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水島合戦


〇寿永二(1183)年閏10月1日
〇岡山県倉敷市水島地区


〇平家 1千艘
 義仲軍先行部隊 500~1千艘 

後白河法皇に平家追討の命を受けた義仲は一万余騎で岡山県へ。
平家は香川県の屋島を本拠地とし、山陽道8か国、南海道6か国をうちとっていた。
義仲軍勢の先行部隊が水島で船戦をするが突然の日食で敗北する。


①平家から開戦を報じる書を持った小舟が現れる
②源氏、船500余艘を海に下ろす
③平家、千余艘で攻め寄せる
④両者負けじと戦う
⑤突然空が真っ暗になり源氏方はあっけにとられた
⑥空が明るくなると平家は船をつなぎ板を渡して一斉に源氏を攻めた
⑦大将の矢田義清・海野幸広が討たれ源氏が敗北した。

■参考

閏月
日本では明治になるまで月の動きを基準にした太陰暦が使われていたため、3年に一度13月まである年があった。

日食
治承二年閏10月1日は今の暦でいうと1183年11月24日にあたり、科学的にこの日、金環日食があったことが証明されている。しかも、陰陽師の働きで平家は日食が起こると知っていたと見られる。