諏訪
諏訪次郎・諏訪三郎
諏訪市(諏訪大社上社)
諏訪次郎が横田河原合戦・倶利伽羅合戦、諏訪三郎が倶利伽羅合戦に名がみえる。
諏訪大社は平安末期に書かれた「梁塵秘抄」で関より東の軍神の3つとして歌われている。
吾妻鏡には、平家物語では語られない諏訪大社上社のエピソードが記されている。
治承4(1180)年9月に甲斐源氏の武田太郎信義・一条次郎忠頼は信濃にいる平氏方を討とうと進軍してきた。上社の近くで宿泊していたところ、上社大祝・諏訪篤光の妻が現れ、諏訪大明神の神託を告げたという。武田・一条はそのことばを受け伊那郡大田切郷の管冠者に兵を向けた。菅冠者は館に火をかけて自害し、戦にはならなかったという。