義仲戦記33「西へ」
「これより我らは院宣を奉じ平氏一党の討伐を果すべく西海へ出陣する!
出発!」
後白河法皇より追討大将軍に賜る節刀を引き抜き、それを右手に高く掲げ、義仲は号令を発した。
「「「おおおっ!!!」」」
短く将兵らが応じ、義仲勢は第一軍大将海野幸広を先頭に出陣して行った。鎧の擦れる漣の様な音を響かせながら。
寿永二年九月二十日正午。
晴れ渡る秋の高い蒼穹に源氏を示す純白の旗を幾条も靡かせ、進軍して行く兵馬の足元に濃い影を落としていた義仲勢総勢一万五〇〇〇騎が、間も無く兵馬の起こす土煙りに足元はおろか、棚引く白い旗すら霞に紛らせて京を後にして行くのを、四天王筆頭樋口兼光は鎧の立てる音が消え、土煙りが風に流されて消えるまで馬上から見送っていた。
京に留まる兼光は想像していたより、待つ身となった己れの心に負担が掛かっている事を自覚し、小弥太では無いが
(出陣して行く方が気は楽なのかも知れん、これよりは皆の安否を心配し気を揉む事になるだろう)
と少し寂しげに笑みを浮かべたが、すぐさま表情をを引き締めると馬の手綱を引き、彼に任された仕事の待つ六条西洞院の邸へと馬を駆けさせる。
感傷に浸っている暇は無かった。義仲が京に戻るまでの一切の業務を、彼が仕切って捌いて行かなければならないのである。
この日から京では、不思議と言えば不思議な、しかし当然と言えば当然な事態が発生する事となった。
つまり京で再び狼藉騒ぎが頻発し、改善傾向にあった治安状況が悪化の一途を辿ったのである。今まで京に於ける狼藉騒ぎの張本人であると噂され、またそう信じられていた義仲が京から去れば、狼藉など無くなるものと思っていた住民らであったが、事態は逆になり狼藉が多発し出すと、彼らは(あれ?何で?どうして?)と不思議に思いながらも再び不安な日々を過ごさなければならない事を嘆いていた。
が、これは別に不思議な事でも何でも無い。京中守護と市中警護を兼ねた義仲勢の大半が出陣し京から居なくなれば、当然、警備能力は弱まる事となり、そうなれば今まで義仲勢を恐れて犯罪行動を控えていた強盗らや相伴源氏の連中が活発化してしまうのは当然の成り行きだったのである。
だが、直接の被害を被る住民らには、信濃・上野・北陸・近江の兵らを中核とし、市中警護の任務を果たしていた義仲直属の軍勢と、相伴源氏と呼ばれるこれまで一度として義仲勢と共に戦った事など無い、単に義仲勢の進軍の勢いに便乗して入京しただけの尾張・美濃・三河・摂津・甲斐そして京周辺の源氏の兵などを見分けられる筈も無く、その内情を知る由も無い以上、入京して来た源氏勢を一緒くたに全て義仲勢だと思ってしまうのは無理のない事であった。しかも義仲直属と共に戦い、共に行動し、ましてや京中警護の任に就いている新宮行家の郎等らが狼藉を働いていたのであるから、尚の事、住民らには訳の分からない事態となっていたのである。
こうして再び京ば動揺する事となり、義仲に代わり京の治安に関する全権を委ねられた四天王筆頭樋口兼光には、これ以後“鬼のいぬ間に何とやら”を地で行く相伴源氏ら狼藉者の取り締まりに奔走し、正に寝る暇も無い程の激務を熟して行かなければならなかったのである。
「鎌倉の頼朝は危惧しておられます。
それは入京以後の義仲の兵らが犯した狼藉の数々。
並びに本日出陣したとは言え、平氏一党に対する追討令が早々に発せられていたにも関わらず、これに服するふりををしながら、言を左右し無用に出陣を遅らせた事は、正に追討懈怠であり、実に怪しからぬ振る舞いである。
と申されております」
そう告げた鎌倉からの使者を、御所殿上の間から下がらせた源宰相中将通親は、頼朝からの書状を御簾の前に置くと平伏した。
程無くして御簾が巻き上げられ、書状に眼を通し終えた後白河法皇は、
「使者の口上と同じ事しか書いておらん」
つまらなそうに言い捨てた。
と、くすくすと忍び笑いがする。
通親がそちらの方に視線を移すと、袂で口許を覆い、さも愉しげに眼を細めて笑っている女官と眼が合った。
「鎌倉どのの上洛の事で色良い返事が書かれていないからといって拗ねておいでとは。
法皇陛下はまるで童の様ですわ。通親どのも呆れておいでですよ」
丹後局は揶揄う様に言うと、通親もにっこりと笑って応じた。
一方、法皇は口をへの字に引き結び、むふーっと大きく鼻から息を噴き出すと、無言で二人を交互に見ている。
この時、法住寺御所殿上の間にいるのは、この三人だけであり、普段の公卿らとの会議と比べると、その雰囲気はまるで違っていた。
何やら親密な空気の中で、今後の政治的決定の為の内内の会議、というよりは、身の回りの事に付いての私的な相談事、の様なくだけた調子で重要な事柄を話題にしているのである。
「まぁ御気になさいますな。
頼朝も拗ねているのです。法皇陛下と同じく。おっと不敬でした」
笑顔のまま通親が言い添え、取って付けた様に法皇に詫びた。
「もう良いわ。まったく二人して儂を笑いものにしおって」
片手をひらひらさせて法皇が苦笑しつつ言う。
そのままのんびりと続けた。
「頼朝が拗ねている、とはどう言う事だ?通親」
「上洛を要請したこちらが、見返りを用意してやらなかったからですよ」
「ああ。そう言う事か」
「いくら気前の良い鎌倉どのでも、さすがにただでは動きませんわ」
丹後局が心底愉しげに会話に加わる。
これは鎌倉に京からの書状を届けた使者に、頼朝が何故か不相応なくらい沢山の贈り物をした事を皮肉っているのであった。
と、その切れ長で美しい瞳を一瞬きらりと光らせ、
「義仲の事を鎌倉どのから言い出したのは、こちらとしても好都合というもの。未だ流人の立場の鎌倉どのが一番欲しているものを与えると匂わせて、義仲との対立を煽ってやれば、今後鎌倉との交渉で優位に立てますわ。
いかが?」
「さすがじゃな」
「私も丹後局どのと同じ事を考えていました。
頼朝には官位の復籍をちらつかせてやろう、と」
「ほほほほ。通親どのと私は考え方が似ていますわね」
“法皇の無双の寵女”と陰で畏れられ、またそう自認している女官は、近頃法皇の腹心として権力を強め、頭角を表して来た男を頼もしげに見詰めながら、上機嫌に言った。
通親もまた珍しく作り笑いでは無い笑顔で、局の視線を受け止めて一礼した。
どうやら丹後局の通親は気が合うらしい。
それも女と男の関係といったありふれた陳腐なものでは無く、お互い権力を行使する政治家として。
ただ他人の表情から本心を読み取る事にかけては天才的な通親はこの時、丹後局の微妙な表情の変化を見逃さなかった。
彼女が「義仲」と口にする時、ほんの僅かに眉を顰めていた事に。
(丹後どのは余程、義仲に対して含むものがあると見える)
通親はそう感じつつも笑顔のまま答えた。
「恐れ入ります」
「では通親。鎌倉へ送る書状を書くが良い。
一応、儂が眼を通し、公卿会議にかけた後、正式な書状として鎌倉へ送るとしよう。
丹後局と相談し官職の復籍を餌に頼朝を釣り上げるのじゃ。
せいぜい義仲の事を大袈裟に書き綴り、鎌倉に籠ったままの頼朝をその気にさせて見せろ」
☆
「またしても上洛を強く催促して来ましたが、早々に頼朝様の官職復籍について朝廷が匂わせて来ました。しかし・・・」
「景時どのの懸念は解ります。この書状には“朝廷では頼朝様の官職を元に戻す事も話し合われている”と書かれているだけで、はっきりと決定した訳ではありません」
京からの書状が届くと、頼朝は即座に腹心の梶原景時と大江広元を政所という政庁の一室に呼び出し、今後の対応を協議していた。
頼朝の待つ室に二人が入ると、もう既にそこには張り詰めた空気が充満し、景時と広元は無言で座に着くと差し出された書状を素早く読み終え協議に入った。
「だろうな。朝廷はこの私の鼻っ面に餌をぶら下げたつもりのようだ。
義仲の事が多く書かれている事も私を焦らせ上洛を早めさせる為のものだろう」
普段の眼付きも決して温かいとは言えない頼朝が、更に一層冷やかな眼をして吐き捨てる様に言う。
「仰る通り。朝廷はこちらの要望に応えてはいません。
しらばっくれている、と言っていいと思います」
「広元どのの言う通りです。
ではいっその事、義仲に関してその様にお困りならば、それに対する策を授けてやる、という態でこちらも恩着せがましい書状を返す、というのはいかがですか?」
「ふむ。策か・・・どの様なものだ?」
「義仲と行家の間に亀裂を作り、齟齬を生じさせ、両名対立の果てに共倒れさせよ。です」
「その様な事は既に朝廷の公卿らは実行しておるわ」
「だから良いのです。
相手がしらばっくれている以上、こちらも同じ事をするだけの事」
「それは良い考え。いかがです?頼朝様」
広元は薄く笑みを浮かべ、景時の考えを実行するよう頼朝に勧めた。
続けて、
「こちらからの返書には、義仲を封じる策として景時どのが仰られた時を書き記した後、こう付け加えれば良いのです。
“その策を実行しても余り効果の得られない時には、私が義仲を討ってやっても良い、と私個人は考えている”と」
広元が一気に言うと、景時もにやりと口元を歪めて大きく頷いた。
頼朝は少しの間、考えを巡らせていたが急に表情を緩めた。
その時頼朝は笑っていた。
嘲笑じみた笑いだ。
だが、その細められた眼だけは笑っていない。
「それで良い。だが、これだけは心に留めておけ。
返書は謙りつつもこの上無く恩着せがましく書いてやれ。
読む者が腹を立てるくらいに」
☆ ☆
「“義仲を討つ”では無く“義仲を討ってやっても良い、
と考えている”か。
慎重なのは良いが随分と持って回った言い方だな」
「鎌倉どのは法皇陛下に言質を取られまいと必死なのでしょう」
丹後局は軽く応じると、
「それでもようやく喰らい付いて来たと思いますわ。
どうかしら、そろそろ鎌倉どのを流人の悲哀から救っておやりになる頃合いだと思いませんこと?」
「丹後の方が気前良く見えるぞ」
法皇が横眼で丹後局を茶化す様に応じた。
そして、お前はどう思う?という意を込めた視線を通親に向ける。
通親は視線を受け止めると小さく一礼して告げる。
「官職を復してやりましょう」
「ふむ。お前も丹後と同じ考えか」
「法皇陛下。考えても見て下さい。
例え頼朝の官職を復してやったところで、朝廷としてはどうと言う事もありません。勲功第一の褒賞として、元々頼朝が持っていたモノを返してやるだけの事です。何かを上乗せして与えてやる訳では無いのですから」
「そうですわ。落とし物を元の持ち主に返すだけですものね。
こちらは何の損もしない。
しかし鎌倉どのはそれだけで大仕事を背負い込む事になるだなんて」
丹後局は可笑そうに、しかも愉しそうに言い添えた。
「それはそうじゃな。
余り待たせ過ぎると今度はこちらを恨むようになるからの」
法皇は呟くと、
「良し。公卿会議で正式に頼朝の官職を復し、時を置かず鎌倉へと書状を送れ。ただし、上洛する事が前提である事を強調する事を忘れるな。
くどい程書くのじゃ。良いな」
☆ ☆ ☆
京と鎌倉の間で、この様な書状の遣り取りが盛んになっていた頃。
「播磨[兵庫県南西部]を過ぎれば備前[岡山県南東部]だ。
いよいよ平氏方の勢力圏に足を踏み込む事となる。
郎等の報告では讃岐[香川県]屋島に本陣を構えた平氏は、船を使い盛んに備中[岡山県南西部]と往来しているという。
どうやら平氏方は戦場を備中沿岸に設定し、我が軍を待ち受けていると思われる」
義仲は麾下の武将達に向かって告げた。
京を出陣した義仲勢は山城[京都府南部]、摂津[大阪府北部、兵庫県南東部]を抜け播磨[兵庫県南部]に入った十月九日の夜、軍議を開いていた。
「平氏方の軍船の数はどれくらいなのですか?」
第六軍大将今井兼平が訊ねる。
「詳細までは判ってはいないが、報告では大型船約一五〇叟、小型船は三〇〇叟以上」
義仲の答えに、諸将達がどよめいた。
「・・・四五〇叟以上とは・・・さすが平氏というところか・・・」
第五軍大将山本義経が感嘆しながら呟いた。
「まァ瀬戸の海は海賊討伐で鳴らしたヤツらの庭みてェなモンだし、そう来なくっちゃ面白く無ェ。
マジんなった平氏方の戦いってヤツを見せて貰おうじゃねェか。なァ!」
「小弥太の言う事も分かるが、平氏方が軍船を増やして行くのをこのまま黙って見過ごす訳にも行かん」
義仲がやんわりと釘を刺すと続ける。
「明日より我が軍を二手に分け、第一、第二軍からなる搦手の軍勢五〇〇〇騎を備中に先行させる」
「はっ!」「はっ!」
搦手総大将海野幸広、搦手副将矢田義清が応じた。
「我が軍がこれまでに調達出来た全ての船三五〇叟は、搦手の部隊に任せる。その運用や部隊の総指揮は海野、矢田が行え。そして平氏の軍勢を牽制した彼らの行動を出来るだけ封じ込めろ」
「はっ!」「はっ!」
「大手の軍勢一万騎はこれまで同様、軍船を調達、徴発しながらの行軍となる。先行した搦手に追い付くには時間が掛かる事となろう。
大手と搦手の軍勢が合流したところで戦端を開くのが理想的と言える。
である以上、こちらから戦さを仕掛ける事は控えてくれ。
我らは常に受けて立つ戦いを己れに課してきた。
今までもそうであったし、これからもそれは変わらない。
決してこちらから戦さを仕掛けてはならん。
ただし、平氏方が仕掛けて来る事は十分に予想される。
その場合には遠慮はいらん。大手の軍勢を待つ事無くこれを迎え撃て」
「はっ!必ず御期待に応えてみせましょう!」
搦手副将矢田義清が気負って応じ、
「搦手の軍勢を一端御預かりいたします」
搦手総大将海野幸広が落ち着き払って応じた後、深々と一礼した。
「搦手の部隊に酒を届けさせておいた。
明日からの進軍に備え、今夜は郎等達と酌み交わして鋭気を養ってくれ」
義仲は穏やかな笑顔で言うと、搦手に配属されている武将達は立ち上がり、
「「感謝いたします」」
声を揃えて応じると本陣から退出して行く。
と、海野幸広はふと立ち止まり義仲を振り返ると、
「兵達にも義仲様の御心遣いが十分に届いておりましょう。
彼らになりかわりもう一度御礼を申し上げます」
慈愛に満ちた表情で一礼すると陣幕を潜り出て行く。
本陣を出たところで第二軍の矢田義清、仁科盛家と別れ、第一軍の部隊に戻る為、松明を掲げて海野幸広と高梨高直が歩いていると、黒い僧衣の上に鎧を纏い錫杖を肩に立て掛け、樹に寄り掛かり夜空をぼ〜っと眺めている横顔が照らし出された。海野は高梨を先に部隊に帰らせると、
「お前は夜空を眺めるのが好きだな」
「ああ。作戦の立案と実行には出番が無いからね、俺は」
夜空から眼を離さずに覚明が答えた。
(それでも今まで軍議だろうが何だろうが、皆が集まる時には必ず顔を出していた様な気が・・・)
海野はこう思ったが、口には出さず別の事を訊く。
「そう言えば信濃にいた時も、合戦の前には必ずそうして夜空を見上げていた。何か見えるのか?」
「星以外、何も見えないっすよ。
でも星が何かを報せてくれる事もあるもんでね。
本当に偶に。
まぁガキの頃から星を見てましたから、もう癖、というか暇つぶし、みたいなもんすよ」
覚明は何故か自嘲するように苦笑した。
海野は覚明の声を聴きつつ、同じ様に夜空を見上げるとしばらく無言で星を眺めていた。
と、
「義仲様から搦手の部隊に出陣前夜の酒が届けられた。
偶にはお前と呑むのも良かろう。覚明、どうだ付き合うか?」
「ヘ?いいんすか?」
驚いた顔をして海野を見た覚明だったが、次の瞬間には既ににま〜っと満面に笑みを湛えると、海野から松明をひったくり、
「ささ。参りましょう。
搦手総大将の足元は拙僧が照らして行きます。お早く、お早く」
その総大将を置いて行きそうな勢いで、錫杖を鳴らしながら覚明は足を速める。
海野は苦笑しながらもう一度、夜空を見上げると、急かされるままに覚明の後を付いて行った。
☆ ☆ ☆ ☆
「先ずは朝廷に官職復籍を認めさせた事、おめでとうございます」
梶原景時が祝いの言葉を告げ、大江広元と共に深々と頭を下げた。
頼朝は無言で頷くと、
「全てはこれからだ」
低く応じた。
「その通りです。しかしこれで我らは義仲を討つ、という責務を負わされました。その事はいささか・・・」
「割に合わぬ、と申すか。景時」
鋭い眼で睨め付けた頼朝に、景時は無言で手をつき頭を下げる。
その様子を冷たく見ていた頼朝は、大きく息を吸い込むと静かに長く吐き出しながら、
「・・・私もそう思わないでも無い・・・」
苦々しく呟いた。
と、
「そうお思いでしたらいっその事、次の返書で頼朝様の東国に於ける支配権を認めよ、と書き送ってはいかがでしょう」
広元が提案すると、頼朝と景時の眼は同時にキラリと光った。
「今回の朝廷よりの書状には、正式に頼朝様の官職復籍は認められましたが、上洛を強く勧めているにも関わらず、義仲を討て、とは明確に書かれてはいません」
「成程。広元どの、こう言う事だな。つまり支配権を認めさせる事を条件に、義仲追討の院宣を正式に出させる、と」
「その条件が整わないうちは上洛などはせん、という事だな」
頼朝は自分に言い聞かせるように呟く。
景時と広元はじっとあるじに視線を注ぎ、返答を待っていると、
「それで良い。そのつもりで返書を書いて送れ」
簡潔に頼朝は命じた。
「ではこうしましょう。東日本全域の支配権を認めよ、と書き送ります」
景時が言うと、さすがの頼朝も一瞬驚き息を飲んだ。
それもその筈、現時点で頼朝が実効支配している地域は、関東・東海の一部に過ぎず、藤原秀衡の陸奥、義仲の東山・北陸などは頼朝の勢力圏では無いのである。頼朝が驚くのも無理はなかった。
と、
「そうですね。その方が効果的かもしれません」
広元が考えつつ言い添える。
続けて、
「現在の実効支配している地域を認めよ、と朝廷に願い出てもどこかの地域が認められずに、下世話な言い方ですと、値引きされるのがオチです。ここはこちらが大きく出た方が得策というもの」
「その通り。それにさすがに陸奥は認められる事は無いでしょうが、義仲の実効支配地域のどこかが頼朝様のものとして認められる可能性は十分にあります。
我ら鎌倉と義仲を対立させたい思惑の朝廷とすれば、こちらの意図が透けて見えているとは言え、この申し出には乗らざるを得ないでしょう。であれば必ず義仲の支配地域を削り、頼朝様の支配地域として認めてくる筈です」
頼朝はじっと眼を瞑り、しばらくの間、頭の中で二人の語った提案を吟味していた。
それを見守っている景時・広元が幾分不安になる程に。そして二人が眼を見交わした時、
「それを是とする。敢えて朝廷の思惑に乗ってやろう」
言いつつ頼朝は立ち上がり、室から退出する為に歩を進ませながら、
「返書は二人に任せる。これからも私に知恵を貸せ」
呟いた。
☆ ☆ ☆ ☆
「鎌倉が欲張って来おったわ」
返書を読み終えた後白河法皇は、せせら笑いながらその書状を床に放った。
通親は放り出された書状に居坐り寄り拾うと、丹後局に渡す。
「あら。通親どの、有難う御座います」
受け取りながら流し眼をちらりと通親に送ると、ひらりと書状を広げ眼を通していく。その間、殿上の間は閑けさに包まれていた。
と、
「ふふふ・・・」
読み進める丹後局の忍び笑いが軽やかに響いてきた時、通親の前に書状が差し出される。
一礼した通親が素早く書状を読み終えると、
「鎌倉どのの気前の良さは、見返りを求めての事だったようですな」
溜め息混じりに言った。
が、その語尾は冷たく、通親にしては珍しく抑えた怒気すら孕んでいた。
「言うに事かいて東日本全域の支配権を求めて来るとは、何かの王にでもなったつもりなのであろうよ」
法皇は呆れ果てた、と態度に表しながら言った。
「ふふふ。このまま調子に乗り続けたら、日本の王にでもなってしまうかもしれませんわね。鎌倉どのは」
「この儂[法皇]や後鳥羽[天皇]倒してか?それは何とも畏れ多い事よ」
「怖い、恐い、ふふ」
法皇は丹後局と話しているうちに、不愉快な気分が幾分和らいできた事を感じ、気を取り直すと、
「さて、ではどういたそうかの?」
他人事の様に二人に訊いた。
「義仲追討の院宣はいずれ正式に発する事になるでしょうが、その見返りに支配権を要求して来るとは、少しばかり頼朝を甘く見ていました。法皇陛下、申し訳ありません」
通親は法皇に詫びた。
「良い、良い。鎌倉を甘く見ていたのは儂も同じじゃ」
「失礼ながら、御二人がその様に殊勝にしているところを見るのは初めてですわ。何か得をした気分」
丹後局が唄うように愉しげに言うと、法皇と通親は眼を見交わして苦笑している。どうやら不愉快な気分は一掃されたらしい。
「鎌倉どのの事にしても、自分の価値を吊り上げて陛下に高く売り付けようとなさるなんて、可愛いものじゃありませんか。
遠くで懸命に背伸びをしていると思うと、頭を撫でてやりたくなる程いじらしいですわ。通親どのは、そうは思わなくて?」
「招待された訳でも無く、いきなり京に入って来る者よりは余程マシではあります。が、招待状を送り続けても一向に来る気配が無い、というのは私としては面白くありませんね」
「ふふふ。貴方らしい言い方ね。
でも支配権、とやらはお認めになるおつもりなのでしょう?」
「そうなりますね。しかし」
通親はすっと眼を細め、まるで笑顔の様な表情になり続ける。
しかしその眼には、この上無く冷たい何かが宿っていた。
「鎌倉の望み通り認めてやる訳にはいきません。
頼朝には関東・東山道の支配権のみ、というところが妥当というものでしょう」
「まぁ意地の悪い事。東海では無く義仲の支配する東山道をお認めになるとは」
「東日本全域の支配権を認めろ、と豪語して来た頼朝です。
せめて義仲の支配する上野[群馬県]と東山道くらいは己れの実力で、奪うなり何なりして貰わなくては」
「おお!関東にも義仲と頼朝の諍いの種があったのう!」
ここまで黙って聴いていた法皇が、イイ事思い付いた、という様子で声を張り上げた。
「その通りです陛下。
関東、と一口に言っても上野は義仲に帰属しています。
その上野を敢えて両者に与えてやる事で、葛藤は更に深まって行く事になるでしょう」
「しかも、義仲には東山道と北陸道の支配権をお認めにならずに、上野と信濃[長野県]だけ。素晴らしいわ。
これから鎌倉どのと義仲はどの様に舞ってくれるのかしら」
丹後局は遠くを眺める様な眼をして、夢見る様に呟くと、通親は笑顔で応じ、法皇も納得したのか何度も首肯きつつ、
「我らにとって素晴らしい舞になる事であろう。
見応えが増し、面白いものになればなる程、両者は傷つき合いながらも真剣に舞う事となる。
痛ましい事この上無いが、血を流し力尽き、どちらかが斃れるまで舞う事になるであろうよ」
法皇は一応、眉を顰めて痛ましそうな素振りで言う。
が、その口調には何の実感も同情も伴ってはいなかった。
☆
「義仲追討の院宣まで添えて来るとは。
朝廷とは手回しが良いのか、節操が無いのか」
頼朝は侮蔑を込めた冷たい口調で言った。
それもその筈、今回の院宣で追討の対象になっている義仲は現在、平氏追討を他ならぬ後白河法皇の院宣によって遂行中であるからだ。
つまり、平氏の追討に赴いている義仲を、今度は頼朝が追討に向かう、という訳の判らない状況になっているのである。
頼朝がこうした朝廷のいい加減なやり方に呆れるのも当然の事ではあったが、こうした状況を強く望んだのも、その頼朝なのである。
その彼に朝廷のやり方を批判する資格は無いのだが、頼朝は敢えて良識ぶっていた。要は格好を付けたのである。
と、
「それでなくとも頼朝様に関東・東山道の支配権を認めておきながら、上野と信濃は義仲に与える、とは矛盾も甚だしい。
朝廷がここまで露骨に我らと義仲の潰し合いを迫って来るとは」
景時は落ち着いた述べてはいるが、やはり言葉の端々に怒りが滲み出ていた。
「しかし景時どの。それを望んだのはこちらも同じ。
確かに朝廷の見境いの無さには呆れますが、こちらが望んだ事はほとんど果たされたのもまた事実です。それに」
広元が宥める様に言い添えると、頼朝は最後まで聞かず強引に己れの主張を被せる。
「それに細かい事はどうあれ、全体としては鎌倉のこの私と京の朝廷の法皇は同じ方向を向いた事になった。この事の意味するところは大きい」
景時と広元は同時に大きく首肯いた。
「私とて朝廷の策謀めいたやり方には思うところがある」
やはり自分の事はきれいに棚に上げる頼朝。
「だが、これで我らの立場は強化され、公正明大に行動する事が可能となった。そこで」
頼朝は一旦言葉を切り、あらためて景時・広元に眼をやると、
「我らは朝廷の命令に従い、院宣を奉じ義仲の追討に向かう」
「!」「!」
景時と広元は眼を見開き、息を飲んだ。
頼朝は落ち着き払ってそんな二人をじっと見詰める。
しばらくの間、無言でいた三人だったが、景時はちらりと広元に目配せした後、思い切って告げた。
「頼朝様の決定に異存は御座いません。
御家人らも悦んでこれに従い、出陣する事でしょう。しかし、これに異を唱えて来る者がいるかも知れません」
「・・・上総介広常の事を申しておるのだな・・・」
押し殺した声で頼朝が応じた。
上総介広常はその名が示す通り上総[千葉県中部]の豪族だ。
頼朝が挙兵し石橋山の合戦に敗北した後、海を渡り安房「千葉県南部]に敗走して来た頼朝を、配下の二万騎の軍勢と共に援けた武将であり、鎌倉を拠点に頼朝が一大勢力を築く事が出来たのも、偏にこの上総介広常の支援の賜物なのであった。広常が、今の頼朝があるのは儂のお陰、と自負していたのも無理は無く、またその通りなのではあったが、広常の態度は、頼朝をはじめ鎌倉の御家人らの間でも煙たがられ、顰蹙を買ってもいたのである。
更にこの広常の政治的関心と野心は関東のみに限られ、他の地域、陸奥・東山道・北陸道・東海・ましてや近畿・京・山陽道・山陰道・四国・鎮西にまでその視野と関心と野心を拡げる事など考えた事も無い彼は、近頃、頼朝が頻繁に京と書状を交わし、関東の事よりも京の政治的状況の方に関心を示している事を苦々しく思っていたのである。
三年前[一一八〇年]の富士川の合戦で平氏方に勝利した頼朝が、その勢いを駆って上洛しようとした時に、頑としてこれを認めず、頼朝に上洛を断念させた事も過去にはあった。
それは先ず第一に鎌倉や関東で政治的地盤を確立する、という広常の政治的見通しは今から思えば正しかったのであるが、広常の考えは今に至るも変化しておらず、政治的または軍事的状況の変化に対応して活動範囲を拡大して行きたい頼朝にとっては、上総介広常が邪魔、とは言わないまでも、少々持て余す存在になって来ていたのを感じていた。
「あの頑迷さにはほとほと手を焼く。
確かに広常には多大な恩を感じてはいるが、いつまでもその事を恩に着せる様な真似は、組織としての鎌倉にとってこれからは害となり得る」
無表情に頼朝が言う。
と、広常の話しはここまでだ、と言わんばかりに幾分表情を緩めると、
「院宣が発せられた以上は出陣する。この決定は覆さん」
あらためて念を押す様に命じた。が、ふと何かを思い付くと、
「院宣を届けた使者には京への引き出物をこれまでより多く持たせてやれ。それと返書には今まで以上にこちらが謙って書くが良い」
広元に命じた。
「承知致しました」
「この従五位下左兵衛佐源頼朝が京に正式な返書として送る以上、使者に持たせる引き出物とは別の贈り物が必要であろうな」
「ではこういうのはいかがでしょう。平氏が押領していた院・宮家・貴族ら・寺社の荘園領地を元の領主に返還させ、更に降伏した平氏方の武士の処罰遠免じてやる様に朝廷に申し出る。というのは」
広元は既に考え付いていたのであろう。
間を置く事無く、すらすらと答えた。
「成程。それは良い考えだ。正式の返書となれば公卿会議で奏請される。貴族や公卿連中にはさぞかし耳に心地よく響く事であろう」
景時は大きく首肯きつつ、広元に頼もしげな視線を送り同意した。
「これからは武士だけを相手にして居れば良い、という訳にも行くまい。
貴族や寺社の連中の歓心を買っておくのも邪魔にはならん。
では広元。その様に書き、使者に持たせてやれ。引き出物と一緒にな」
頼朝は二人に指示すると、景時と広元は手をつき深々と頭を下げた。
頼朝は最後にもう一度命じた。
「御家人らに出陣の準備を命じておけ。
それとこの事も伝えろ。私が全軍を率い出陣する、と」
☆
頼朝の贈った引き出物と共に使者は返書を携え京に帰った。
すると貴族らは太っ腹な頼朝を褒め称えた。実に単純ではあるが、モノを贈られて嫌な気分になる者などそうはいない。そんなものだ。更に頼朝を讃える声は公卿会議で法皇御臨席のもと返書が奏請された時、その頂点を極めた。
列席していた右大臣九条兼実は感極まったかの様に、
「鎌倉どのの何と行き届いた申し入れ。
さすがに京の気風に精通しておられる。
不運があったとは言え、官職に復した早々、この様に申し出られるとは。義仲などとは違い、全く優れているとしか言い様が無い」
などと感動しては左大臣経宗あたりと感嘆して喜び合っている。
御所殿上の間に満ち溢れた頼朝に対する楽観的な期待と歓喜の中、宰相中将通親もまた笑みを浮かべながらこの雰囲気の中に溶け込んでいたが、心の中では全く別の事を考えていた。
(左右の大臣ともあろう者が、あの様に単純な者達とはな。
たかが武士相手に一喜一憂している事が公卿として恥ずべき事だという事すら忘れ果てていると見える。
貴族側の人材と能力の欠如は極まったとしか言い様が無い。
まぁだからこそ国内は今の様な内乱状態には立ち至ってしまった訳だが、彼らごときの知恵でその事の重大性に気付く者もいないだろう)
穏やかに笑みを浮かべながら通親は、まるで頼朝を救世主のごとく勘違いし、はしゃいでいる公卿らを侮蔑の思いを込めて見詰めていた。
国内で戦乱が勃発する、という事は中央政府である朝廷の統治能力が不足している事に他ならない。
通親はこの冷厳な事実を理解している数少ない公卿の一人であった。
しかしこの現実を見据えた冷徹無い政治家は、戦乱を一日も早く終わらせ朝廷による統治の回復を実現するよりは、戦乱による無政府状態を最大限に利用し自己の栄達を図る為だけに、その能力の総てを注いで行く事になるのであった。
そして通親と同じ様な事を考えている者がもう一人、この歓喜の場にいた。その者も悦ばしい笑みを浮かべながらも、ちらりと通親に視線を送ると見詰めて来た。通親はすぐにこの視線に気付くと表情を満面の笑みに変化させ、ゆっくりと大きく首肯いて見せた。
視線を送って来た丹後局に。
こうして鎌倉と京との間で行われた腹の探り合いにも似た、主張と要請と命令と妥協と合意の産物である院宣が発せられる事となった。
この両者が強く望み、また最初から最後まで合意していた唯一の事柄は、義仲の排除、にあり、この事が両者の提携を実現させた最大の要因なのであった。
軍事力を持たない朝廷が、頼るべき相手を平氏から源氏の義仲に、そして同じ源氏でも義仲から頼朝に方針を変更させた事となり、重要な方針転換が為されたのである。義仲を除いて行われたこの方針転換の決定以後、鎌倉の頼朝と京の法皇はお互いの持つ力を利用し、この戦乱の時代を乗り切る為に共闘して行く事となったのである。
この院宣を“寿永二年十月宣旨”という。
「伝令を本陣へ!」
義仲勢大手第六軍大将今井兼平の声が鋭く飛んだ。
軍船の調達、徴発の為に進軍を留めていた義仲勢大手一万騎の本隊に、先発していた搦手五〇〇〇騎の部隊からの伝令が早朝に到着し、直ちに本陣に案内された。
搦手の部隊からは定期的に伝令が発せられていたが、前回の伝令では遂に、
『敵平氏方と遭遇した為、我が軍は本陣を構築。
敵も海の対岸の小島に本陣を構えている模様。
現在、戦闘には至っていないものの戦端が開かれるのは時間の問題。
敵の詳しい兵員数は不明。
我らの軍船四〇〇叟に対し、平氏方はおよそ五〇〇から六〇〇叟』
との報告がなされていた以上、伝令を迎える本陣の空気は張り詰め、そこに居並ぶ義仲以下の麾下の武将達にも戦場独特の緊張感が漲っていた。
と、間を置かず陣幕を潜り一礼した伝令の郎等を見た諸将は、ふと違和感を覚えた。
が、その違和感が何に由来するのか考えつく間もの無く、伝令の郎等は大声で告げた。
「去る閏十月一日!我ら搦手部隊は備中水島に於いて平氏方と開戦!
しかし我が軍に利あらずこれに敗北!
我が軍は潰走!
現在侍大将仁科盛家どのが殿[しんがり。部隊の最後部]に着き辛うじて壊滅を食い止めている現状!
敵平氏方に討ち取られた将兵はおよそ一二〇〇を超え、その中には搦手総大将海野幸広どの、副将矢田義清どの、侍大将高梨高直どのも含まれています!」