあらすじ
頼朝が伊豆で北条氏と平氏に与する武士たちに敵対心を持ち、挙兵のタイミングをうかがっていたころ、信濃国では安曇郡の仁科氏が建立した仏像の開眼供養で国中の武士が集まり盛り上がっていた。義仲も招かれており、小県郡に住む妻・海野の姉様やその親族・滋野一族と久しぶりに再会した。行事が終わり、共に小県に向かっていたところ、善光寺と関り深い武士・栗田氏の伝令から、信濃国が誇る大寺院「善光寺」の炎上の知らせを受ける。様子をうかがうため、海野の姉様・巴・長瀬・楯がわずかな部下のみを連れて善光寺平へ向かうことになった。義仲は根井ら滋野一族と依田城へ戻り、戦を見据えた準備を整えることにした。
■主な登場人物
木曽義仲(今回出番なし)
巴 中原兼遠の娘。義仲と共に育つ。最近は義仲の子・高寿丸の養育係
海野の姉様 義仲の妻。滋野党を率いる女傑。15歳年上。巴の武芸の師
長瀬義員 木曽義仲に信頼されている信濃源氏。気が小さい。
楯六郎親忠 滋野党の若手。
手塚光盛 諏訪社大祝の弟にして諏訪神党のリーダー。巴の保護者。
水内に向かう姉様、巴、長瀬、楯は、それぞれ馬にまたがりゆっくり歩ませつつ、おしゃべりが止まらない。血相を変えた使いが来たわけだし、急いで向かうべきところなのかもしれないが、姉様の体調が今一つであること、また何者かが滋野一族の動向を監視をしているおそれもある。そのため、のんきに一族と離れて「善光寺詣に向かっている女子旅とそのお供」を装っているつもりなのだ。ちなみに使いは報告を終えるとすぐ栗田氏のもとへとんぼ返りしている。
「えーっと、仁科様のお寺には北信濃から栗田様のほかに誰か来てた?」
巴が思い出しながら長瀬に話しかけた。
ヒッ…あまりに飯がうまくて人の顔をあんまり見てなかった。
俺としたことがああああ…
ちらりと巴を見ると「頼りにならねぇな」と顔に書いてある。
なんだよー
巴殿もわからないから俺に聞いてんだろぉ…!
「うーん…姉様!お分かりになりますでしょうか?」
長瀬は華麗に会話の球を姉様に投げた。
「善光寺武士団の栗田様、笠原牧の笠原様が来訪されていた。
わたくしもご挨拶させていただいたが、親しげに談笑されていたな。」
相変わらず姉様はキリっとしている。言葉を交わした長瀬は自然と背筋が伸び、ちょっとカッコつけてつづけた。
「そう…北信濃といえば、私と同じ信濃源氏の…
村上様などがいらっしゃっていなかったデスね」
姉様っ俺も義仲様と同じ、源氏っス!!!
キメ顔だ。
「まっ…まさか仁科様が平氏を名乗っているからぁ!それでぇ?」
巴が大声で長瀬のカッコつけをさえぎる。
姉様がなるほどという表情で巴を見る。
「それを言うなら、平氏を名乗っている吉田殿や北信濃の武士は誰もいませんでしたよ」
先頭を進んでいる楯が振り返って言った。
「じゃあ源氏だ平氏だは関係ないかぁ。」
巴は予想が外れがっかりした声を上げた。
「意外と…善光寺…」
長瀬が言いかけたとき
「…!」
楯が立ち止まり、手を広げて一行を制止させた。
「少し先の大木の影、なにかが揺れました」
楯が矢を構えて慎重に近寄ると、黒い影は全速力で突進してきた。
馬が驚き、影をよけたため、楯の矢は思いもよらぬ方向へ飛んだ。
熊だ!
「ヒイッ!!!」
長瀬が恐怖のあまり目を閉じている間に、熊は海野の姉様に近づく。が、姉様は冷静に弓を両手で握り、その先端で熊の顎下をつき、勢いを止めた。そこに馬から飛び降りた巴が駆け込み、熊を抑え込むや否や首の骨をゴキンと折った。
「くっくっくくくび…くま…ほげえぇええ!」
だいぶ大人になったはずの長瀬だが、首があらぬ方向を向いている熊を見て、少年のように驚いている。何度見ても、見慣れないらしい。巴はその熊を投げ捨てようとした。
「巴。熊は長瀬に持たせなさい。」
「…?…」
巴は疑問に思ったが言われるまま長瀬にぽいと投げつけた。
「うわあぁなんでええぇぇぇ」
「馬で運ぶのです。」
「なんででえええぇぇ」
熊は仕留められたばかりでしっとりと温かい。
「それは子熊。もう一頭くるやもしれぬ。」
まじですかあああああああ
姉様の凛とした声に、長瀬は悲鳴を上げた。声に出さずこころの中で。その点、大人になったといえるのかもしれない。
犀川と千曲川の結節点に広がる河原にはたくさんの人々が集まっていた。川を越えた先にあった善光寺、今は煙がくすぶるばかりだ。
渡る手段を持たない人々は、心配そうにあるいは好奇心でうろうろと様子を見ている。
峠を越えてきた姉様一行が河原に差し掛かると、人々は自然に道を開けた。長瀬の馬には大きな熊と小さめの熊が括り付けられている。姉様と巴は左右に鳥をぶら下げ、獣の血の匂いに満ちていたからだ。
渡し舟は出はらっていた。
姉様が小さなため息をついていると、楯が千曲川の上流を眺めて言った。
「姉様、手塚様がこちらに舟で向かっています」
「えっ?楯、俺には何も見えないぞ」
長瀬が一生懸命目を凝らすが、小さな点が見えるだけだ。だんだんそれが舟の形になり人影が見えてきた。
「うっそ!ほんとに光盛よ!」
巴が驚く。しかし手塚の方は気が付かないのか通り過ぎてしまいそうだ。
やにわに姉様が弓を構えた。
ピュウウウウン!
矢が笛のような音を鳴らしながら飛び去る。鏑矢だ。
手塚が率いる小舟の集団は進路を変え、姉様の一行の前に乗り付けた。
「光盛!ちょうどよかった!」
巴が嬉しそうに近づくと、手塚は微笑み、すぐ姉様に目を向けた。
「私の方にも伝令が参りまして、舟のほうが早いかと、千曲川を下ってまいりました。」
「さすが光盛殿。乗せていただけるか?」
「もちろん」
小舟は姉様一行を馬ごとのせ、川をさらに下っていく。
善光寺前から東へ進んだ村山のあたりには煙のにおいが立ち込め、河原に火事から逃げてきたのか、すすで黒ずんだ衣を着た人々がおびえた様子で寄り固まっている。
「…」
思わず巴は息をのんだ。予想以上にたくさんの人が焼け出されたことが見てて取れたからだ。手塚、長瀬は知った顔がないか目を凝らすが、黒い塊にしか見えない。楯が言う。
「中央あたりに、直垂を着ている方が、2…3…5人ほど。一人は仁科様のお寺でお会いしたような…」
「栗田様だな」
姉様にこづかれて、長瀬が叫ぶ
「栗田様あああああ!!!!!」
黒い人々の間を縫って進み出てくる影が見える。直垂だったはずの衣はところどころ火の粉をかぶったのだろうか、穴が開いてボロボロになっているのが遠くからでもわかった。
「…! ゲホゲホ!」
大きく手を振ったかと思うと、その人影は咳き込んでいる。
手塚はひらりと舟から浅瀬へ降り、そのまま人影に近づいた。やはり栗田らしい。ひとしきり話した後。手塚が舟にいる部下に手を振った。部下も次々と救援物資を手に浅瀬へ降りていく。
「我らも参る」
姉様の指示で、長瀬・巴は熊や鳥を馬にぶら下げて引いて降り、河原に向かう。
「海野の姫まで!かたじけない、かたじけない!!」
栗田は全身すすで真っ黒になっていたが、頬だけ涙で流れおち白くなっている。
「こちらお見舞いの品。すぐに、支度しましょう。獣を食えば精が付く」
姉様は手塚の部下が持っていたござに熊を置くと、短刀でさばいていく。すすまみれの人々が何事かと近づいてくる。
一頭目があっという間に解体されると、人々の間から大きな鍋が持ち込まれた。巴が手際よく肉を収めると、手塚の部下が一緒に煮込めそうな根菜を入れて持っていく。
姉様が二頭目をさばき終わったころには、美味しそうな熊汁の匂いがほうぼうから漂っていた。
すすまみれの人々は喉を鳴らしながら熊汁を眺めているが、不安そうな顔の者もいる。手塚が懐から大きな箸をとりだすと進み出て、神に祈りをささげる仕草をし、人々に言った。
「わたしは諏訪社大祝金刺家次男、手塚光盛。
この熊汁は諏訪社に祈りし鹿食免なるぞ。神の祝福を召し上がられい!」
人々はわっと歓声を上げると、熊汁に群がる。栗田は部下に命じ寺からなんとか持ち出した椀をどんどん配らせた。その様子を見て、逃げる時に椀を持ってきた人々は、持たない人に椀を分け、食べ終わったものはまだ食べないものに椀を預けた。
「おっと出遅れてしまったな」
鳥をさばいていた姉様の背後から声をかけたものがいた。
「井上殿!」
椀を配り終わった長瀬が目ざとく見つけて近づいてきた。
「高梨殿や山田殿に声をかけている間に、よもや海野の姉様や手塚殿が駆けつけていらっしゃるとは。長瀬殿も…ということは義仲様の差し金か一本取られたわい」
「出遅れなどではありませんよ~!来ていただけて嬉しいです!」
井上・高梨・山田は長瀬の遠縁の信濃源氏だ。数本の白旗をはためかせた台車を部下にひかせ、たくさんの魚と青菜を運んできた。
「これは見事な魚。こちらも早速。」
姉様は魚も手際よくさばき、巴や栗田が連携して汁にしていく。
信濃源氏のおかげで、温かい汁は望んだすべての人々にいきわたり、すすだらけになった人々の腹を満たしこころを癒した。
「みんないい笑顔ですね。」
手塚が巴に話しかけた。
「熊が人を笑顔にするなんて、あたしには思いつかなかった…」
巴は遠くに姉様の姿を見ながらつぶやいた。