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義仲戦記21「山門調牒①」

六月一日。
この日、北陸加賀国[石川県]篠原の地に於いて十万騎を擁した平氏方追討軍は壊滅した。
しかし同日、運命の巡り合わせとは皮肉な事に、都ではこの追討軍の勝利を祈願する為、各地の有力寺社に戦勝祈願の使いを出す事が決定。

二日後の六月三日。
平大納言時忠[清盛の妻、時子の兄]を奉幣使として、伊勢・八幡・賀茂・松尾・平野・春日・住吉・日吉・祇園・北野の十社に遣わしたのである。



この時点で北陸では平氏方追討軍は敗北し、あまつさえ壊滅しているのであるが、都にはまだその報せが届いていなかったのであった。


が、この様な神頼み的な暢気なことをしていられたのも、この日までであった。


六月四日。
都に追討軍からの早馬が到着し、『去る六月一日、北陸加賀篠原の地に於いて我ら平氏方追討軍敗北す。ここに官軍壊滅せり』との凶報が達せられた。が、この報に接した都の者達の反応は二分していた。

追討軍に参加し、北陸戦線に参戦していた武将や兵らの親・兄弟・妻子達は一番聞きたくなかったであろうこの報せに、悲しみ、そして哭いた。その涙、その悲しみがどれ程のものであったかは、想像力を絶する。

だがその一方で、

「戦時中にはこの様な根拠の無い噂や流言蜚語が拡まるものサ。
ボクはこんな情報に惑わされずに、先ず疑って掛かるヨ。
ソレが冷静で理性的で都会的な判断ってものサ。
ま、結果は焦らなくても今に分かるサ」

などと、御託を並べて信じようとはしない者も多かったのである。
まぁこんな奴はどの様な結果になったとしても、

「こうなる事は始めから判っていたのサ。このボクには」

とか言い出すんだろうが。


六月五日。
この凶報が事実であった事が判明する。
僅かに生き残る事が出来た平氏方追討軍の総大将平維盛以下、主立った武将達、敗残の将兵らが、都に惨憺たる姿で帰還したからである。その数およそ二〇〇〇騎を下回っていた。
二ヶ月程前に十万余騎の軍勢で、都を堂々と出陣した追討軍の変わり果てたこの無残な姿に、当の平氏一門は勿論、都の貴族ら、民衆は衝撃を受けた。
それもその筈、ここ数十年というもの、都から出陣して行った平氏の軍勢は常に勝利をおさめ、都に凱旋して来たのであるから。

例外はと言えば、三年前の十月、平氏方の軍勢が富士川で源頼朝の軍勢に敗れた時の一度だけ。とは言え、その時は大会戦が始まる前に平氏方は全軍で敵前逃亡(!)してしまったので、今回の追討軍ほど悲惨な姿を晒さずに、都に逃げ帰る事が出来た訳だ。

奇しくも、この敗北を喫した二度の平氏軍の総大将は、二度とも平維盛であった。



 この義仲討伐の為に北陸へ派兵した追討軍の完膚無きまでの敗北は、当の平氏は勿論の事、都の朝廷や公家、貴族らに、現在の状況は深刻である、との認識を植え付けるには充分なインパクトがあった。
 それまで都のエラい人達の認識は、義仲であれ頼朝であれ、これまで何度も何度も勃発しては鎮圧されていった、平氏に対する地方の小さな叛乱の一つ、であり、どうせ平氏が勝つ以上、慌てる必要など無いし、万が一平氏が敗けたとしても、そんな事は遠い一地方の出来事であって都には一切関係無い事で、何であれ都が安泰ならばどうでも良い、と極論してしまえばこの様なものであった。
 だが、この様な甘い現状認識は今回の官軍敗北で吹き飛んでしまう。それは、その遠い一地方の平氏に対する叛乱に過ぎない、と思われていた義仲の勢力範囲が、東山道はもとより、北陸道の越前国・若狭国[共に福井県]にまで及び、この都のある山城国[京都府]と叛乱勢力を隔てているのは、僅か近江国[滋賀県]ただ一国のみになってしまったからだ。都の人間にしてみれば、いつこの叛乱勢力が都に雪崩れ込んで来るか分からない、という危機感に襲われてしまったのである。
 しかも、越前・若狭をとられた、という事は、都に入って来る西国の年貢米が到着する越前・若狭の良港が奪われた事を意味する。つまり最悪の場合、食料が都に届かなくなってしまうのである。という訳で、都の食糧確保の点からも事態は深刻の度を増しているのであった。

 が、朝廷のやる事はと言えば、悲しい事に先程の神頼みの寺社の数を二十二社に増やして、追討軍の勝利では無く、今度は鎮護国家のお祈りをさせよう、とか浮世離れした事をエラい人達が集まって大真面目に話し合う事、ぐらいしか出来る事は無かった。

 つまり、いくら現状認識を改め、危機意識に目覚めたとしても、朝廷にはこの危機に対処するだけの実力も無ければ、その能力も無く、更にやる気さえ無かった、と言わざるを得ない。

これが、危機を迎えつつある都の現状であった。



「義仲どの。一つお願いがあるんじゃがな」

軍議の席で、いきなりこう切り出したのは新宮十郎蔵人行家。
義仲にとって叔父にあたり…歩く不幸の手紙、リアルチェーンホラーの異名を奉られる真に縁起が悪く…無能なこの男の“お願い”など、ここに居並ぶ義仲麾下の武将達の誰一人として聞きたくは無かったのであった。

総大将の義仲は、静かに行家に眼をやると、

「何です?続けて下さい。行家どの」

大人の対応で穏やかに応じた。


越前の国府[福井県武生市]にある大塩八幡宮。
義仲勢は加賀篠原の戦いに勝利すると、越前国に進出し、本陣をここ大塩八幡宮に構えていた。


と、
「いやいや!頼朝などとは違い、さすが義仲どのはハナシが分かるのぉ!
同じ我が甥でも、こうも違うものか!」

上機嫌に行家が言う。
が、聴くに耐えない見え透いた阿諛追従に辟易しているのは、この場に居る全員であった。そんな事には気付きもせずに行家は続けて、

「平氏方に大勝利した今こそ、各地にいる源氏勢力を結集すべき時じゃ!
そこでナ!ワシはこれから別行動をとる!
美濃[岐阜県]・三河・尾張[共に愛知県]を廻って軍勢を集めようと思うんじゃ!どうじゃ!
で、この軍勢をワシが率いて、都を南から攻める!
当然、その時には都の北方で義仲どのが平氏方主力の軍勢と戦ってある事じゃろう!
じゃからナ!その時このワシが平氏方の後ろから攻め掛かれば、平氏など一溜りも無いじゃろうが!どうじゃ!良い考えであろう!義仲どの!」

一気に言った。いや、叫んだ。
行家は気分が高揚しているのだろう。最高のドヤ顔で胸を張っている。
だが、これを聴いた途端、義仲麾下の武将達の眼は冷たく光った。ぎらり、と。

行家の真意が解ったからである。つまり行家はこう言っているに等しい。

『お前ら義仲勢が都の北方で平氏の主力軍と正面から戦っているうちに、ワシ行家の軍勢が一足先に南から都に入る』

と。要は、

『ワシが無傷で楽に都に入る為に、お前ら義仲勢が平氏を誘き出し、戦って血を流せ。叔父であるこのワシの為に。まぁその後の事はワシに任せておけ』

と、こういう訳だ。

義仲麾下の武将達は表情には出さなかったが、腹の底に火が点いた。怒りの蒼い炎が灯ったのである。


「解りました。
行家どのがそうお望みなら、その様にして下さって結構です」

義仲は応じた。
当然、見え見えの行家の真意など理解していたが、そんな事はおくびにも出さず、あくまでも穏やかに。

「そうか!さすが我が甥、義仲どのじゃ!
ならば出発は早い方が良い!ワシはこれからすぐに発つ!」

行家はまるで、落ちていた小銭を拾った時の様に、はしゃぎ、そわそわしながら嬉しげに言いながら立ち上がると、

「では義仲どの!都で逢おうぞ!」

格好付けて言うなり、頭も下げずに本陣を出て行った。
行家の落ち着かない足音が、本陣から遠ざかった時、ザッと、同時に立ち上がった者が複数いた。

四天王の樋口兼光・今井兼平・根井小弥太・楯親忠、それに手塚光盛・落合兼行[兼光・兼平の弟]の六人が、

「「「「「「義仲様。失礼します」」」」」」

と異口同音に言った時、言った本人達が驚き、六人は立ったままその場で顔を見合わせた。と、

「あはははは。駄目だよ、みんなぁ」

立ち上がって顔を見合わせている六人を、可笑しそうに見上げながら、巴御前、戦う美少女巴が悪戯っぽく言った。するとその眼付きを少し睨む様にしながら、

「行家どのを斬りに行こうとしたでしょ。義仲様が命じてもいないのに」

まるで子供の悪戯を咎める様に言った。

そう。この六人は各々、行家は義仲様に害を為す人間だ、と自分で判断し行家殺害を単独で決行しようとしていたのである。

「まぁ、そんなトコだ」

小弥太が頭を掻きながら、憮然と応じる。六人は苦笑を浮かべると、

「鋭いからな。巴は」

手塚光盛が、お手上げ、という感じで呟くと、

「だってあたしもそうしようと思ったから」

あっけらかんと巴は明るく言い放つ。

「では義仲様。お命じ下さい」

苦笑していた表情を一変させ、冷徹に兼平が尋ねる。



「行家どのの事は放って置け」

義仲が微笑しながら言った。


「しかし!」


今度は兼光が喰い下がると、

「あれで良いんだ。私は元々ここで軍勢を二分する事を考えていた。都を北と南から包囲する為に」

義仲が頷きつつ言う。その眼は穏やかではあったが、真剣なものに変わっている事に気付いた六人は、再び床机に腰を下ろした。

「では二方向から都に居る平氏方を攻めるおつもりなのですね」

四天王筆頭樋口兼光が訊く。

「いや。あくまでも包囲、だ。私は都を戦場にするつもりは無い」

義仲が言い切る。

「しかし、例えこちらがそのつもりでいても、平氏はそう考えてはいないのではないですか?」

楯親忠が、当然の疑問をぶつけた。

「その通りだ、楯。
我が軍がこの勢いのまま、時を置かずに攻め込めば、平氏方としては迎え撃たざるを得なくなり、都は戦火に覆われてしまうだろう。
だが、それは私の望むところでは無い」

義仲は答えた。
続けて、

「その様な事態に至らせない為に、ここはある程度の時間を置いた方が良い、と思っている」

「て事は、平氏方に我らを迎え撃つ為の準備期間を、わざわざ親切にこっちが用意してやるって事すか?」

小弥太は、なんか納得いかねェ、という表情で聞き返す。

「そうなるかも知れない。が、それを決めるのは平氏であって私では無い。私としては平氏方が話し合いを望むのなら、その余地は残しておきたい、と思っている。
それに話し合うにせよ戦うにせよ、その他の選択をするにせよ、平氏には考え、決定するだけの時間が必要だ。そうすれば、都に籠もって戦さに撃って出る様な愚かな真似はしないだろう」

義仲が丁寧に、諭す様に答えた。

「その時間、とはどの程度の期間なのです?」

兼平が、じっと義仲を見詰め、問う。



「まず一ヶ月はここを動かん」


義仲が断言した。
続けて、
「その間に、都で何らかの決定なり動きなりが起きたとしても、我らは十分に対処出来る。
それが話し合いであれば申し分無いが、例え平氏方が合戦を望むにしても、都を出陣しての戦さになるだろう。と言う事は」

「近江辺りでの合戦となり、何であれ都を戦火に晒さずに済む、と?」

兼平が先回りして、義仲の考えを予測して言った。

「そう言う事だよ。兼平」
微笑を浮かべ、肯いた義仲。

「ソコまで義仲様が考えておられるンなら是非も無ェ。が・・・」

小弥太が納得した様子で応じたが、

「行家どのの事ですか?」
落合兼行が小弥太に訊いた。

「おゥ。我らが一ヶ月間ここにいる間に、あのもと大将軍ドノが状況を滅茶苦茶にしねェかと、そいつが心配でな。
まさかとは思うが、意外に兵が集まった事に気を良くしたもと大将軍ドノが、後先考えずに都に攻め込む、なんて事も考えられるぜ」

小弥太は、まるで唾を吐き棄てる様に言った。

「あはははは。大丈夫だよ、小弥太。そんな事しないと思う。あの人は」

巴が小弥太の心配を笑い飛ばした。

「そぉかあ?」
小弥太が疑わしげに応じると、

「そう。あの人の考えでは、平氏方主力の軍勢を囮りであるあたし達が引き受けてからでないと動かないつもりなんでしょ?
ならあたし達が動かずにいる以上、いくら兵が集まったとしても動けないんじゃない?
だって先に動いて都に近付いたら、あの人自身が平氏方主力の軍勢を引き受けなきゃならなくなるわ。
そんな親切で気の利いた事、あの人があたし達の為にしてくれる訳無いじゃない。
それを回避する為に色々言い訳を並べて、さっき出て行った訳でしょ?」

ずばり、と巴が言うと、本陣に居る武将達全員が大爆笑した。
そのまんま、だったからでもある。

あの人であり、もと大将軍ドノである行家の義仲勢に於ける評価は、その人となり、つまり彼の調子の良い言動、無責任な行動によってここまで堕ちていたのであった。

「まぁ、もと大将軍ドノの事はそれで良いとして。義仲様。いいですか?」

笑いが一段落したところで、祐筆の大夫坊覚明が発言を求めた。
義仲が小さく頷いて促す。

「いずれにせよ、都へ行くには当然、我らは近江国を通過しなくてはなりません。
ただ通り過ぎるだけならまだしも、先程、兼平が行った様に近江で平氏方との戦さとなった場合、俺には一つ気掛かりな事が有るんですがね」

覚明が義仲の眼を覗き込む様にして言うと、

「比叡山延暦寺の衆徒達の事か。その事は私も気には掛けていた」

淀み無く義仲が応じた。

「そうです。例の山法師達の事です」

覚明が肯いた。
その眼は少し細くなり、いくらか真剣な表情に変わっていた。



 御仏の道と法を説き、人々を導く有難い御坊様方や立派な寺院が何故、気掛かりな事なのか…は、当時の大寺院の御坊様方の事を少し説明しなければならない。
 簡単に言うと、
『都周辺の有力大寺院というのは、ある意味一つの政治勢力であった』
と断言しても、そう間違いでは無いということだ。

 当時の政治勢力として、天皇家を中心とした朝廷を担ぐ公家貴族勢力、平氏の様な都の武家貴族勢力、藤原秀衡や義仲・頼朝の様な地方武家勢力があり、さらに大寺院を中心とする仏教勢力があった。
 仏教勢力は実際に政治や統治そのものを主導する事など無く、またそれを欲する事も無かったのであるが、ひとたび仏教側に不利益が生じる様な政策や、大寺院にとって気に入らない決定が為されると、その衆徒達[御坊様達]を大勢動員して都に繰り出し、大規模なデモ[と言えば聴こえは良いが、実際のところ単なる乱暴狼藉]を行い、その政策や決定を力ずくで覆す事を頻繁に行っていた。更に政治的な混乱や政局が起こった時には、お呼びが掛かればこれに積極的に関与して行く、というのが都周辺の有力大寺院の実情だったのである。
 ただ、誤解の無い様に言って置くが、こんな事ばかりやっていた訳では勿論無く、こう言った事を派手にやらかしてはいながらも、仏教の寺院である以上、仏道の修行や法要、法説や経典の勉強などは同時並列的に、ちゃんとしっかり行っていたのも大寺院ではあったのだが。

 治承・寿永の内乱[源平合戦]と呼ばれる一連の動乱の原因となった「以仁王の決起」では、園城寺[三井寺]と興福寺は以仁王の側に付き、延暦寺は平氏方に付く、という政治的決定をしている。各寺院は提携するか、独自の行動か場合に応じて選んでいたのであった。そして有力な大寺院は都に近い場所に存在する為に、その他の政治勢力[朝廷・公家貴族・武家貴族]も無視をする訳にはいかない程の実力[衆徒の動員数とその破壊力]を持っていたのである。

 とは言え、この各大寺院は各々、他の大寺院と仲が良い訳では決して無く、時には敵対したり協力したりを繰り返していた以上、一つに纏まって行動した事は無く「仏教勢力」と一括りにして良いのかは疑問であるが。

 ともあれ、都周辺にはこの様な大寺院勢力が幾つもひしめいていた。そして義仲勢が進む先には、天台宗の総本山であり、衆徒三〇〇〇人を擁する、かの比叡山延暦寺が聳え立っているのである。




「比叡山延暦寺はこれまで常に平氏方に付く決定をして来ました。
先の以仁王様の決起の時にも、これが変わらなかった事はここに居る全員が承知している事と思います」

覚明が真面目な顔で続けると、四天王以下、ここに居並ぶ武将達は眼を丸くしていた。
普段から不敵で皮肉な笑みを絶やした事の無いこの僧形の祐筆の、この様な真剣な表情をおそらく初めて眼にしたからである。
そんな麾下の武将達の様子を優しげに面白そうに見詰めていた義仲は、ふと微笑を洩らしつつ、

「都の手前で延暦寺の衆徒らが、我らに対し妨害する事が有るかも知れん、という事だろう?」

覚明に訊くと、

「その通りです。義仲様」

深く肯きながら覚明が答える。

と、
「邪魔する奴らは蹴散らして、押し通ってやればいいだけじゃねェのか?」
小弥太らしい回答だった。

が、
「確かに容易く駆け破って進軍する事は出来るだろう。だが・・・」
光盛が考えながら言う。

「それは出来無い」
四天王筆頭兼光が即座に却下した。

それを弟の兼平が受けて、
「そう。平氏は南都[奈良]に出兵した際、東大寺や興福寺を焼き討ちし、その強引過ぎる遣り方は多くの反感を生み、平氏の評判は地に堕ちた。その平氏に与しているからと言って比叡山に対し、戦さを仕掛けたならば、我らも平氏の二の舞となる愚を犯す事になる」
冷静に分析する。

「そうだな。その平氏の悪行から都を護る為に上洛しようとしている我らにとっては、尚更な」
楯が溜め息と共に応じた。


「これは容易なように見えて、実は重大な問題だ」

義仲が腕を組みながら、皆を見渡した。

と、
「覚明には何か考えが有るんじゃない?だから、この事を言い出したんでしょ?どぉ?」
巴が相変わらず明るい声で言った。

覚明はこれを聞くと、ニヤりといつもの笑いを口許に浮かべ、
「まぁねぇ」
応じる。

と、その時、
「軍議の最中に失礼します!」
郎等が陣幕を潜り、本陣に入って来ると、

「祐筆の大夫坊覚明どのに逢いたい、と申す者が訪ねて来ております!」
そう報告した。

「何?俺?」
驚いた覚明が自分を指差しながら問う。

「はっ!」


「一体、誰?名乗ったのかい?」

「はっ!その者は僧形で、覚明どのとは昵懇の仲である、と申しております!名は白井法橋幸明!」

「・・・ああ!あいつか!」

合点がいった様に思い当たった覚明だったが、そのまま中空に眼を彷徨わせ、何やらぶつぶつ呟いていた。


「・・・しかし幸明の奴どうしてここに?
・・・いや、追討軍の敗北を知って来たんだろう・・・一体何故?

・・・ん?・・・待てよ?
・・・ちょうど今、この時に幸明が姿を現したのは、好機かも知れん・・・正に天運か、いや、義仲様の持って生まれた強運の為せる業か・・・」


「覚明。どうした?」

一人で考えを巡らせ、独り言を呟いている覚明に、義仲が声を掛けた。
はっ、と我に返った覚明は、

「あ。失礼しました。ところで義仲様、その幸明をこの本陣に案内しても宜しいでしょうか?もしかしたらこの男、我らの役に立ってくれるかも知れません」

満面に不敵な笑みを浮かべ、言った。

「良いだろう。その幸明と申す僧形の者を本陣に案内してくれ」

義仲が穏やかに郎等に命じると、郎等は一礼して本陣から出て行った。
今井兼平が、兼光・兼行・巴・小弥太・楯・光盛に目配せすると、全員が表情を変えずに、眼で応じた。

幸明とか言う奴が、少しでも不審な態度や動きをしたら構わずに斬り付ける、という事らしい。が、その様子を目敏く見逃さなかった覚明は、

「大丈夫だよ、兼平。幸明は気の良い荒くれ者だが、別にアブない奴じゃ無い」
笑顔で請け負った。





「白井法橋幸明と申します。そこに居る祐筆の最乗房信救、いや今は大夫坊覚明か。覚明とは昔から馴染みがありまして、この覚明が義仲様に随い上洛する、と聴き、それならば拙僧もこうしては居られん、と思い参上した次第で御座います」

義仲とその麾下の武将達が居並ぶ前で、臆する事無く、堂々と挨拶した幸明であった。

「覚明と昔馴染み、と言う事は、御坊は興福寺の僧侶なのか?」

義仲が穏やかに訊く。

「いえ。拙僧は比叡山延暦寺の僧に御座います」
幸明が答えると、

「ほう。延暦寺の僧が何しにここへ来た」
兼平が冷たい眼付きで訊問する。

と、幸明も負けずにじろりと兼平を睨め付け、

「この幸明。比叡山一の悪僧[悪僧と言っても、ワルい僧と言う訳では無く、強く猛々しい僧、という程の意味。御坊様が強く猛々しいのはどうかと思うが・・・別に悪い事では無い・・・]と言われ、常々、都で平氏が好き勝手にやっているのを、苦々しく思っていたが、昨今の延暦寺は平氏に味方している以上、この幸明も平氏にニラまれ比叡山には居られなくなった。
そこで源氏に味方し、平氏を都から追い落とせば拙僧の難も遁れられる、と思ってここへ来た。何か文句は有るか」

喧嘩腰で応じた。と、

「ははははは。相変わらずだなぁ幸明。ところで比叡山に居られなくなってからドコに居たんだい?」

笑いながら覚明が問う。

「おお。久しいな覚明。延暦寺の料所が愛知郡胡桃庄にあってな。清盛にニラまれてからは仕方無くソコに隠れていた」

「しかし幸明も鼻が効くな。ちょうどあんたに向いた仕事が有るんだよ。もしかして解ってたのか?その事に」

「ああ。多分な。それに逃げ隠れしてンのにも飽きたしな。ここらで一発、平氏にカマしてやりてェと思ってたところだったから、義仲様の大勝利は、こっちこそちょうど良かったんだ」

義仲はこの遣り取りを微笑を浮かべながら聴いていた。
そして、おもむろに問うた。

「では白井法橋幸明。我らに手を貸してくれるか?」

「はい!こちらこそ宜しくお願いします!」

比叡山延暦寺が誇る、三〇〇〇の全僧侶の中で一番の悪僧[自己申告であるが]、白井法橋幸明が力強く一礼した。



「あのさ。幸明サンの登場で有耶無耶になっちゃってたケド、結局、覚明の考えって何なの?そろそろ聴かせてくれても良いんじゃない?」

話しを元に戻すように巴が促す。

「ああ。そう言えば話しの途中だったっけ」

巴に応じつつ、居住まいを正した覚明は、義仲に向かい、

「比叡山延暦寺への対処、でしたよね」

念を押す様に言うと、義仲は無言で頷き、先を促した。

「俺が昔、都に居た時、幸明達比叡山の連中とつるんでいたから、延暦寺の内情は良く判ってるんですよ。確かに平氏は代々、比叡山には土地や所領、財宝を寄進し仲良くやっているようには見えます。が」

覚明は言葉を止め、白井幸明に目配せすると、幸明は肯き、覚明の後を継いで話し出す。

「三〇〇〇人の衆徒全員の心が、平氏に向いている訳ではありません。南都焼き討ち以後、源氏に心を寄せている者は多数居ります。まぁ一言で言えば、統一した見解などは無く、一人一人の意見もバラバラ、と言うのが実情なんですよ大寺院なんてものは。これは何も延暦寺だけの事では無く、覚明の居た大和興福寺も同じ様なものなんですが」

ここまで訊いた義仲は、ふむと一つ息を吐くと、

「と言う事は、大寺院の意思決定には一貫したものなど無く、寺院相互のしがらみや、その時々の政治状況が、意思決定に大きな役割を果たす、という事なのか?」

幸明に訊いた。

「御明察恐れ入ります。その通り。確かにこれまで比叡山は一貫して平氏に味方して来ている様に見えますが、それは平氏方に付いた方が得になる、と考え、決定し、実行して来たに過ぎません」

幸明が重々しく告げた。
自分の属している寺院の恥になるような事を、正直に堂々と、しかも辛辣に言い放つ幸明の態度に、義仲や麾下の武将達は好感を抱いた。と、

「そこで、先ずは比叡山に対し、牒状を送ってはどうでしょうか」
覚明が考えを披露した。

と、
「ああ?覚明の考えってのは、手紙を送れって事なのか?」

小弥太が拍子抜けした様に言うと、覚明はニッと笑いあっけらかんと、

「そう。牒状を送れば、延暦寺もこれまでとは違い、思い悩むと思ってさ。何せ平氏方追討軍を壊滅させた義仲様からの書状だし、時の勢いってのは我ら義仲勢に有る。損得勘定で言ったら、平氏に付くか、我らに付くかは五分五分ってところでしょ。それにちょうど、もと比叡山一の悪僧幸明法師も協力してくれるんだからさ」

「もと、とか言うな!拙僧は今も比叡山一の悪僧だ!それにお前に法師とか呼ばれると、何気に莫迦にされてる様で気分悪い!」

声を荒げて不平を言った幸明。が、一瞬で表情を真剣なものにすると、

「協力は惜しまん。それに先程、覚明が言っていた拙僧向きの仕事、ってのは、その牒状を比叡山に届け、同時に延暦寺を義仲様の味方に付けろ、って事なんだろ?」
覚明に問う。

「さすが幸明。理解が早くて助かるよ。こう言う寺の行く末を決める様な重要な決定を行う時には、俺や四天王達、つまり外側の人間がいくら頼んでも警戒して、なかなかウンとは言わないものだからね。そこで延暦寺に属している幸明なら、内側の人間が説得する訳だから警戒する必要は無いし、俺らが行って説得するよりは余程味方に付く可能性は高くなる」
覚明が答える。

と、それを聴いていた兼平が苦笑いを浮かべながら、

「・・・警戒、か。確かに私も比叡山の僧と聞いて警戒していたかも知れん。幸明御坊。先程は失礼な物言いをしてしまった。申し訳ない。この通りだ」

幸明に向かい頭を下げた。すると幸明は破顔し、

「義仲様の麾下の武将としては、訳の判らん奴が押し掛けて来れば、警戒するのは当然の事。気にしておらんよ。拙僧の方こそ短気だった、と思っている。許されよ」

神妙に一礼し、顔を上げた幸明には邪気の欠片も無い笑顔が輝いていた。

「良し」

気負うでも無く、静かに義仲が呟くと、麾下の武将達を見回す。
と、本陣の空気がぴしりと引き締まる。武将達は、この一言の呟きで義仲が方針を決定した事を理解したのである。



「では覚明。比叡山に対し牒状を書いてくれ。そしてこの牒状を、白井法橋幸明、御坊が延暦寺に届けよ」

「はい」「はっ!」

覚明、幸明が同時に応じる。
義仲は続けて、

「幸明は大事な使者だ。である以上、護衛を付けさせてもらう。楯親忠・林光明・富樫入道仏誓。三人は二〇〇〇騎を率い、無事に幸明を延暦寺に送り届けよ」

「はっ」「はっ」「はっ」

楯・林・富樫が間髪入れずに応じた。

「白井法橋幸明。御坊にはもう一つ頼み事が有る」

「比叡山を義仲様の味方に付ける事なら、お任せ下さい」

幸明が胸を張って答えた。

「その事もだが。もしそうなったら比叡山の山上に遠火を焚いてくれ。そして同時に麓の河原にも遠火を焚く事で、それを合図とする。延暦寺が我らに味方する事を決定した合図と」

義仲が穏やかに命じると、

「必ず源氏に同心させてみせます!」

深々と一礼しながら幸明が請け負う。

「義仲様!では行って参ります!」

楯親忠が馬上から義仲に挨拶すると、義仲は無言で頷いた。





「これより我が部隊は幸明御坊を護衛し、比叡山延暦寺へと向かう!出発!」

先頭の富樫仏誓が号令を掛けると、二〇〇〇騎の部隊が本陣大塩八幡宮を出て行く。
部隊の中程の位置に、楯と林を両脇に随えた[楯と林が両脇から護衛している訳であるのだが・・・]白井法橋幸明が馬上から振り返り、義仲の後ろに控えている覚明に向かって、にかっと笑いかける。覚明も笑顔で手を挙げ応じると、幸明は右手で自分の懐をぽんぽんと叩き、力強く首肯くと、前に向き直り、部隊と共に馬を進めて行った。


幸明の懐には、覚明の書いた比叡山への牒状があったのである。


その牒状には、これまでの平氏による強引な政治に対する批判と、近年立て続けに発生した政治的事件に対するこれまた平氏の強引過ぎる遣り方を痛烈な批判と共に列挙し、これを正すべく義仲が決起した事に触れ、以後の数々の戦いの様子が述べられ、その上で比叡山に対し協調を呼び掛けている内容であった。

確かに、この通りの内容ではある。が、この牒状の一節に気になる文章がある。それは、


『しかるをうてば必ず伏し、せむれば必ずくだる。秋の風の芭蕉を破るに異ならず、冬の霜の群葉をからすに同じ。是ひとへに神明仏陀のたすけなり、更に義仲が武略にあらず。』


の一節。現代語訳にすると

『撃てば必ず敵を制し、攻めれば必ず敵を降伏させる。この事は秋の風が芭蕉の葉を破るに等しく、冬の霜が多くの葉を枯らすのと同じである。是はひとえに神や仏の御助力によるものであって、全く義仲の武略によるものでは無い。』

となる。素直に一読すれば義仲が遜っている様に見えるかも知れないが、遠回しに比叡山を威嚇しているのである。牒状はこの後に、


『もし比叡山が平氏に助力するので有れば義仲と合戦する事になり、そうなれば比叡山は滅亡するでしょう。悲しい事です。痛ましい事です。』

と、身も蓋もない脅しが続くのであるから、別に遠回しでも何でも無いが。

この文章を書いたのは覚明であるので美しい文章に威嚇を混ぜる事などは平気で出来るし、やるだろう。が、脅しであれ、威嚇であれ、何であれ、戦いが避けられるのであれば、そうする事に迷いなど無い義仲の本心が表れている、と読み取る事も出来るだろう。


『悲しい事です。痛ましい事です。』


この言葉の裏には、

『その様な事はしたくは無い!』

という、絶叫にも似た義仲の真心が聴こえてきそうである。




 連戦連勝の義仲であるが、戦さに勝ち続けたくらいでは義仲の人間としての本性が変わる訳では無い。彼は戦さを回避する為の努力は惜しまなかったし、本心から戦さなど避けたかったのである
 しかし、それも及ばずに戦さになった場合には、今度は勝利の為に凡ゆる事をやってのけたのも、また義仲であった。

その戦さを回避する為に、ここで義仲がやった事は、牒状を覚明に書かせて、幸明に届けさせただけでは無い。

この牒状には“宛名”が書かれている。

何も漠然と“比叡山延暦寺の大衆徒御一同様”宛では無く“進上 恵光坊律師御房へ”と、比叡山延暦寺の一人の僧侶を名指ししている。
この僧侶は、恵光坊阿闍梨珍慶といって、延暦寺の中での反平氏勢力の中心人物の一人であった。

つまり義仲は、反平氏の大夫坊覚明に牒状を書かせ、反平氏の延暦寺の僧白井法橋幸明に牒状を持たせ、同じく延暦寺の反平氏の中心人物恵光坊阿闍梨珍慶宛てに牒状を届けた事になる。

細かい事ではあるが、重要な事である。

義仲は、この様な事にも気を配り、やれる事は全てやっていたのであった。