見出し画像

義仲戦記39「密告」

「今頃は西海で平氏追討の戦いにその身を投じておると案じておったが、どうやら息災の様で何よりじゃ」

閏一〇月一六日。
つまり義仲勢が電撃的に京に帰還を遂げた翌日、早速義仲は後白河法皇からの呼び出しを受け、法住寺御所・殿上の間に昇殿していた。

公卿らが並んで着座している中、義仲も着座し、手をつき深々と一礼すると、いきなり御簾の内から声が掛かったのである。
と、公卿らが一斉に緊張したのが義仲に感じ取れた。

法皇の口調はいたってのんびりとしているが、公卿らは法皇が不機嫌な時ほどこの様な口調になる事を経験的に知っていたのである。それにこの言葉の中に宿る強烈な皮肉にも。つまり法皇はこう仰ったに等しい。


『私の命じた平氏追討を放り出し、私の前に顔を出すとは一体どういう事か。しかも無断で京に帰還するなど呆れ果ててものも言えん』と。


義仲は無論この口に出してはいない法皇の本心を読み取っていたが、涼しい顔でもう一度、一礼すると無言でやり過ごす。
と、するすると御簾が巻き上げられている途中で更に法皇が言葉を掛けた。

「京に戻ってあるとは聞いていなかったが、詳細は本人の口から訊く事としよう。朝日将軍よ。弁明するが良い」

相変わらずのんびりした口調だったが、重々しさが加わっている。
余程、腹に据えかねているらしい。
義仲は苦笑したいのを堪え、涼やかに応じた。

「鎌倉から大軍勢が京に向け出陣した、との報告を受けました。
頼朝が何を考えてこの様な行動に移ったのかは判りませんが、京に大軍勢が迫っているとあっては、西海の平氏より、こちらの方が危険である、と考え京に戻って参りました」

正直に答える。
嘘は言っていない。
ただ全てを正直に答えた訳でも無かった。

と、法皇の傍らに控えている女官が穏やかに訊ねる。

「それはそれは。京や朝廷そして何より法皇陛下の事をそれ程までに心配なさっておられるとは。
しかし左馬頭義仲どの、平氏追討を命じられている事をお忘れではないかしら?
西海の平氏の方はどうなさるおつもりなのです?」

義仲は、すっとそちらに眼をやると、またも皮肉を散りばめつつ女官が言う。その女官と視線が交差した時、義仲は思い出した。

確か新帝即位の前の天皇候補者選定の折、横槍を入れて法皇の望む結果に導いた丹後局という女官であった事に。


涼やかな眼で、じっと丹後局を見詰めていた義仲だったが、丹後局も眼を逸らす事無く、その視線を受け止めている。
だがその表情は時を追うごとに無表情になっていった。

「平氏の事は心配御座いません。
鎮西[九州]には平氏に従わぬように使者を派遣し、山陰道から馳せ参じた武士達を備中に駐屯させております。
以後、戦さとなり平氏が勝利する様な事があろうと、それは一時的な事に過ぎません」

「その様に仰いますが平氏追討を完遂する事無く独断で京に戻って来た事には、何か他の理由が存在するのでは?と勘繰る者もおりますわ」

「ほう。他の理由」

「近頃の関東では鎌倉どのの陣営を離れ、陸奥鎮守府将軍藤原秀衡どのの許に身を寄せる者が多くいる、との報せが入っております。
その事と前後してこの様な噂がまことしやかに語られている事をご存知?
陸奥守[秀衡]どのから左馬頭[義仲]どのへ、その報せを齎す早馬が往来し東と西から鎌倉を攻めるつもりなのではないか、と」

丹後局はその美しい顔を無表情にしたまま詰め寄る。
義仲は落ち着き払っていたが、心の中では多少困惑していた。


それは丹後局が間違い無く義仲に敵対的な感情を向けて来ている事に。


戸惑いつつも義仲は答える。

「その報せも、噂とやらも初めて耳にする事です。
それに良くお考え下さい、丹後局どの。
その噂が事実であれば、私は何も京に戻って来る事など無い筈です。
陸奥守が鎌倉の背後におり、私と気脈を通じていたとしたら、鎌倉が軍勢を京に出陣させるという事自体、無かった筈ですが」

丹後局はそれを聞くと口許に笑みを浮かべて、眼を細めて義仲をじっと見詰めている。

だが一見、笑顔に見える細められた眼に殺気に近い何かが宿っている事に気付いた者がこの場に三人いた。

一人は法皇、一人はその視線を受け止めている義仲、そして最後の一人が発言した。

「確かに義仲どのの仰る通りですな。
しかしこの京という所はその様な噂が次から次へと聴こえて来るのです。
その中には聞き流せるものと、そうで無いものがありまして」

宰相中将通親が、何故か言い訳でもする様に言い添えつつ義仲に眼を向けると、

「聞き流す事の出来無い噂の一つにこういうものがあります。
義仲どのが法皇陛下以下朝廷の主だった公卿らを伴い北陸へ下向する、と」

その細い眼に針の先の様な鋭いものを含ませた通親が訪ねた。
義仲は宰相中将の眼付きの剣呑さと、彼の発するその迫力に舌を巻きつつも、訪ねられた事の突拍子の無さに思わず吹き出した。


「ははっ。まこと京雀の囀りには閉口いたします。
いや、愉しませていただいております。
が、愉しんでばかりもいられません。その様な事は事実無言です」

言を左右させずにはっきりと義仲が告げると、殿上の間の空気が一気に軽いものに変化した。


ここに集った公卿らや法皇が一番気にしていたのがこの噂の事であったのが、義仲には手に取る様に解った。


義仲の返答に満足したのか左大臣経宗は安心した様に言う。

「左馬頭どのが明言した以上、その様な畏れ多い事があろう筈が無い。
では左馬頭どの、下がって」

「お待ち下さい。最後に」

幾分、強い口調で義仲が遮り、頭を下げつつ法皇に向かって告げた。


「何であれ鎌倉が軍勢を繰り出し、上洛しようとしているのは事実。
京の為にも法皇陛下の御為にも、私はこれを放って置く事は出来ません。
この上は鎌倉に対しての追討の院宣を発していただきたく存じます。
では失礼いたします」


言うだけ言うと義仲は、深々と一礼した後、素早く殿上の間から退出して行った。

呆気に取られている公卿らの中に、表情を変える事無く冷たい、いや、冷た過ぎる視線を義仲の背に突き刺している者は、やはり丹後局と通親の二人であった。





「何!それはまことか!」

法皇は珍しく身を乗り出して訊くと、

「はっ!しかとこの耳に!
それにその話しが出た時、それがしはその会合に出席しておりました!
この事!天地神明に誓って!
いや!それがしの命を賭けてもまことの事に御座います!」

額を床に擦り付ける様に両手をついて頭を下げながら新宮十郎蔵人行家は大袈裟に答えた。




閏一〇月二〇日。
この日、法皇は義仲の許に使者を派遣した。
やはり先日の噂『義仲が法皇以下の公卿らを伴い北陸へ下向する』という事が再び気になり出した法皇は、重ねて義仲にその真意を糺さざるを得ない程、不安であったのだろう。


ともあれ六条西洞院の義仲の邸に出向いた使者が、先日と同じ様にこの事を義仲に糺したが、義仲も先日と同様、

「事実無根です」
の一言を返答とした。

いや、そうするしか無かった。
それは本当に事実無根であったし、そうである以上、義仲としてもこれ以上答えるべき事が無かった為である。

だがこの様な根も葉も無い噂が、それを聞いた者らの中にある不安と結び付いた時、それは単なる噂では無くなり、深刻な疑惑へと変化を遂げてしまうものだ。


そして不安と疑惑に囚われた者らは、いくら真実であっても『事実無根です』の一言では納得出来なくなってしまう。


確かにその一言を聞かされた時は一時的に安堵するのであるが、時間が経てばまた不安が押し寄せて来る。
そして安堵と不安の感情が入れ替わり立ち替わり心を占有して行くうちに彼らは疑心暗鬼に囚われてしまう。こうなるとその不安を解消して貰おうと次々と義仲の許へ使者を送り、何らかの確約を得ようとするのであった。


こうして義仲のところにはこれ以後、法皇からの使者が頻繁に訪れるようになる。


義仲にとっては煩わしい事この上無いが、法皇や朝廷の公卿らと頻繁に意思疎通が図れる事は歓迎すべき事だし、重要な事でもあるので、来る者これを拒まず、として対応していたのである。

しかも義仲は、使者の言い分をただ聞いているだけで無く、その都度、法皇や朝廷に対して要望を申し立てていた。
これは義仲の身の回りの事の様な小さいものでは無く、謂わば政治的決定を迫っていたのである。


この日も法皇から遣わされた使者に『事実無根です』と告げた後、義仲はその要望を使者に語った。

その要望は二つ。
一つは“十月宣旨”に義仲の勢力圏として北陸が含まれず、頼朝に従わぬ者は罰する、と明記された事に対する不満。

もう一つは、その頼朝の上洛軍を防ぐ為、早急に東国へ赴かねばならないが、それには頼朝追討の院宣が必要である事。


いずれも法皇にとっては簡単に応じられる要望では無い事は、義仲には解っていた。何しろ法皇と頼朝は朝廷を介して裏で手を結んでいるのだから。しかもこの事は公然の秘密として表立っては言えないが、誰もが知っている事だったのである。当然、義仲も知っていた。

それにも関わらずこの要望を出したのは、法皇の行動や決定に正面から異を唱える事と、その法皇の行動を掣肘し、遠く鎌倉にいる頼朝を牽制する為でもあった。

法皇と頼朝が策謀を巡らせ、陰謀紛いの行動に打って出て来た以上、義仲はこれに対抗する為、大胆に言うべき事と望むべき事を要求する様にしたのであった。


まぁ義仲は以前から言うべき事は言い続けていたので、その為に無用の反感を貴族や公卿らから買っていたのではあるが。



とにかく、こうした要望を聞いた使者は御所に戻り、その旨を法皇に告げると、報告を受けた法皇は義仲の要望はキレイに無視し『事実無根です』との返答を得ると安心したのか、面倒臭くなったのかそのまま殿上の間を後にした。おそらく今様の稽古にでも行ったのであろう。

このまま何事も無ければ法皇としては平穏な一日として終える事が出来た閏一〇月二〇日であったが、この日の夕刻、ある者が法住寺御所を訪れた事で、法皇の平穏は破られてしまう事となった。



その法皇のささやかな平穏を打ち壊す凶報を報せて来た者の名は新宮十郎蔵人行家。歩くチェーンホラーこと自称大将軍ドノ、その人であった。



「先日!義仲は我ら源氏一族を六条西洞院の邸に集め!
今後の事につき会合が開かれた折!
何と!畏れ多く!不敬極まり無い事に!
法皇陛下を連れ去り北陸へと向かう具体的な計画が話し合われておりました!
本日義仲が御所に参内し『事実無根である』と申し開きをいたしたと聞き及びましたが、義仲の言い分を信じてはなりません!」


この行家の恐るべき内容の密告を受けた法皇は、さすがに義仲に対し深刻な疑念を抱かざるを得なくなった。

行家の人となりやいい加減さは承知していた法皇であるが、もし万一、この密告で語られた内容が事実であったとしたら、とてもこのまま放置して置く訳にはいかなかったし、自身の身の安全、義仲ら源氏一党の処分も含め、重大な事態、いや政局に至ってしまう事になる。


「・・・良く報せてくれた、十郎蔵人」

法皇は、やっとの事でそう言うと、

「いえいえ!この十郎蔵人!忠実なる臣として当然の事を致したまで!」

胸を張って何故か誇らしげに応じた行家の顔を、うんざりした様に見ていた法皇は、

「これからも源氏内の事を逐一報せるが良い。
私も義仲に対しては警戒して接する事とする。下がるが良い」

行家に対して労う事無く法皇が告げ、行家が殿上の間から退出すると、数刻の後、二人の者が法皇に呼ばれ殿上の間に入って行った。

丹後局と宰相中将通親の二人である。
この日、夜が更けるまで殿上の間の灯りが消える事はなかった。



翌閏一〇月二一日。
法皇は午前中から緊急に公卿らに招集を掛け、御所殿上の間で終日、会議を開いた。主な議題は無論、行家の密告についての対応、それに含まれる今後の義仲に対する扱いや対策に殆どの時間を割いて議論が交わされたのであった。



「以上の事は法皇陛下に対し、また朝廷・国家に対して重大な反逆行為となり得る。
その重大性を鑑みた結果、十郎蔵人行家は法皇陛下に直接、この事を告げたのであろう。そこで左馬頭義仲。
其方から直接この重大事の真偽を確かめるべく参内して貰った。申すべき事があるのなら申してみよ」

左大臣経宗が詰問する様に告げた。
その左大臣の眼には不審と不快の念が表れ、義仲を睥睨している。


御所に於いて緊急の公卿会議が開かれた翌日、閏一〇月二二日。
義仲は法皇に呼び出され御所に参内した。
殿上の間で待ち受けていたのは、法皇やその近臣、そして左右大臣を始めとする朝廷の公卿らであり、彼らの前で行家の密告に対する弁明をしなければならなくなったのであった。


「その十郎蔵人の密告は誣告[わざと事実を偽って告げる事]であり、これまで申し上げた通り事実無根である、としか言い様がありません」


義仲は答えた。
行家の嘘により陥れられた義仲としては、事実を述べて行くしか方法が無いのであるが、義仲を見詰める公卿らの眼には疑いしか見出せなかった。
義仲は溜め息を吐きたくなるのを堪えて続ける。


「先程『先日、六条西洞院の私の邸に於いて源氏一族が会合を持った』とありましたが、この邸には京中守護・市中警護に任じられている者達の屯所ともなっており、この職務を誠実に遂行している者達だけが出入りしている事は、ここにお集まりの皆様方には御判りの筈。

十郎蔵人はその職務を果たさず、六条西洞院の邸に姿を見せた事など、京中守護を命じた初日に於いてのみ。

更に京中守護・市中警護に就きこれを誠実に果たしている者達は源氏内でも少数に限られ、故源頼政どのの御遺族、近江源氏の山本どの錦織どの父子、信濃源氏や私の麾下の北陸の者達以外の源氏の者らは六条の邸に足を踏み入れた事など無く、その上『先日』というのもいつの事であるのか明言せず、剰え『そこで源氏一族が会合を持った』事など無かった架空の会合でその様な不敬、不穏極まり無い事柄が話し合われたなど、十郎蔵人が密告した事は総て嘘言である、と言わざるを得ません」



理路整然と義仲が真摯に説明し、その穏やかな眼で一人一人公卿らを見回す。

この余りにも落ち着き払い、堂々と行家の密告内容に一つ一つ丁寧に反論した義仲を、公卿らは驚きつつ眼を見張っていた。
この時、陰謀や策謀を嗅ぎ分ける事に長けた彼らには、義仲が嘘を申し立てている様には見えなかった。それは法皇も同じ様な感触を得ている。

逆に法皇には、勢い込んで御所に駆け付け、声の限りに不穏な事を誇らしげに密告した行家に対する嫌悪の感情すら湧いて来ていた。
その様な感情が芽生えた事に戸惑った法皇は、ふと義仲に眼をやると、静山の清流が注ぎ込み空の蒼さを一面に湛えた湖の様に澄んだ義仲の眼と視線が交差した。

と、法皇は不思議な事に、頼朝や行家ら同族の者らに目の仇にされ、隙を見せた途端に蹴落とされようとしている眼の前の義仲に限り無い同情を感じ得なくなっていた。


そうなる様に仕向けているのが当の自分である事を棚に上げる事など、この気分だけで世の中を渡っている様な法皇には容易い事であり、しかもこの様な感情に流される事に躊躇いを感じていない法皇は思わずこんな事を口にした。


「朝日将軍義仲よ。源氏一族同族内での葛藤、不憫に思うぞ」


これにはその場に居た者全員が度肝を抜かれた。
この言葉には普段殆ど見せる事の無い法皇の優しさや思い遣り、真心が滲み出ている。

左右の大臣は勿論、丹後局や通親、その他の公卿、近臣らは眼を大きく見開き、驚愕の表情で法皇を見ていた。が、丹後局や通親、その他少数の者の顔には、貴方がそれを言いますか、との意が滲み出ていたのを、同じく驚きの表情をしていた義仲は目敏く見逃さなかった。

苦笑したくなるのを抑え込んだ義仲は、手をつき深々と一礼する事でこれに応じた。


 後白河と後白河という人物像が掴み辛いのは、時に冷淡で冷酷、時に無責任で、時に大胆、そして時にこの様にその政治的敵対者あるいは対立者に対しても、優しさと見紛う思い遣りを示される事があるからである。しかし法皇に限らず、人間というものは大抵こうしたものであるのだが、時と場合に関係無くこうした感情に素直に従ってしまうのがこの後白河という人の一見単純に見えつつも複雑な特徴なのであろう。
 だが、こうした法皇の言ってみれば気紛れに過ぎない言葉を真に受け、その身を滅ぼして行った者らの数は両手で数え切れない程、存在するのも事実ではあるのだが。

 後白河のこの様な特質は、相手が誰であろうが発揮され、例えそれが市井の民衆であっても変わる事が無かった。見ようによっては慈愛溢れる法皇に見えない事も無く、この時もこの法皇の持って生まれた特質が炸裂した、という訳である。



と、
「であればこれ以上その葛藤を深める事もあるまい。
故に其方が申し出ていた鎌倉に対する追討の院宣を発する事は出来ん」

法皇が続けて告げた。
義仲に対し限り無い同情を寄せた、と見せた直後にしっかりと釘を刺すあたり、さすがに一筋縄ではいかない法皇なのであった。

「はっ。しかし鎌倉の動きを捨て置く訳には参りません。鎌倉の先行部隊が既に伊勢にまで進出した事を受け、偵察の郎等を派遣いたしました」

法皇の優しさ溢れる御言葉に流される事無く、義仲が応じる。
状況が逼迫する恐れがある時は再び鎌倉に対する追討の院宣を要請します、との意志を込めて。


「ふむ。それは当然の事であろうな。
ともあれ朝日将軍に謀叛の考えなど無い事は理解した。しかし」

法皇は義仲の弁明を全面的に受け入れた。


貴族社会内での義仲に対する疑念は根深いものがあり、他に様々な噂や風聞を元にした幾つもの疑惑が義仲にかけられていたが、取り敢えずこの行家の密告の件に付いては、その疑惑が晴れた事となった。
しかし、と法皇は続ける。

「ここで十郎蔵人に対して何らかの処分を科すとなると、源氏内の葛藤を深めてしまう恐れがある。そこで事を平穏に納める為、十郎蔵人の誣告に関する処断は執り行なわない事とするが、無論、異存は無いであろうな」

さもこうする事が源氏の為である、と言わんばかりに鷹揚に法皇が告げると、公卿らは一斉に平伏した。
法皇の決定に従います、との意を表したのであろう。


だが義仲にしてみれば堪ったものでは無い。
今回の件は全て行家の嘘から発した事なのだ。
しかもその誣告の内容は謀叛の企てという甚だ深刻なもので、国家や朝廷、重臣らに大きな影響を及ぼす種類の重大な事柄なのである。

その嘘を直接、法皇にタレ込み、騒ぎを大きくした挙句、それが嘘であると判明しても、その嘘を吐いた者を処罰せず、何事も無かったかの様に一件を終わらせようとしている法皇や公卿らの遣り方に、義仲は強烈な違和感を感じていた。


誣告で他者を陥れようとする者に責任を取らせる事無く、口先だけで許してしまう事に。


『嘘でした。ちゃんちゃん』で済む訳は無く、『人騒がせ』の一言で終わらせる事が出来る様な軽いものでは無い筈である。

だが法皇や公卿らは自身に危害が及ばないと知ると、安心してこの一件を不問に付す事にしたようである。

公卿らがもし誣告の対象が自分であったなら、この様に軽く済ませる事はしなかったであろう。
その誣告した者を捕らえ、追及し、政治的に失脚させ、場合によったら流罪にするまでその責任を追及しただろうが、自身に直接関係の無い事には寛容になれるらしい。


義仲は諦めから来る脱力に抗しながら、一応頭を下げて了承して見せた。
法皇は満足そうに一同を見渡して首肯く。

と、
「十郎蔵人の密告の件に付いてはここまでとする。さて、左馬頭どの。其方に命じられている平氏一党に対する追討の件であるが」

左大臣経宗が議題を変えると、

「法皇陛下におかれては平氏追討の御心は揺るぎ無く、これを完遂する事を強く望まれていらせられる。そこで左馬頭どのにはあらためて西海へ赴いて貰う事となるが、良かろうな」

右大臣九条兼実が念を押す様に発言する。

「はっ。しかし先程も申し上げた通り、鎌倉からの軍勢が迫って来ている現在、私が京を離れる訳には参りません。ここは私の叔父志田三郎先生義憲にその任をお命じ下さいますよう。私から御願い申し上げます」

義仲は兼実の言い分には理解を示した。
が、その命令をやんわりと断ると、逆に要望を申し立てた。
当然、義仲としては平氏方と和睦した以上、本気で平氏追討を遂行するつもりなど無く、志田義憲が西海へ派遣される事で、それだけ平氏との共闘に有利に働く、との計算があったのである。


「ふむ。志田三郎先生とな」
法皇は呟くと、幾分眼を細めた。

実は昨日、緊急招集した公卿会議の席で、公卿らの間から『義仲は既に平氏方と同盟を結んでいるのでは?』『だからこそ追討令を無視し京へ帰って来たのでは?』との疑念が上がっていたのである。
そこで法皇は事の真相を確かめる為、再度平氏追討を義仲に迫ったのであった。確かに義仲の言い分にも一理あったが、ここで義仲が平氏追討を拒んだ事で、義仲に対する別の疑惑が固まる事となってしまった。


つまり『義仲と平氏は既に同盟を結んでいるのでは?』という疑惑が。


「まあ良い。その事はおいおい命じる事となろう」
法皇は余裕を見せて取り敢えず平氏追討の件は先送りとなった。
が、その法皇の義仲を見る眼には先程の好々爺然とした温かさとは真逆の冷たいものが宿っていた。
ここにも気分で遣り方を変える法皇らしさが如実に表れていた訳だが、ちらりと左大臣経宗に目配せすると、

「では本日の会議はここまでとする」

その意を汲んだ左大臣は早々に閉会を告げると、一同は平伏し法皇が退出して行くのを見送っていた。





「ぐぬぬぬぬ・・・義仲め!言い逃れおるとは!
全く口先だけは達者なヤツじゃ!それにしても朝廷も手緩い!
謀叛の疑いを掛けられた者を捕縛もせずに申し開きを訊いただけで許すとは!これでは朝廷の権威などあって無い様なモノでは無いか!
ええい!口惜しい!」

憤懣やる方なく地団駄を踏み、己れが作り出した不満と怒りを義仲と朝廷の双方に打つけている行家は、競争者を陥れる為の一世一代の謀り事[法皇に直接、嘘をチクった事]が脆くも失敗した事に憤っていた。

 しかしこの一件で“朝廷の権威・威信”を失墜させた張本人は誰でも無い行家本人であった事に、この男は永遠に気付く事は無いだろう。
 それはどの時代、どの政体、どの国であっても反政府のクーデター紛いの謀略が実行される事はもとより、計画され、この事が表沙汰になるだけでも国政を執る政権担当者らの権威や威信はダメージを受けてしまうのである。である以上、この事は行家の密告によってその政権の権威は揺らいだ事は間違い無く、しかもその誣告を行った者を追及せずに不問に付した事で、二重にこの政権の権威が失墜したのであった。
 しかも何度も言う様に、全て行家の嘘なのである。彼の出任せを法皇が軽々しく信じたかどうかは判らないが、これを義仲に対する政治的因縁として利用した法皇ではあったが、この一件の影響は法皇や公卿らが考えるより深刻で広範囲に及ぶ事となってしまったのである。
 それは、義仲と行家が対立している事を喧伝する事となり、源氏内の葛藤をより深刻なものへとエスカレートさせただけで無く、義仲と法皇が対立している事も白日のもとに晒す事になってしまったのである。

 この二点は公卿らや源氏内の一部の者らには周知の事実ではあったのだが、法皇が自ら公式の場で義仲に対し尋問した事で、天下にこの事を知らしめてしまった事になる。


 これを受けて真っ先に動揺したのが相伴源氏の連中であった。彼らは元々義仲の勢いに便乗して京にやって来た者が大半で、まぁその中には行家の口車に載せられて来た者もいた事だろうが、始めから義仲に協力するつもりも無く、また行家の為に何かしてやる様な者らでは無いのだ。その様な彼らに、義仲VS行家の対立が知れ渡ると、これに巻き込まれる事を恐れた彼らは、保身の為に京から姿を消す事にしたのである。つまり自分の領地へと帰還して行ったのであった。これは京の治安回復にとっては歓迎すべき事ではあったが、彼らはこの期に及んでも“最後の一働き”というつもりで狼藉騒ぎを起こしてからその領地へと帰って行ったのである。そしてこの狼藉を食い止める事が出来なかった以上、当然この狼藉も義仲勢の仕出かした事にされたのであった。
 だが、これで義仲の頭を痛めていた市中の狼藉が止み、それに付随する源氏同士相撃つ様な事態が避けられた事は良かったのであるが、もう一つの対立、つまり義仲VS法皇という更に深刻な事実が知れ渡ると、曲がりなりにもこれまで朝廷や義仲の命令に従って来た京周辺の各国の対応に変化が現れ始めた。

 その筆頭は大和国の国府も兼任している奈良の興福寺である。国府であり有力寺院でもある興福寺が、義仲の命令に従わなくなってしまったのである。義仲は興福寺僧徒に対し狼藉の停止及び鎌倉の軍勢に対抗する様に命じたが、これを一切無視されたのであった。
 それは法皇や朝廷の信任を得、その威信を背景にした義仲の命令だからこそ今まで従っていたのであったが、法皇との対立が表面化してしまった事で、義仲のその威信は低下してしまった事を意味し、である以上、義仲の命令には従う必要は無い、と考える者らが出て来たしまうのは当然といえば当然の事であった。
 法皇がこうなる事を予見していたとすれば、それはなかなかの政治的判断と言えるが、自らの権威を堕としてまで実行する事は一か八かの賭けであり、そもそも賢明な政治家ならばその様な事は実行しなかっただろう。何よりも法皇は義仲の威信を落とす事には成功したが、政治的には混乱を招いただけであり、朝廷の統治能力を低下させた事にもなってしまったのであった。

 ともあれ、相伴源氏が京から姿を消した事で治安状況は劇的に回復したのであるが、その京に残されたものは義仲に対する行家や法皇の露骨過ぎる嫌がらせ、または挑発であり、義仲と法皇、そして行家はその関係を一気に険悪化させて行ったのである。




「義仲様。お疲れのところ申し訳ありませんが、伊勢へ派遣した郎等らから書状が届きました」

四天王今井兼平が書状を携え、義仲の私室に声を掛けると、衣冠束帯の装束を纏った義仲がすぐに私室から廊下に姿を現した。
書状を受け取りながら義仲は兼平に眼をやると、

「ははは。何もお前がその様に済まなそうにする事はあるまい」

笑顔で応じたが、その笑みは幾分無理をしている様に兼平には感じられた。
義仲はつい先程、法住寺御所から六条西洞院の邸に戻って来たのである。

ここのところ毎日か或いは二日に一度は御所に呼び付けられていた義仲を案じていた兼平は、また法皇からどの様な言い掛かりを付けられたのかと気が気では無かったが、政治的に極度に緊張が昂まって来たとあっては、どの様な事にも対応して行かなければならない以上、申し訳ない、と思いつつも声を掛けたのであった。

実際、義仲を取り巻く状況は一刻一刻と予断を許さない程、変転し速度を上げて進行している。

と、
「広間に第一軍から第六軍までの大将を集めてくれ。現在、市中警護に出ている者は?」

「今は大将で出ている者はいません。ここのところ治安が回復して来ているので、皆、各々の郎等らに市中警護を任せております」
兼平の答えに義仲は満足そうに頷くと、

「では、すぐに広間で今後の事を協議したい」

義仲は命じると、着替える事無く広間に向かって行く。
兼平も足を速めてその後に付いて行った。


「伊勢に派遣した郎等の報告によると、鎌倉から京に向かっている軍勢はおよそ五〇〇騎。
これは軍勢では無く、先に法皇が発した“十月宣旨”の御礼の為、法皇に進物を寄贈し、また各国にこれを布告する、という体裁を取っている、という事だ」

主だった麾下の武将達が勢揃いしたところで義仲は書状の内容を告げた。
一同を見渡した義仲は、ふと違和感を覚えた。次の瞬間、彼はその違和感の正体に思い当たる。

これまで慣れ親しんだ顔が無い事に。

そう。
海野弥平四郎幸広・矢田判官代義清・高梨六郎高直の三名がこの場に欠けている事に。


義仲はあらためて胸に杭を打ち込まれたかの様に感じつつ、未だ三人の戦没を受け止め切れていない己れの心を自覚していた。気分が優れずにいる義仲だったが、それを表に出す事無く、顎の紐を解き冠を頭から外すと、少しだけ呼吸が楽になった様に感じた。

と、
「三万騎以上の大軍勢を擁して堂々と出陣てヤツは一体どうなったんだ?
頼朝が鎌倉を出発したってコトもガセだったのかよ?」

四天王根井小弥太がぼやきつつ、四天王筆頭樋口兼光にフると、

「いや。頼朝が鎌倉を出陣したのは確からしい。だが数日の内に上洛を取り止め、代官を任じて送り出した後はまたも鎌倉に引き返したそうだ。何故、頼朝が引き返したのかまでは判らんが」

兼光が応じると、

「取り敢えず頼朝に関しては鎌倉に引き返した以上、現時点では直截の脅威とはなり得ない。が、代官を送り出した頼朝の意図、いや真意は何なのか?」

手塚光盛が慎重に疑問を呈した。

「京の状況や西国の平氏、それに我らに対する敵情視察以外の何かがあるとは思えませんが」

津幡隆家が答えると、頷いた者が多くいた。

「とは思うが、その代官と五〇〇騎の鎌倉からの使者を京に入れるかどうかは公卿らの中でも意見が割れている。私からはこの使者の一行の入京を認めない事を願い出てはいるが、どうなるかは判らん」

義仲は連日に及ぶ御所詰めの疲れを滲ませて言う。
穏やかではあるが、気のせいかその声に張りの様なものが無い事に、義仲以外の全員が気付いていた。と、

「ところでぇ」
明るく澄んだ声がともすると沈んで行きそうなこの場の空気を勢い良く攪拌した。戦う美少女こと巴御前である。
彼女はその持ち前の明るさと勘の良さで、幾度となくこの様な場面を救って来た。そしてこの時もまた彼女はその本領を発揮し、皆の感情を切り替える事に成功した。

「その代官て一体、誰なんです?」

巴が無邪気に問い掛けると、皆は、あっという表情になった直後、皆は苦笑に包まれていた。


誰もが頼朝の事や、その真意にしか眼中に無く、その代官の者にまで注意を向けていた者がいなかったのである。この事に対する自嘲の苦笑いなのであった。
その中には義仲も含まれ、幾分は元気を取り戻した義仲は皆に告げた。


「郎等の書状では確か、御舎弟源九郎冠者義経、と言うらしい。
頼朝の一番末の弟、という事だが」

義仲はちらりと兼光に眼をやると、兼光は頷き、

「陸奥の藤原秀衡の庇護を受けていた、という事ですが、富士川の合戦の後、兄頼朝の許に参り、それ以後鎌倉に身を寄せているそうです」

各国の武士達と幅広く交誼を結び、その為に数多の武将らの素性に通じている兼光が、その片鱗を見せつつ答えると、

「へェ〜。大丈夫かよ、その九郎義経ってヤツ。源氏は昔っから代々兄弟仲が悪ィからな。兄貴の頼朝に顎でコキ使われてんじゃ無ェのか」

小弥太がぶっきらぼうに言い放つ。
と、戦う美少女が、ゴゴゴゴゴと地鳴りがしそうな程の迫力と表情で小弥太を睨み付けた時、小弥太は自分が失言した事を覚った。

頼朝の父義朝と義仲の父義賢は兄弟であったが折り合いが悪く、その為、兄義朝の長子義平に義賢は殺されたのである。その事件が世代を変えた現在にも暗い影を落とし、頼朝と義仲の対立にまで至る一因となっているのだ。小弥太としては軽い冗談のつもりであったが、洒落にならない、とはこの場合の事を指す。

と、
「ははは。巴、そう小弥太を睨むな。大体、小弥太の言った事は事実であるし、河内源氏の兄弟となれば誰もがその仲を危ぶんでしまうのも仕方の無い事だ」

義仲は笑いながら巴を諌める。
戦う美少女はもう一度、ギロリと小弥太に視線を刺すと、

「まぁ考え無しなのが小弥太の売りなんでしょうケド」

呆れた様に口にすると小弥太は、悪かった、と両手を合わせ巴を拝む様にして謝罪している。その小弥太の様子に巴は思わず吹き出すと、直後にはけろりと表情を変え、一転して元の明るい笑みに戻ると、

「その九郎義経サンて代官のヒト、今、ドコにいるんです?まだ伊勢に?」
義仲に問う。

「いや。美濃の不破の関[現在の岐阜県関ヶ原辺り]まで至っているそうだ」

「この京には数日で来れる距離です。義仲どの、五〇〇騎くらいの少数の兵しか連れていないのなら懸念する事は無いのでは?それにもし法皇がその代官の入京を認めたとしても、兵は京の外の近江国大津辺りに止めさせれば問題は無かろうと思うのですが」

志田義憲は考えながら発言した。

「しかし志田どの。代官とは言え結局は頼朝の使者です。
その様な者を法皇や朝廷の公卿らと接触させる事は、大っぴらに我らに対する策謀を行え、と言う様なものではありませんか。彼らは既に裏で手を結んでいる訳ですから」

四天王楯親忠が志田義憲の楽観論に反対した。

「義憲どのと同じ事を考えている公卿も多くいる。しかし楯と同じ懸念を私も抱かざるを得ない。しかも私と完全に袂を別った行家が、この代官に接触を図る事すら考えられる」

義仲は額に伝う汗を手で拭いながら呟くと、一同は一斉に苦い顔になった。


恥知らずな自称大将軍ドノなら、己れが優位に立つ為ならばどんな事でも仕出かしてしまう、という事に皆は思い至ったのだ。

義仲は一息吐くと続ける。

「頼朝に嫌われているであろう事は行家の方でも分かっている筈だ。
であればその様な事は無い、と私は思うが、頼朝であれば行家を使い捨てるくらいの事は平気でやるかも知れん。
代官の入京をどうするか決定するのは朝廷である以上、これが認められれば反対する事も出来ん。そこで」

義仲は一旦、言葉を切り、荒くなる呼吸を鎮めると、

「代官の入京の可否に拘らず、これよりは行家の行動に眼を光らせる。
行家の邸、法住寺南殿萱の御所には常に見張りの者を置く事とする。
行家にバレても構わん。
こちらがその様にするだけで行家の行動は制限されよう」


義仲は遂に決断したのである。京に入って以後、常に義仲に対し敵対的な行動と言動を繰り返し、剰え義仲に無実の罪を着せて追い落とそうと画策した行家を、これよりは敵と見做す、と。

これまでは行家が何を言おうが、不快で煩いだけで殆ど影響力など無かった以上は、されるがままに放って置いた義仲だったが、袂を別った行家が法皇に接近し、徐々に影響力を強めるのを黙って見過ごす程、義仲という武将は甘くは無かったのである。


しかも行家は一線を越えた。


法皇を利用し、誣告してまで義仲を陥れようとした事は、完全に義仲の許容する範囲を逸脱したのである。

この一件は義仲にとって行家の宣戦布告と受け取った。まあそこまでされて笑って許してやる者などいないだろう。いるとしても少数の中の更に少数であろうが。


ともあれ、完全にその腐り切った地金を表し、なりふり構わず義仲を蹴落とそうと躍起になっている行家に対して、本腰遠入れて対応せざるを得ない状況にまで義仲を追い込んだ張本人は、やはり行家その人なのであった。
彼の積み重ねて来た無責任な言動や突破な行動の代償を本人に払わせる為に。



「これまで愚かな事を繰り返して来た行家だが、さすがに京に於いて私相手に戦いを挑んで来る程の度胸は無かろう。監視を付ければ少しは大人しくしてくれる筈だ。行家の事は以上だ」

義仲が言い終わり、一同を見渡すと皆の顔はどこか晴れ晴れとしていた。
義仲以上に、行家の事を不快に思っていたのが彼ら麾下の武将達だったのである。その表情を見ている義仲は、彼らに対し申し訳なさを感じていた。彼らが義仲の事を気遣って心を痛めていたであろう事に。

と、
「平氏追討の件はどうなりました?
今日も御所でその事に付いて話し合われたことと思いますが」

兼平が尋ねる。

「ああ。そこで再び志田義憲どのを、と推薦したが、またも認められずに終わった。私が追討に向かわず、義憲どのが認められない以上、平氏追討は頓挫した事になろう。
他に適任者などいないからな、このまま行けば法皇に平氏追討を断念させる事が出来るかも知れん」

義仲は明快に答えた。
が、兼平は義仲の呼吸が速くなっている事に気付くと、

「やはりお疲れなのではありませんか?
義仲様、今日は早々にお休みになって下さい」

気遣う様に声を掛ける。
戦う美少女も心配そうに義仲を見詰めていた。
普段なら笑い飛ばして会議を続ける義仲だが、この時は素直に兼平の言葉に従った。

「そうだな。ではそうさせて貰おう。
この続きは明朝に行う。明日もう一度、集合してくれ」
義仲は穏やかに指示すると、傍らに置いた冠を手に取り立ち上がる。


「「「解りました」」」


一度が深々と、頭を下げて応じた時、どさっと音がしたかと思うと、

「義仲様ッ!」

これまで聴いた事の無い戦う美少女の悲鳴が皆の耳を撃った。
その事に驚いた一同は反射的に頭を上げると、その視線の先には更に驚愕する光景が彼らの視界に飛び込んで来た。
義仲がその場に崩れ落ちていたのだ。

先程、手にしていた冠がその手を離れ、転がって行くのを茫然と彼らは見ている。

と、逸早く義仲に駆け寄る巴・四天王・光盛・覚明らは口々に義仲の名を叫んだ。
が、義仲はこれに応える事は無かった。


巴は無我夢中で、ぐったりとして力の無い義仲の頭を掻き抱くと、


「義仲様ッ!義仲様ッ!義仲様ッ!」


真っ青な顔色になり、義仲の名を呼び続ける。
そこに兼平の叫び声が重なった。


「急げ!義仲様を寝所にお運びするぞ!」


その声を聞いた津幡隆家と落合兼行が広間から駆け出して行く。
寝所の準備を整える為であろう。
その時、駆け出す両者のどちらかに踏まれた義仲の冠が潰れて転がっていた。


四天王・巴・光盛・覚明の七人に抱えられた、意識を喪った義仲は、そのまま寝所に担ぎ込まれて行く。この時、あるじの身体に触れた者全員が、あるじの身体が変調をきたしている事を覚った。
その義仲の身体は尋常で無い高熱を帯びていたからである。



十一月六日の夜、六条西洞院の邸内に於いての出来事であった。