義仲戦記5「燧ケ城築城」1181年X月
「稲津どのーーーっ!」
呼ばれて顔を上げた稲津新介実澄[越前の中心的存在の武将]は、川の下流の方から馬を駆けさせて来る武将に向かい、手を挙げて応えた。
「藤島どの!下流の堰の方はどうでしたか?」
「大丈夫だ!順調に水が溜まっている!」
藤島右衛門尉助延[越前の武将]は新介の横に馬を付けながら笑顔で答えた。
「完成したのですね!」
新介も笑顔で言うと、
「そうだ!遂に出来たんだ!我らの城、燧ケ城が!」
藤島が力強く頷いた。
前回までのあらすじ
市原の合戦で挙兵し、横田河原の合戦も勝利した義仲の勢いを見て、北陸の武将たちが従った。都に近く平家の影響が強い越前国の稲津はずっと迷っていたが越前武士・藤島・平泉寺斉明とともに戦で寝返り、義仲軍勢に加わった。
その城は義仲の指示で築かれた。
先の第一回の追討軍に勝利した直後、北陸の諸将らに向かい義仲は、
「次に平氏が、この北陸に派兵して来る時には、今回のような千、二千の軍勢ではなく、おそらく五万騎以上の兵を動員して来る事になるだろう。
私は当分、信濃[長野県]や越後[新潟県]から動けない。そこで北陸に大きな城を築き、平氏が派兵して来た時には、こちらはその城に籠って防戦し、時間を稼いでくれたら、連絡を受けた私が例え信濃や越後から出陣したとしても充分、戦さに間に合い敵を迎え撃つ事が出来る筈だ。
北陸の諸将にはこの城の築城にあたって貰いたい」
と指示すると、
「判りました。築城の事は我ら北陸の者らにお任せ下さい」
宮崎長康[越中の中心的存在の武将]が答える。と、
「城は何処に構えますか?義仲様にはお考えが?」
林光明[加賀の武将]が義仲へ問う。
「越前[福井県]に構えて欲しい。出来れば近江[滋賀県]との国境に近い辺りが理想だな」
「場所に関しては私達越前の者達に任せていただきたい」
義仲の発言を受けて平泉寺長吏斉明[平泉寺白山神社を中心とする僧兵団の僧兵。稲津新介実澄のいとこ]が言った。
と、それに被せるように、
「その通りです!越前の事は私達にお任せ下さい!」
初めて義仲に逢った事で、多少ハイになっている稲津新介がヤる気に満ちた声で言う。
「相変わらず元気者だな。新介どのは」
根井小弥太[四天王の一人]が、にやにや笑いながら言うと、
「小弥太どのだって、いつも俺が、俺がって言ってるじゃありませんかぁ」
新介が軽く応じる。この二人、いつの間にか仲良くなっていたらしい。この遣り取りを無表情で見ていた斉明が、
「とにかく、場所の選定と築城の仕切り[プロジェクトリーダー]は我が越前衆がさせて貰う」
宣言する様に言った。
「良いだろう。では他の北陸の者達は越前衆の指示に従って欲しい。
しかし大きな工事になる訳だし、城の完成も速い方がいい。だから人手は多い方がいいだろう。信濃からも人を送りたいと思うが、そのくらいはさせて貰えるか?稲津新介?」
義仲が新介にお伺いを立てた。穏やかに優しく。
すると満面の笑みを浮かべて、
[はいっ!喜んで!」
と新介。
「じゃあ引き続き俺が、北陸に残りますよ」
小弥太が言うと、
「ほらぁ。やっぱり俺が、俺が、じゃないですかぁ」
新介がツっ込む。一同が笑いに包まれた。と、
「ははは。しかし大弥太どのと小弥太には一度信濃に戻って貰う。その代わりに今回は仁科次郎盛家[信濃の豪族。信濃桓武平氏の一族]と落合五郎兼行[四天王の樋口次郎兼光、今井四郎兼平の弟]の二人を北陸に派遣させたい。では築城の事、よろしく頼む」
義仲が指示し、会議は終わった。
☆
大きな工事であった。
しかし北陸や信濃の者達は協力してこれにあたり、半年程で城を完成させたのであった。
工程は、美濃[岐阜県]、近江[滋賀県]に接する越前[福井県]鹿蒜郡[現南越前町]の日野川と田倉川の合流する辺りの山に、砦と矢倉、家屋を設置し、この作業と並行して日野川、田倉川の上流を堰き止め、下流の合流地点とその周辺に、堤と堰を造成。この作業が終了した後、日野、田倉両川の上流で堰き止めていた水を放流したのである。
この水の放流作業に当たっていたのが、田倉川では藤島助延。日野川では稲津新介であった。そして先に田倉川での作業を終えた藤島は、最後の工程である日野川放流を担当している新介の所に来たのである。
新介は藤島に、
「水堀が出来た以上、この城は簡単には落とせないでしょう!」
浮かれて言った。
すると、
「水堀、なんてものじゃ無い!凄いんだ!とにかく下流へ、速く!」
藤島が興奮を隠し切れずに言った。
新介は何の事だか判らなかったが、藤島の言う通りにした。
「あっ!はあ〜〜〜・・・・・」
新介は、目の前の光景に驚くのと同時に放心した。
下流の日野川、田倉川の合流地点には湖が出現していたからだ。
その湖に島の様に、浮かんでいる様に見えるのが山に構えた燧ケ城だったのである。確かに水堀の城、というよりは、湖に浮かぶ城、であった。新介は呆然としつつ藤島を見ると、藤島が新介に向かって力強く頷いた。二人はしばし、無言でこの光景に見惚れていた。人工の湖と、そこに浮かぶ燧ケ城を。
気が付くと、新介と藤島の周りには武将達が勢揃いしていた。
宮崎、石黒、入善[越中の武将]、
林、冨樫、佐美[加賀の武将]、
斉明、斎藤太[越前の武将]、
仁科、落合[信濃の武将]、
二人と同じ様に、湖の城を見ていた。万感の想いを込めて。
「遂に完成したな。我らの城が」
林光明が誰にともなく言った。
「そうだな。これで、いつ平氏の奴らが侵攻して来ても、迎え撃つだけの準備は出来た」」
宮崎長康が応じる。
「しかし平氏がやって来るまでには、まだまだ時間があります。その間にも、もう何カ所か城なり砦なりを築いて置きましょう」
斎藤太が言う。
「その通りです。私の兄四郎兼平も言っていました。城や砦は有れば有る程良い、と」
落合五郎兼行が言うと、
「はははは。しかし後は小規模な砦を道[北陸道]沿いに幾つか築くだけの事。とにかく今夜は、いや今夜だけは、城の完成の御祝いで酒宴という事にいたしましょう!」
冨樫入道仏誓が言うと、
「坊主が御墨付き出してくれたぞ!これで安心して呑めるな。斉明どのも付き合うかい?」
石黒光弘が笑いながらフると、
「いや。拙僧は用事が有り、平泉寺に戻らなければならん」
斉明は答えた。
「それは残念だ。では我らは呑むとしようか!我らの城!燧ケ城で!」
宮崎が代表して叫ぶと、
「おおーーーーっ!」
斉明以外の全員が賛成した。
翌日。少し呑み過ぎて、頭痛気味の新介が水を飲んでいるところへ、
「稲津どの!大変な事が!」
と、駆け込んで来たのは新介とは顔見知りの越前国府の役人であった。
「何です?」
新介がまだ開き切っていない眼を向けると、
「それが」
と役人は耳打ちして小声で事情を告げた。
それを眠そうに聞いていたが、
「・・・はあ?・・・ええっ!!!」
新介は眼が覚めた。
眼も大きく見開いた。束の間ボ〜っとしていた新介だったが、
「そうだ!とにかく宮崎どのに相談を!」
という事で、新介はその役人と連れ立って宮崎長康のところへ行くと、彼は酒に強いらしく、昨夜あれだけ呑んでいたのにもかかわらず、しゃっきりと普段通りにしていて、
「おお。稲津どの、どうなされた?」
爽やかに言ってくる。
が、事情が事情だけに新介も二日酔いの頭痛などには構っていられない。
「お耳を」
と言うと、先程の役人と同じく、宮崎の耳元で小声で事情を告げた。
「!・・・何だと!」
宮崎もさすがに驚いている。
「と、とにかくこのまま越前に居られては少し危ないのでは?越中なり越後なりに移られた方が安全と思いますが・・・」
「そうだな・・・新介どのの言う通りだ。取り敢えず越中の私の所[富山県朝日町]へおいで願おう。そして義仲様に連絡を取り、一刻も早く義仲様にお逢いさせなければ!」
「では、この燧ケ城は藤島どのに任せて、私達は越前国府に御迎えに上がりましょう!」
新介が決め、俄かに城内が忙しくなっていた。
そして宮崎は早馬で、この情報を義仲に伝えた。
信濃の依田城[長野県上田市]に居る義仲へと。
「!」
宮崎の郎等の報告を聞いた義仲も、驚きを隠せなかった。
だが、決断は速かった。
「今から越中宮崎[富山県朝日町]へ行く。兼平とは越後国府で合流し、巴と覚明は私と一緒に来てくれ。共の者は少なくて良い」
決めると、その日のうちに依田城を出発した義仲であった。
☆ ☆ ☆
装束を整えた義仲が、一礼し挨拶する。
「源冠者義仲と申します。後ろに控えているのは今井四郎兼平。右筆[書記兼秘書」の大夫坊覚明。武将の巴御前」
紹介すると三人も一礼した。
当然だが三人も装束を整えていた。
特に巴御前は都の貴族の姫君の様な出で立ちをしている。
化粧も施して。
戦う美少女巴は、今は美しく可憐な姫君巴になっていた。
すると、
「私は藤原重季です。今は亡き以仁王様[後白河法皇の皇子]の後見人として仕えていました。その関係で今は以仁王様の皇子様に仕えております。そしてこちらの方が以仁王様の第一皇子、宮様です」
重季が宮様を紹介した。
今年十七歳になる皇子は静かな眼を向けて義仲らを見ていた。
四人は一斉に手をつき頭を下げて一礼した。
四人が頭を上げると、それを待っていたかの様に、
「私の父が平氏に討たれた時、父に最期まで付き従い自害して果てた源頼政[摂津源氏]の養子に仲家という者がいた、と聞いている。この仲家も息子の仲光と共に自害したと。仲家は義仲、その方の実の兄だったそうだな。済まない。私にはかける言葉が見つからない」
宮様は静かに、そして痛ましそうに義仲に声をかけた。
「御丁寧な御言葉、痛み入ります。以仁王様の事は、宮様には当然の事と思いますが、私達源氏の者にとりましても残念でなりません」
義仲も悲しみを抑えつつ答えた。
同時に内心では、少し驚いていたのも事実であった。宮様の気性に。最初の第一声がお悔みの言葉になるとは思っていなかったからだ。感心したと言っていい。宮様は父を討たれているにもかかわらず、先ず父に従って討たれた者の近親に対して、心を寄せられたのだ。宮様はどうやら他人の心の痛みに共感する事が出来るらしい。これは義仲にとって嬉しい発見だった。すると、
「私は事態がこうなった以上、父の遺志を継ぎたい、と思う」
宮様が、またも静かに言った。重大な事を。
父の遺志を継ぐ、という事は、以仁王が望んで果たせなかった事を宮様が果たす、という事だ。つまり平氏を打倒し、自らが天皇になる、と宣言したのに等しい。
「私に力を貸してくれるか?」
穏やかに宮様が問う。
変に力んでいないところが、覚悟を決めている証拠だ。しかし眼は真剣に義仲を見ていた。義仲はその真剣な視線を、眼と全身で受け止め、
「解りました。この源義仲。以仁王様の御遺志、宮様の御決意の為に、微力を尽くして行こうと思います」
こちらも穏やかに答えた。誠実に、宮様の眼を見ながら。
「いやあ。まさか義仲様が即答するとは思いませんでしたよ」
大夫坊覚明が言った。
この日の夜、越中宮崎の館で、宮様が休まれた後、義仲、兼平、覚明、巴、宮崎長康、藤原重季の六人は、これからの事を協議している。
「そうですか?しかしこれで我等は、単なる叛徒では無く以仁王様の御遺志を継ぐ、という政治的な正当性が出来た事になるんですよ。義仲様が即答してもおかしくは無いでしょう」
と宮崎長康。
「そうだけどさ。でも、こういう交渉事は取り敢えず考えてみる、って時間をおいて返答するってのが普通でしょ」
義仲はにっこりとほほ笑んで、覚明の疑問をかわした。
「重季どの。何故頼朝の所では無く、私の所に来たんだ?その理由を聞きたい」
と義仲が宮様の後見人藤原重季に訊いた。
「それは、以仁王様の思いに報いるためです。」
義仲はじめ全員がまっすぐに重季を見つめた。
「どうやら頼朝は現在、院[後白河法皇]と接触し、西日本は平氏、東日本は源氏に任せ、天皇はこのまま安徳天皇で良い、と提案しているといいます。つまり平氏政権を認めても良い、という事です。
これでは以仁王様が何の為に令旨[親王の命令書。公文書]を出し、何の為に挙兵し、何の為に討たれてしまったのか。意味が無くなってしまいます」
「そんな動きをしていたのか。頼朝は」
兼平が苦虫を噛み潰したように呟いているが、
「そうか?政治家頼朝なら当然そのくらいの事はやるだろう」
覚明が言うと、
「あっ。そうか。院に政治的な立場を認めて貰えれば、ほんの二年前までは単なる流人だった頼朝サンも、まあ今でも流人なんですケド、関東、東海の太守として出世した事になるもんね。今はそれだけで充分だって事なんだとすると・・・」
と巴。
「そうだ。頼朝はこの内乱を早く終結させる事は考えていない事になる」
義仲が言い切る。
「最初から考えていないんじゃないですかね。そんな事、頼朝は。先ず自分の勢力、それから自分の政治的立場、と自分達の事しか考えていないでしょう。まぁそれは当然の事で、ある意味政治家としては健康的ではありますがね」
覚明が応じる。と、
「はい。しかも平氏政権の安徳天皇はこのままで良い、という事は、私達が頼朝の所へ赴いても、宮様の為に何かしてくれるとはとても思えなかったのです。である以上、宮様を託し、以仁王様の御遺志を実現出来るのは、義仲どの。貴方しかいない、と思い、ここ北陸にやって来たのです。
これが貴方を選んだ理由です」
重季が義仲の問いに答えた。
「成る程。良く解った。では宮様と重季どのは安心してこの越中に居て貰いたい。長康どの、宮様の仮宮[仮の御所]をここ宮崎の地に造営出来るか?」
義仲が問う。
「大丈夫です。任せて下さい。しかし、もし平氏方が侵攻して来たら・・・」
長康は請け負ったが、懸念も口にした。
「その時は、宮様には越後へ移っていただく。越後国府の近くにもう一カ所、仮宮を造営しておく。兼平」
義仲は答え、兼平にフると、
「解りました。仮宮を造営しておきます」
兼平が答えた。
「とにかく宮様は私が責任を持ってお引き受けします。重季どのは常に宮様の身近に居て下さい」
「お頼み申します。義仲どの」
と重季が頭を下げた。
「凄かったですね、燧ケ城。しかも湖に浮かぶ城なんて、見た事無かったから。綺麗だったなぁ」
巴が馬を歩ませながら義仲に話しかけた。
義仲一行は越中から越前へ足を延ばし、完成したばかりの燧ケ城も見て来たのであった。短い滞在ののち帰途に着いていた。
「思っていた以上の出来だった。あそこに籠もれば、私が信濃から出陣したとしても、充分戦さに間に合うだろう。北陸の皆は良くやってくれた」
義仲も明るく応じた。
と、
「一つ訊いても良いです?」
巴が義仲に言った。
「?」
「義仲様、宮様の事気に入ってませんでしたか?それは良いんですケド、何故なのかなぁって思って」
「あっ俺も訊きたいです、義仲様」
巴の問いに被せるように覚明も言った。
兼平はその遣り取りを静かに見つめている。
「そうだな。まだお若いのに、しっかりとやるべき事はやる、という覚悟みたいなものを感じたから。まだまだやりたい事も色々あるだろうに。それを抑えているところが健気に思えてな」
「ああ。成る程、そういう事ですか」
覚明が応じると、
「それはお逢いして話しをした時に判ったし、何より宮様は巴の事を余り気にしていなかったからな」
義仲が言う。
「は?あたし?」
巴が自分を指差し不思議そうな顔をした。キョト〜ンて感じで。
「そうだ。普通、巴の様な美しい人が居る前では、あの年頃の男は巴の事を見惚れるか、じろじろ見たり、逆に意識し過ぎて見ようとしなかったり、気負って格好付けたりするものだからな」
義仲が言う。
と巴は少し照れて、
「急に何です?美しいとか・・・嬉しいですケド・・・」
また、少し赤くなっていた。
義仲はそんな巴を愛おしそうに優しく見つつ、
「宮様はそんな事をせずに、巴、覚明、兼平を見た後、真っ直ぐに私の眼を見て、話していらっしゃったから、ああ宮様は緊張しておられるが、覚悟してここに居られるな、と感じたんだよ。私は」
言った。と、
「あ!だからあの時、お姫様みたいな格好をさせられたんですか?あたし。何かダシに使われた様な気がして、納得出来無いんですケド?」
急に巴は思い当たり、少しムクれて義仲を睨んだ。
「ああ。そうか、そうだな。済まん。謝る」
義仲は微笑みながら頭を下げた。
これを見ていた覚明と兼平も微笑みつつ、ゆっくりと馬を進めている。
多少、巫山戯ているこんな時間が彼等にとっては、宝物の様な貴重で暖かい時間なのであった。