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義仲戦記31「乱暴狼藉」

寿永二年八月二十日。
後白河法皇の宣命によりわずか四歳の幼い四宮が践祚した。
後鳥羽天皇の誕生である。

 これにより後白河法皇の当面の宿願は達成された。そしてこの幼い後鳥羽天皇は不思議な事にその後の人生において後白河法皇の真の悲願である院政の回復、永続による日本の支配という妄想に近い反動的な政治的動機を抱いて、鎌倉幕府と対立し承久の乱を引き起こす張本人となるのだが、それはずっと先のお話し。

 話しを戻そう。とにかくその結果、日本に安徳と後鳥羽の二人の天皇が併存する、という異常な事態が出来する事となった。この事により安徳を擁する西海の平氏と、後鳥羽を擁する京の朝廷と源氏勢力の全面対決の構図が出来上がってしまったのである。つまり後戻り出来なくなった事を意味し、対話や折衝による平和的解決の道が閉ざされた事となった。
 極論すれば、どちらか一方の天皇がその後ろ楯となっている勢力と共に打倒されない限り、この決着はつかなくなってしまったのである。ここに日本史上でも稀な、各々天皇を擁した勢力同士が直接武力を行使し殺し合う、という危険な事態に立ち至った事になる。俗な言い方をすれば『いくところまでいかないとケリが着かない』というやつだ。そしてその後、歴史はその通りに展開し進行して行き、この時四歳の後鳥羽天皇と六歳の安徳天皇の幼い御二方の、どちらか御一方が没されるまで戦いは続く事となった。だが悲しい事に戦乱はそれでは終わらず、その後も続く事になってしまうのであるが・・・
 ともかく、この様な政治的緊張をもたらした当の後白河法皇や朝廷の公卿らが、この様な事に気付いていない筈は無かったとは思うが、彼らは状況がそこまで切迫したものだとは理解していなかったのであろう。言い換えれば、武力衝突に伴う過酷で残酷な結果、というものに想像が及ばなかったのかも知れない。
 京が安泰ならば日本も公卿の我らも安泰、という幻想の中に浸り切っている様な法皇や朝廷の貴族らにとって、一番重要な事は己れの権力の安泰とそれに伴う京の安泰なのである。である以上、彼らは京の治安回復が何より優先して果たされる事だけを望んでいた。
 この時、義仲麾下の武将達の努力により、京の治安は源氏方の入京直後の混乱に比べれば遥かに落ち着いた状態にはなっていたが、未だ時折り狼藉が起こり、まだまだ回復とまでは言えない状況であった。






「おい。お前らどこの郎等だ?」

津幡隆家は馬上から問い掛けると、十人程の武装した郎等の集団が両手に反物やら何やらを抱えつつ、ニヤついた顔で振り向いた。

「何の用だ。自分から名乗らん奴に誰が名乗るかよ」

頭目らしい男がせせら笑いながら、見下す様に尊大に応えた。

「我らは義仲様配下の市中警護の者。俺は加賀の津幡隆家。
隣りにいるのが越後中太能景。先程この辺りで狼藉騒ぎが起こったと報告を受け駆け付けた訳だが・・・」

隆家は眼の前の尊大な男を無視する様に告げ、馬を並べている同僚に目配せすると、

「どうやらこいつらがやらかした事らしいな」

越後中太能景が首肯きながら応じた。

「そいつは御苦労な事だが、オレらにゃ関係無ェ。他をあたりな」

相変わらず薄ら笑いを顔に貼り付けた尊大な男が口答えする。と、肩に担いだ反物をワザと見せびらかす様に担ぎ直すと、続けた。

「オッと。こいつは進物[贈り物]でな。
オレ達ゃこれを受け取って来ただけなのさ。
分かったか?分かったらせいぜい京中警護とやらに励んでくれや。
はっはっはっ」

男はどこまでも横柄に言い放つと、背を向けて嗤いながら歩き出す。と、隆家は己れの郎等達に向かい右手を上げ合図すると、郎等達は素早くこの男らを取り囲んだ。

それを見た尊大な男はいきなり太刀を抜くと、

「ああ?何だ?まだ何か文句でもあんのか?
義仲配下だが何だか知らねェがイイ気になってんじゃねェぞ!
オレらは新宮十郎蔵人行家様の郎等だ!
北陸辺りの義仲の子分が格好つけてんじゃねェ!」

叫んだ。というより吠えた。
隆家はこの尊大で下品な男を冷たく一瞥した時、

「能景さま!」

前もってこの辺りを捜索させていた郎等の一人が駆け付けて来ると、


「盗賊に襲われたと思われる商家を発見しました!家の中は荒らされ、店の者ら四人が斬殺!他に三人程、斬られて深傷を負っています!」


報告すると、能景と隆家はアイコンタクトを取るや迷わず、

「盗賊どもを捕縛する!」
能景が号令を掛けた。

「斬って捨てても構わん。責任は俺が取る」

憤怒を押し隠した隆家も続けてそう命令すると、郎等達は一斉に薙刀を前に構え、男らとの距離をじりじりと詰めて行く。と、直前まで威勢よくいきがっていた例の尊大な男の顔色が変わった。


「お、お前ら聞いていなかったのか!
オレらは新宮行家様の郎等だぞ!源氏同士で相撃つつもりか!
そんな事したら当の義仲どのが困る事になるぞ!
そんな事も分からんのか!」

先程までの横柄さが嘘の様に青い顔で必死に言い募っている男を、侮蔑の籠った眼で見ていた隆家は静かに命じた。


「やれ」


津幡隆家と越後中太能景らはこの日、新宮行家の郎等を名乗る盗賊らを五名捕縛した。

その折、最後まで抵抗し刃向かって来た者のうち四名がその場で斬り殺された。あの尊大な男もこの中に含まれている。

盗賊どもの持っていた盗品は、隆家、能景両名がこの被害に遭った商家に送り届け、この一件は落着した。かに見えたが、この新宮行家の郎等を名乗る連中が、実は本当に行家の郎等であった事からこの事件が表沙汰になった時、事態は難しくなっていた。


 新宮行家が郎等らに命じて京中で狼藉を働かせていたのかどうかは判らないが、京中守護の任に就いていながら殆ど何もしていない行家であったのは間違い無く、もし己れの郎等が狼藉をしていても見て見ぬ振りくらいはしただろう。とは言え、義仲の配下の者が盗賊として捕らえた者の中に己れの郎等が含まれ、しかも四人の郎等が殺されたとあっては、行家は自分のメンツの為にも黙って見過ごす訳にはいかなかったのである。


彼は吠えた。それはこうだ。

「義仲は京中守護と言いながら自らの部下を使い、市中で狼藉を繰り返しておる!
あまつさえその事を常々苦々しく思っていたワシの郎等が、ヤツらの狼藉を止めようとしたところ、何とこれに襲い掛かりワシの郎等を四人も斬り殺しおった!
京中守護、市中警護と言いながらその実、盗賊の頭目とは!
義仲め!まったく呆れ果ててものも言えん!」

自分の事は綺麗に棚に上げて朝廷に対し反論した行家だったが、行家は自分が“子供の嘘”をついた事に気が付いていない。
“子供の嘘”とは正反対の事を言い張る事であり、しかも底の浅い言い掛かりに近い主張ではあったのだが、世の中というものは常に声の大きい方の主張を受け入れ易いのもまた事実であった。

 こうして行家は自分にとってスキャンダルになったであろうこの一件を逆手に取り、嘘の主張を全面に出す事で京中守護の総責任者である義仲の責任問題に転嫁する為、繰り返し繰り返し、しつこくこう主張しまくったのである。

 とは言え、朝廷の公卿達や役人らは馬鹿では無い。この一件の真相が行家の主張とは正反対のものである事は当然解っていたのだが、彼らはこの一件に口出しする事を巧妙に避けてもいた。それは源氏同士が勝手に内紛を起こしてくれている以上、貴族らにとっては願っても無い状況だったからである。という訳で、義仲と行家の共倒れを望む彼らはこの一件に関しては何もしなかったのであった。

 だが、行家の主張が嘘であれ何であれ、京の市中ではまだ狼藉が散発的に起こっていたのであって、やはりこれを取り締まる総責任者は義仲という事に変わりが無いのである。

 京の住人としては、源氏入京直後の混乱した一時期よりはマシになったとは言え未だ回復するには至らない治安の現状に対し不満に思うのも当然の事であった。そしてその不満は総責任者たる義仲に向かう事となり、その苛立ちを晴らすかの様に彼ら住人は、行家の主張を積極的に取り入れたのであった。

こうなったのは義仲のせいだ。
義仲が京に来たせいだ。
全ての気に入らない事の責任は義仲にある。と。



「いや、さすがに北陸、東山両道の武家の棟梁。
いやいや、古今に並び無き武将たる義仲どの。ほっほっほっ」

中納言藤原光隆は長々と喋った後におべっかを使った。
だが、義仲には光隆が何故上機嫌で何かさすがなのか判らない。

正直、この中納言光隆という貴族の相手をしているだけでも苦痛なのであった。

今朝方『相談いたしたき事があり是非お目にかかりたい』と、いきなり六条西洞院の義仲の宿所に訪ねて来たこの貴族は、一室に通され義仲と対面すると、挨拶なのか世間話なのかわからない様な要領の得ない事をぺらぺらと喋り続けて、義仲の時間を強引に奪い続けている事にいつまで経っても気が付く様子は無かった。

だが義仲は、眼の前で本題に入らず無駄に喋り続ける男の本当の目的が何かを正確に把握している。

この中納言藤原光隆の家は代々越前国守の家柄として、北陸の地域に利権を握っていたのであったが、平氏全盛の時代にそれを奪われ、京の壬生の地に逼塞していた。平氏が西海に逃亡した現在、早速その利権を取り戻す為、北陸道の武家の棟梁である義仲に接近して来たとのであろうと、四天王・今井兼平や越中出身の武士らから義仲は既に報告を受けていた。

が、いつまで経ってもこの中納言はその事を匂わせてはいるが直接口には出さず、時折ちらりちらりと物欲しそうな目を義仲に向け、言外に、

『ほれ。私の願いが判るじゃろ?
判ってくれるじゃろ?
私の口からその様な事を言い出す訳にはいかんのじゃ。
じゃからほれ、義仲どのなら判ってくれるじゃろ?
そして私の願いを心良く引き受けてくれるんじゃろ?
それでこそ当代の英雄義仲どのじゃ。ほれ、こちらが何も言わなくても察してくれてその意を汲んでくれるんじゃろ?』

と、訴え続けていたのである。目で。

当然、義仲にはこの中納言のよこしまな希望を叶えてやるつもりも義務も無かった。である以上、やれやれ、と相手に気付かれ無い程の小さな溜め息を吐いていた。

と、
「不作法ながら失礼したします。只今義仲様に、朝廷より至急大和国で横行している兵糧の強奪、並びに狼藉の停止を命ずる書状を興福寺に対し発せよ、との使者が罷り越してあります」

四天王筆頭樋口兼光が室の外の廊下から声を掛けた。

すると間髪入れず、
「そういう事で、不躾ながらこの義仲。政務に戻らねばなりません」

義仲は早々に挨拶すると、何やら物欲しそうに期待に輝く表情をした中納言光隆に向かい、

「わざわざお越しいただき御足労様でした。
この宿所は役宅も兼ねていますので落ち着かなくて申し訳ありません」

丁重に頭を下げた義仲は立ち上がりざま中納言を見据え、

「これよりは役宅に足を運ばれる事もありますまい。
こちらが中納言殿のお知恵をお借りしたい時には、私が壬生まで参る事になるでしょう。では失礼します」

一方的に告げると、室を退出し廊下に控えていた兼光を伴って別室へと向かう。

一人取り残され、呆気に取られていた中納言光隆であったが、その後、じわじわと自分が体良く厄介払いされた事への屈辱の念が湧き上がって来るのを、怒りと共に自覚した。

口調は丁寧ではあったが、要は、

『ここへはもう二度と来るな。こちらが用がある時には行ってやっても良いが、その様な事は金輪際あるまい』
と義仲に言われたに等しかった。

しかも光隆が待ち望んでいた北陸の利権の復活、保証の件も、光隆本人が遠回しに匂わせていたもののはっきりと口に出さないのをいい事に、判っていながら無視し通したのである。


(義仲め!たかが武士の分際で生意気な口をたたきおって!
お前など私の様な高貴な京の公卿から見たら田舎の若僧でしか無い!
それなのにこの私に恥をかかせおって!
よし!必ず復讐してやる!
お前が死ぬまで!いや!お前が死んだ後までも!)

義仲に対する勝手な期待と押し付けがましい思いが、反転して強い怒りと屈辱の感情に変わり、身を震わせつつ中納言は自分に誓い、拳を握り締めながら立ち上がると、母親に駄々を聞き流され相手にして貰えなかった子供の様に、苛々を周囲に撒き散らしつつ六条西洞院の宿所から、牛車に乗り込み出て行った。

その後、中納言は彼が固く誓った復讐を貴族社会で実行し始める事となる。その復讐とは、義仲は乱暴で粗野な上に無教養で愚かな田舎者に過ぎない、と陰口を叩き、義仲を馬鹿にし嘲笑し価値を低下させる事で憂さを晴らして溜飲を下げる、という隠微で何処までも卑怯な手段であった。

いくら公卿とは言え武力を持たない中納言が、義仲相手に実行出来る事はその程度しかなかったのも事実で、見ようによってはまことに公卿や貴族に相応しい復讐の手段であった、と言えなくもない。

そして中納言の復讐は、思い掛けない成功を収めた。

しかも驚くべき事に現在にまで影響を及ぼす程の。

そう。世間一般にイメージされる「乱暴狼藉」を働く義仲像は、実にこの中納言が撒き散らし、貴族社会で流布した陰口に由来しているのである。

そして『平家物語』にこの事が掲載された事で、この復讐は完成した。
義仲は死後も貶められている。
彼、猫間中納言藤原光隆が願った通り。





「良いところで声を掛けてくれた。礼を言うぞ兼光」

義仲は苦笑いしつつ声を掛けた。だがすぐに表情を引き締めると、

「至急、朝廷からの使者に逢おう。案内してくれ」

「その様な者は来ていませんよ」

兼光は笑いを噛み殺しながら、しゃあしゃあと答えた。

「?」

どういう事だ?という表情で兼光を見返した義仲は、その直後に破顔した。

「成程。猫間殿を追い払う為に援護してくれた訳か。
はははは。あらためて礼を言うぞ兼光」

「出過ぎた事とは思ったのですが」

「いや。良くやってくれた」

この気が効く麾下の武将に頼もしそうな視線を送ると、兼光も笑顔で応えていた。


とは言え、先程兼光が告げた『大和国に関する朝廷の命令』というのは実際に義仲が命じられている事であった。



 平氏の都落ちとそれに伴う朝廷の統治能力の低下により、各国で豪族やら有力寺院やらが勝手に兵糧を徴収[と言えば聞こえは良いが実際は食糧を問答無用で強奪]したり、狼藉を働いたりと、治安の低下と混乱は京だけの事では無かったのである。
 そこで朝廷は全ての面倒事を義仲に押し付けて、彼の名に於いて徴収や狼藉の停止を図らせる為、各国の豪族、有利寺院、国府宛てに書状を書かせ、送らせていたのである。この書状の主な送り先は東大寺、興福寺、大和国の在庁官人、関東や北陸各国の在地荘園領主等、多岐にわたっていた。その上、義仲は各国の豪族や領主宛てにその所領安堵の書状も発給していたのである。

 事務仕事ですらこの様に膨大な業務を抱えていた義仲は、この他にも京中守護、朝廷での会議、法皇からの呼び出し、京の食糧確保とその輸送等、様々な業務を同時に進めていかなければならず、この時期、文字通り休む暇も無く次から次へと仕事を捌いて行かなければならなかった以上、猫間中納言の“個人的なお願い”などを相手にしている時間など、あろうはずも無かった。



と、
穏やかな笑みを浮かべていた兼光は、ふと表情をあらためると、

「使者というのは口から出任せですが、義仲様に是非会いたい、と申す者はいるのですが」

「誰だ?」

「津幡隆家と越後中太能景の両名です」

義仲は小さく頷くと、両名が控えている室へと向かった。



「今回、行家どのの郎等らを捕縛し、あまつさえ斬り殺した不手際の責任は全てこの私一人にあります。部下の郎等をはじめ、同僚の中太能景どのは私の指示に従ったに過ぎません」

義仲以下、主立った武将達が居並ぶ前で、津幡隆家が言う。

「いや!津幡どのに責任があるとすれば当然、この私にも責任があります!」

隆家の左隣りで越後中太能景が勢い込んで発言した。
と、隆家は遮ぎる様に左手で同僚を制すると、真剣な眼で能景を見据える。

その視線は真摯なものに満ち、また尋常でない眼力があり、多少昂っていた能景の感情を落ち着かせると共に、二の句を告げさせなかった。

隆家は静かに視線を義仲に向けると続けた。


「今回の件は義仲様が慎重に避けておられた源氏同士の衝突という事態も招きかねず、また結果的に義仲様の御名前に泥を塗る様な事を仕出かした不始末は万死に値すると愚考致します。
故に、事ここに至り厚かましい御願いとは存じますが、どうか、どうかこの私一人に死をお命じ下さい。
さすれば行家どののメンツも保たれましょうし、源氏内の緊張も緩み、相撃つ様な最悪の事態だけは避けられましょう。

重ねて御願い申し上げます。私、一人にのみ死をお命じ下さいますよう」


落ち着き払い一気に言うと隆家は、心から敬愛し、また尊敬するあるじに両手をつき深々と頭を垂れた。


津幡隆家は、行家の郎等らを盗賊として処断したあの件以後、巷に蔓延る行家の白々しい嘘や、その嘘に乗っかった住人らにより義仲の評判が京でガタ落ちして行く様を目の当たりした時、この状況をこれ以上エスカレートさせない為に己れ一人の命で済むのなら、これを差し出そうと心に決めていたのである。

元より始めから義仲に捧げた命である。彼の命令であればその命を落とす事があろうと、それはこの隆家にとって本望と言えるのであった。しかも隆家は京中警護という自分の職責を全うしただけだ。例えその死が不名誉なものになってしまったとしても、誠実に職務を果たした以上、何ら恥じる事など無い、と隆家は思っていたのである。

それに北陸戦線の時から、気に入らなかった行家の、その郎等を処断した事はほんの少しだけリベンジを果たした気にもなった事であるし、こそこそ隠れて京で狼藉を働いている他の相伴源氏[義仲の入京に便乗して入京した各国の源氏連中]に対しても、今回の件は、義仲は治安回復の為ならば源氏だろうか何だろうが容赦はしない、との断固としたメッセージとなりこれ以後は彼らによる狼藉も止んでくるだろうと、隆家は多少の満足を覚えていたのであった。



静まり返った室の中で、義仲麾下の武将達は身動ぎ一つせず事の成り行きを見守っている。

その緊張にも似た空気が張り詰め、最高点に達しようとした時、


「済まん」


低く、地の底から響いて来たかの様な声がした。
それを聴いた武将達は、はっとその声のした方向に注視した。
義仲である。


普段とは程遠いその声色に、武将達は驚きと共に初めて見る様な眼で義仲を見た。
眼に映った義仲はいつも遠うの穏やかさで静かに隆家を見詰めている。
しかし、その眼差しは思い詰めた様に真剣だった。

皆が固唾を飲んで見守る中、義仲は続けた。

「津幡隆家。越後中太能景。
両名が市中警護の任務を懸命に遂行している事は私も承知している。
それに行家の吹聴している虚言の事も。
そしてこの任務に於いて源氏内の摩擦を起こさぬように命じ、一層困難な任務にしている事の責任が私にある事も」

呟く様ではあったが、その低く抑えられた声は良く通り、皆の耳にしっかりと届く。

「そこで敢えて両名に問う。これが気に入らなければ返答せずに私の許から出て行って貰っても構わない」

一旦、眼を閉じ居住まいを正した義仲は、静かに瞳を開くと恐ろしい程の真剣さで問うた。

「それでも私の為にその命を捨ててくれるか?隆家。能景」

「!!!」


麾下の武将達は驚きと共に一斉に義仲を見る。

誰もが驚愕していた。
彼らは話しが思わぬ方向に向かっている事に戸惑っていた。
隆家の申し出など一笑に付し、ましてや生き死にの問題になどさせる訳無いのが義仲である、と彼らは思っていたからである。

茫然自失している諸将をよそに、

「問われるまでもありません。既にこの命、義仲様に差し出してあります」

何でも無い事の様に、微笑を浮かべた隆家は当然だ、と言わんばかりに応じる。

「私も一昨年の横田河原の戦い[一一八一年六月]の折、息子共々義仲様に援けられて以後、この命は唯一人の為に捧げようと心に決めております!お命じ下されば悦んで死に赴きましょう!」

能景も気負いつつではあったが、堂々と胸を張って応じると、この室は静寂に包まれた。
その静けさが騒音にも似た圧力を伴っているかの様に一同に感じられ始めた時、


「良く解った。では希望通り両名に命じよう」

義仲が厳然として、未だ彼らしく無い低い声でそう言うのを聴いた四天王、巴御前、光盛、覚明らは、居ても立っても居られず腰を浮かせ掛けると、

「待っ・・・」
声を一斉に上げた。

その瞬間、
「生命を捨てる事を強要する様な命令を出す者に従ってはならん」

鈴の音の様な義仲の声が凛と響いた。
それは麾下の武将達の口をつぐませるに充分な厳かさを備え、尚且つその声音は普段通りの優しさに満ちたものであった。


「そしてあらためて命じる。津幡隆家、越後中太能景。両名の市中警護の任を解き、これ以後は私の側近くに仕える様に」


微笑みと共に発せられた命令に、一同の者は安堵すると同時に、肩に重くのし掛かっていた重荷が取り除かれたかの様に浮かせかけていた腰を下ろしつつ、あたらめて義仲を見た。

と、今度は隆家、能景の二人が訳が判らずに呆然としている。

そんな二人を面白そうにちらりと見た巴御前こと戦う美少女は、

「もお、びっくりさせないで下さい。
何かほんとに命を差し出せって命令するかと思ったじゃないですか」

溜め息混じりに皆を見回して言うと、

「ああ。俺も焦った。マジか義仲様!ってな」

巴に応じる様に四天王根井小弥太も大袈裟に息を吐き出している。

先程までの張り詰めた雰囲気が一挙に和むと、まだキョト〜ンとしている隆家、能景に向かい、

「隆家どの。能景どの。
義仲様の命令に応じるか否か、返答がまだです。どうするおつもりか」

四天王今井兼平が彼にしては珍しく優しげに尋ねる。


「「・・・え〜と、これは一体どういう・・・?」」


二人はきょろきょろと周りを見回し、ココはドコ?ワタシはダレ?的な混乱を表しつつ誰にとも無く問い掛けると、

「義仲様はこれからじっくりとお二人の心得違いを正そう、と言っておられるんですよ」
手塚光盛が可笑そうに説明する。

「そう。市中警護としてすべき事をしただけの事ですからね。
これでお二人を罰する様な事をすれば、それこそ行家ドノの嘘にこちらから根拠を与えてやる様なものですから」
四天王楯親忠も言い添える。

と、隆家、能景は同時に両眼にじわりと何かが滲んで来る感覚がした。
二人はそれを押し隠す様に急いで両手をつき頭を下げると、


「御心のままに」
「御命令の通りに」

それぞれの答えで応じた。


義仲は満足そうに首肯くと、

「有難う、隆家、能景。しかしこれだけは言っておく。お前達は良くやってくれた。本来ならば任を解く必要など無いし、楯の言う通りこちらが責任を取らねばならぬ事など何も無い。
もしその責任があるとすれば入京している源氏全てにその責があり、それ以上に京中守護の大任に就きながら源氏内の不和を恐れ過ぎたこの義仲一人がその責を負わねばならん。

それにお前達は京に於ける私の評判が落ちた事を気にしているらしいが、それもまた私の怯懦なやり方から発したものである以上、やはり私一人が負うべきものだ。

お前達がその事で気に病む事など無い」

これ以上無い程、優しく告げると二人は、はっと顔を上げ、その潤み始めた瞳をあるじに向けると、


「あらためて礼を言わせて欲しい。
隆家、能景。任務を誠実に遂行してくれた事、心から礼を言う。有難う」

義仲は二人にその優しい視線を送った後に、深々と頭を下げた。


隆家と能景は胸に迫って来た感情と闘っていた。
「はっ」と応じる事も叶わなかった。
二人は奥歯を噛み締めると、再び手をつき深々と頭を下げた。

でないと、嗚咽を洩らしてしまいそうだったからである。

その二人の固く閉じられた瞼からは、今にも零れ落ちそうな光るものが震えていた。
そんな二人に暖かい視線を送っていた巴は、ふと気付くと、


「ねぇ義仲様。ちょっと気になったんですケド、もし隆家サンと能景サンがさっきの質問に答えず、出て行ってしまったとしたら、どうするおつもりだったんです?」

先程驚かされた意趣返し、といった感じで多少意地悪めいて義仲に訊ねると、破顔した義仲は、

「その時は恥も外聞も無く、両名を追い掛けて『つまらん事を言った。許してくれ』と詫びを入れるだけの事。二人が許してくれるまで」


しゃあしゃあと言ってのけると一同に笑顔が戻る。

「じゃあ初めからどうこうするつもりは一切無かったんじゃないですかぁ。まったく人が悪いにも程ってゆうものがあるんですよ?ねえ」

巴は恨みがましい眼付きで義仲を睨み付けつつ隆家と能景にフると、ようやく顔を上げていた二人は何だか晴れやかな笑顔で応じた。


と、
「まぁこれまで狼藉を繰り返していた他の源氏連中にとっても、今回の件はいい薬になったんじゃないすか。これ以後は派手なマネはしなくなるでしょ」
これまで黙っていた覚明が口を開く。
と、急にニヤリと口元を吊り上げて、

「そういう奴らって、これから逆に隠れてこそこそとヤる様になるだけ、ってのが相場ですがねぇ」

物騒な事を平然と言い放つと、上向いて来た場の雰囲気に、さっと陰が射す。


「覚明の言う様に、まだまだ治安の回復には程遠い現状だ」

幾分厳しい表情で義仲が告げると、一同はざっと居住まいを正す。

「これは私の方針や指示が間違いだった事を意味する。
源氏同士が相撃つ事を恐れ、京が戦場になる様な最悪の事態に怯え、その結果今まで取り締まりを徹底させる事が出来なかった。
その最大の被害者が京に住まう民となってしまった」

皆を見回しつつ義仲は己れの誤りを認めた。

「京中守護に関する以前の方針は撤回する。
これ以後は隆家、能景両名がやってくれた様に、誰であれ狼藉を犯した者には容赦するな。
例えその相手が源氏の郎等だとしても徹底的に取り締まりを強化する。
住民達の楯となれ。そして盗賊どもに対する刀となれ。良いか」

新たな方針が決定し、指示が飛ぶ。


「「「はっ!!!」」」


麾下の武将達は、待ってました、とばかりに声を揃えて応じた。

「皆は何も心配せずに各々の任務に励んでほしい。
それにその最悪の事態に至らせない為に私がいる。
何としてもその様な事態を回避させてみせる。
良いな。これより容赦は一切無用だ」



「「「おおっ!!!」」」



義仲の新たな方針と命令の下、京中守護の任に就いている武将達は各々の郎等を引き連れ、六条西洞院の役宅から警備活動に出発して行く。

それを見送った義仲は、覚明と兼光それと新たに側近くに仕える事となった隆家、能景と共に各国への書状発給の為の事務仕事に取り掛かっていた。

「こんな感じでいいのか?覚明」

兼光に指示された通りに書状を書いていた隆家が、出来上がった書状を覚明に見せる。

「へえ〜。意外にも上手いじゃないか隆家。上出来、上出来」

「・・・あのなぁ。子供が読み書き習ってるように言うなよ」

隆家も能景も武将ではあるが、元々は各々の生国である加賀、越後の在庁官人なのである。役所の書類や通達の書状などは彼らも書き慣れたものであった。

「褒めてんだけどなぁ」
言いつつ覚明はその書状を受け取ると、その末尾に“紀伊国 尾藤知宣 所領”とさらさらと書き加える。

どうやら所領安堵の下文を書いていたらしい。
すると墨の乾かぬうちに兼光が文面に眼を通すと、素早く別の書類に“発給 紀伊 尾藤知宣”と書き付ける。
この書類は発給状況を朝廷に申告するものであり、兼光は控えにも同じ事を書き付け、すっと書状を義仲に回す。

義仲は筆先に少し墨を含ませると“源朝臣 義仲”と署名し、その下に花押[かおう。サインもしくは手書きの印鑑の様なもの]を書き込みつつ、


「仁科盛家から報告があってな」

皆に聞かせる様に呟いた。仁科[信濃の武将]は京中守護に就任している司令官の一人で、隆家と能景の部隊を預かっていた武将であった。
覚明と隆家は顔を見合わせ、兼光と能景は筆を止めて義仲を見る。

「どうやら行家の郎等らが、隆家、能景を付け狙っている、と」

言いながら義仲は顔を上げ二人に眼をやる。

「祐筆[書記兼秘書]まがいの仕事をさせて済まないと思っている。
先程、皆にああは言ったが両名が市中警護の最中に万が一、害される様な事にでもなれば、私とて復讐の念に駆られて行家と全面的に事を構えたくなろうし、それを抑える自信は正直言って無い。

いずれ早い時期には元の警護の任に戻って貰う事となるが、今は彼ら[行家やその郎等。相伴源氏の連中]が大人しくなるまで、辛抱してくれるか?」

命令と言うよりは、依頼する様に義仲は言った。
隆家と能景は視線を交わし、力強く首肯くと、


「「承知致しました」」


二人は揃って応じると、

「我らごときにどこまでも行き届いた配慮、御礼申し上げます」

能景が代表して礼を述べた。
が、その簡潔な応答とは裏腹に能景の胸中には何か熱いものです満たされていた。
感動、と言っても良かったが、この感情はそれとは少し異なっていた。


嬉しかったのである。


不謹慎ではあるが、自分に何かあれば『復讐の念に駆られ、それを抑える自信は正直言って無い』とまで義仲に言って貰えた事が。これは隆家とて同じであった。二人はともすると緩んでしまいそうになる頬を引き締める事に集中していると、

「では人手も増えた事ですから、今日中に近畿各国の在庁官人への書状を書き上げてしまいましょう」

に〜っこりと菩薩の様な無垢な笑顔を満面に浮かべた四天王筆頭・樋口兼光が、どさりと紙の束を文机に置きながら、鬼の様な分量の業務を捌くよう促しているのを、義仲以下四人の男達は、無言でその眩し過ぎる笑顔を見上げていた。


☆ ☆


「はるばるこの鎌倉まで、役目とは言え良くお越し下さいました。
朝廷よりの書状、確かにこの頼朝が受領致しました。
本日はゆるりとお休みになられますよう」

京の朝廷からの書状を受け取った頼朝は、使者に丁寧な挨拶と労いの言葉を掛けると、使者は手をつき一礼し、鎌倉の御家人達が見守る中、室から退出して行った。

頼朝はおもむろに書状を開き、内容にざっと眼を通すと、

「ほう。この度の源氏の挙兵に関しては、この頼朝が勲功第一、義仲が勲功第二と朝廷が定めた、と言う事だ」

幾許かの感慨を滲ませつつ言った。
と、


「「「おめでとう御座います」」」


御家人達が口々に慶びの言葉で応えた。
頼朝は眼を閉じつつ鷹揚に首肯いている。

「皆も今日は使者の出迎え御苦労だった。下がって良い」

御家人達は、ざっと一礼するや早々に退出して行く。
と、立ち上がろうとしていた御家人の梶原平三景時に、ちらりと頼朝は目配せすると、景時は素早く微かに首肯き、その場に静かに座り直した。

程無く皆が退出し、頼朝と景時二人だけが残された室に、

「お呼びとの事。失礼いたします」

声が掛かり、すっと入って来た者は二人にそれぞれ一礼すると腰を下ろした。

「広元。これをどう思う」

頼朝は手にしていた書状を差し出す。
広元と呼ばれた者は居座り寄ると書状を受け取り、素速く眼を通す。

「勲功第一は当然です。ですから別に朝廷に対して恩を感じる必要はありません」

聞く者にとっては冷徹と感じる様な声で答えた。
広元は書状を返そうとすると、頼朝は無言で景時に眼をやる。
その意を解した広元は景時に書状を渡すと、頼朝に向き直り、

「上洛せよ、との事ですが現時点で上洛する必要性は感じられません。
いや、上洛してはなりません。あくまでも現時点では、ですが」

書状に眼を通している景時を横眼で感じつつ広元は直言した。
頼朝は表情を変えずに、

「お前もそう思うか」

呟く様に言い、景時に視線を送る。
書状を読み終えそれを畳んでいた景時は、視線を合わせると大きく頷き、

「大江どのの申す通りかと」

「ふむ」

頼朝は応じると、沈思するかの様に再び眼を閉じた。


 この場に現れた三人目の者は名を大江広元といい、この鎌倉にやって来たまだ日が浅い。元々は京生まれの下級貴族で朝廷に出仕していたのだが、朝廷の現状に絶望していた折、義仲の攻勢を受けて平氏が都落ちしたのを期に、彼は思い切って鎌倉に下り頼朝に仕えて立身出世を図ろうと、現在ここにこうしているのであった。

 頼朝としては関東ので有力な武士達が多数、己れの配下の御家人となっていたので、これらを統率し自己の勢力を強め、またそれを更に大きくして行く為には、これらを管理する官僚機構が必要だと考えていた。その為、京での官僚経験のある者は何人でも必要だと痛感していたので、広元のような京を脱出して鎌倉へ来た者達を厚く遇して召し抱えていた。

 広元は下級貴族の官僚とは言え相当優秀だったらしく、鎌倉へ着いて間も無く、頼朝にその文筆の才能を見込まれるや、すぐに取り立てられ、公文書別当及び政所別当という役職を任されていたいたのである。これは鎌倉での異例の出世と言って良かったが、頼朝の見るところこの広元という者は単なる官僚では無く、優れた先見性と認識能力とを併せ持つ、なかなか頼り甲斐と使い甲斐のある者と認識されていた。

 そういう訳で頼朝は既にこの広元遠腹心として扱っていたのであった。
 そして広元もまた“頼朝のお気に入り”となった事を鼻に掛けてイイ気になる様な単純な男では無く、他者の嫉妬を招かぬ様に常に慎重に行動していた。その様なところがまた、頼朝に気に入られたのだろう。以後も広元は鎌倉で、綺羅星の様な御家人達の中から頭角を表し、その生涯に渡り重鎮として鎌倉幕府を主導して行く事となる。

 それはさて置き。京から鎌倉への書状の内容は大きく二つの点が強調されていた。

一つは勲功の事。
もう一つは頼朝に強く上洛を命じている事。

この二点以外の事にはほとんど触れられてはいなかったのである。

今、この三人が問題にしているのはこの二点めの上洛についての事であった。



「上洛するには時期尚早である、と私も思う。それに・・・」

頼朝は呟きつつ眉を顰めた。

「早期の上洛を命じ、また勲功第一と言う割には、頼朝様の官職復帰やそのお立場の事には一切触れられてはおりません」

言い淀んだ頼朝の不満を景時が代弁した。


 関東や東海の武士らを御家人として従え、鎌倉を本拠地に一大勢力を誇っているかに見える頼朝ではあるが、二十数年前の平治の乱[一一五九年]の折、謀反人として官位を剥奪され罪人として伊豆国に流罪された当時と、立場的には何ら変化が無いのである。つまり現時点での公的な頼朝の立場は、未だ罪人のままなのであった。


「では尚更、今は動く時ではありません」

広元はそう告げ、頼朝と景時を交互に見詰めると、

「京落ちしたとは言え、平氏は未だ西海で勢力を誇っております。
京を押さえている義仲がこれ以後、どこまで出来るか判りませんが、西海の平氏と京の朝廷双方を相手にしなければならない以上、必ずどこかで躓く事になるでしょう。
そうなれば朝廷は事態を収拾する為にも鎌倉を頼らざるを得なくなります。朝廷には事態を収拾するだけの力も能力もありませんから尚の事。
いずれその時が来れば朝廷の方から官職復帰を言い出す事と思います」

「ふむ。そうなるまで私はこの鎌倉に於いて足元を固めた方が良い、と申すのだな」

「御明察恐れ入ります」

広元が丁重に頭を下げる。
頼朝は首肯き大きく息を吸い込むと、

「これ以後、この鎌倉には朝廷からの使者が間を置かずにやって来る事となろう。その折には丁重にもてなしてやるが良い」

告げた。
現時点では動かない、という方針を決めたのである。
すっと眼を細めた頼朝は続ける。

「この鎌倉にも色々と意見を述べる者らがいるが、総てを決する事が出来るのはこの私一人だ」

恫喝では無い。
頼朝は自らに言い聞かせたのである。
広元と景時は同時に無言で手をつき深々と頭を下げた。
頼朝は独り言を呟く様に告げる。

「私はいずれ上洛する事となろう。いずれな。
そうなれば鎌倉や関東の事だけに拘わっている訳にはいかなくなる。
今に私は朝廷はおろか、義仲、平氏、陸奥、全てを相手にしなければならない時が来るだろう。
だが、今は朝廷だけを相手にすれば良い。
適当に相手をしてやれ。
何しろ朝廷にはやんごとない者達がひしめいているからな。
彼らは丁重に扱われれば、それだけで満足する様な者達だ。
せいぜい大事に扱ってやれ」

景時と広元はもう一度、頭を下げると無言で頼朝の許を辞した。




独り残った頼朝は、眼を閉じるとそのままの姿勢で、小さな後悔と闘っていた。

言わずとも良い事を口にしてしまった後悔とである。
最後に告げた事など、常々思っていた事とは言え、これまで口にした事も、ましてや誰かに告げた事など無かったからである。


(少し喋り過ぎた・・・私とした事が、いくら信頼している腹心の者とは言え、本心を洩らしてしまうとは・・・口は災いの元という・・・これからは口を慎しむ事としょう・・・)


頼朝は、まるで自分を罰するかの様に、長い間そのままの姿勢で佇んでいた。






 しだいに京では、治安回復に手間取っている義仲に対する失望や不満の声が住民を中心に高まっていた。

彼らは常に新しい人物を望むものである。
彼らの思い付いた人物とは、源頼朝その人であった。

義仲に代わって頼朝が京に来てくれれば、全てが良い方向へと進む、と楽天的に思い付いた結果であった。


更に驚くべき事に、朝廷もこの住民の思い付きに乗っかったのである。
法皇、公卿、貴族らも、住民と同じ様な事を同時に思い付いた結果、これ以後京からは頼朝の上洛を催促する使者が多数、鎌倉へと向かう事となるのである。

頼朝の予言した通り・・・