行家ものがたり①1180年4月
(いよいよワシが大活躍する時が来たようじゃ!)
彼は一人で盛り上がっている。久し振りに。
無理も無い。今から約二十年前に都で戦さがあり、彼の属していた源氏方は大敗北した。この戦いを平治の乱と呼ぶ。そして総大将の源義朝[頼朝の父]が討たれた後、彼は各地を逃げ回り紀州熊野[和歌山県熊野]に隠れ棲んでいたのである。つまり彼はこの二十年は何もしていなかったのと同じであった。
だが彼は自分自身の事を、私は偉大な先祖[例えば八幡太郎義家。代々の源氏の中で一番のスーパーヒーロー!]や兄であった義朝に勝るとも劣らない才能を持つ古今稀な武将である、と、厚かましくも自己規定していた。
いや、そう思い込む事に成功していた。彼は自分の出来る事と出来無い事が判っていない男で、出来無い事も出来ると思い込んでしまうような性格であった。
一言で言えば、周りも自分も見えていない困ったちゃん、なのである。
その彼に、実に久し振りに仕事が回って来たのであった。それは東国にいる源氏の諸将に、ある書類を届ける事。何だよ、単なる配達[デリバリー]かよ、と思ってはならない。この書類が重要なのである。以仁王の令旨なのである。
以仁王とは後白河法皇の第二皇子。
令旨とは皇子[親王]の命令書の事であり、公文書である。そして何が重要かと言うと、その令旨には、
『今こそ調子に乗っている平氏を滅ぼす時である。その為に全国の源氏は私と共に決起してくれ。その後に私は天皇になり、世の中を正したい』
と、こう言った事が書かれていたのである。つまり、反平氏の行動に出るから源氏もこれに参加せよ、という訳だ。
この令旨はこの後、日本全国を巻き込む源平の合戦[治承・寿永の内乱]の直接の原因になるのである。
(こんな大事な令旨はワシぐらいの高貴な武将が持って行って初めて価値があるのじゃ!)
彼はそう思っている。どこまでも自分大好きな困ったちゃんであった。
さてそろそろ彼の事を紹介するとしようか。彼の名は源十郎義盛。源為義の十男で、義朝[頼朝・義経の父]、義賢[義仲の父]の弟にあたる。先程、ワシぐらい高貴な武将、と彼が思っていたのはあながち感違いでは無い。つまり彼は河内源氏の血筋なのであった。高貴かどうかはともかく、武士として有力な家系であったのは間違い無い。だが彼自身は断じて高貴では無い。血筋がどうの家系がどうのでは無く、彼のこれからの生き方が高貴では無いのである。まあこれまでも別に高貴であった事など無かったが。
それはさて置き、彼も源氏である以上、ここ二十年に及ぶ平氏全盛の世の中は気に入らなかったのだ。好き勝手出来無かったし、出世も、いや世に出る事すら出来無かったからである。何より平氏の眼を気にして生きている事に飽きたのであった。
(いずれ必ず河内源氏を再興する時が来る!そしてその時に源氏の惣領[トップ]になるのはこのワシじゃ!)
この様な事を思っている時、熊野に棲む彼のもとに、
『急ぎ都まで来て欲しい』
との連絡が来たのである。
「お前を今日から私の蔵人[役人]とし、令旨を伝達する使いとして東国へ行け」
「ははーーーっ!」
彼は喜んでこの命令を引き受けた。ここは都の三条高倉の御所、つまり以仁王の御屋敷である。彼に直々に命令したのが以仁王であった。彼はここに職[蔵人という役]と仕事[令旨の配達]の両方を手に入れた。
(ワシにも運が向いて来たんじゃ!よし!ヤるぞ!ヤってヤるわい!)
彼はヤる気に満ち満ちていた、とその時ある思い付きが閃いた。
「以仁王様。この私を召していただき、しかもこのような重要な御使いを私に任せていただき有難う御座います」
彼は頭を床に擦り付けながら礼を言った。続けて、
「今日より私は以仁王様に仕える訳ですから今までの名である義盛を改め、これからは新宮十郎蔵人行家と名乗る事にいたします」
言った。何故か彼は改名したのである。と、
「では新宮十郎蔵人行家。令旨の事、くれぐれも頼む」
「ははーーーっ!!」
という訳で、この行家も歴史の表舞台に登場してしまうのである。
そして行家は旅立った。ヤる気に満ちて。
(このワシが東国の源氏を総て従え、次に都へ戻る時には大軍勢を引き連れ、凱旋してヤるわい!)
この現実離れした野望と共に。東国へと。
とにかく行家は都を出発して、近江[滋賀県]の源氏から始まり、美濃[岐阜県]、尾張[愛知県]、甲斐[山梨県]の源氏の一族に命令通り次々と触れ回ったのである。そして伊豆[静岡県]まで来た時、
(そうじゃ!伊豆北条にはワシの兄義朝の息子頼朝がいたな!ワシにとっては甥にあたるし、先の平治の乱[二十年前!]の戦さの時には一緒に出陣して共に平氏と戦った事があったのう!それが今では流人とはのう。まぁ可哀想じゃから頼朝にも声をかけてやろうかのう。そうじゃ![二度目]そうすれば頼朝もいつかワシの麾下の武将になるかも知れんしな!)
と、実におめでたい事を考えつつ、とにかく甥の頼朝にも令旨を与えた行家。次に常陸[茨城県]へ来た時に、
(そうじゃ![三度目]常陸志田浮島にはワシの兄の志田三郎先生義憲[義仲の父義賢のすぐ下の弟]がいたな!弟であるワシが頼めば当然ワシに協力してくれるじゃろう!何せ実の兄弟じゃからな!)
と、やはり自分中心に物事を考えているが、とにかく兄義憲にも令旨を与えた行家。その後、信濃[長野県]に来た時には、
(そうじゃ![四度目]信濃木曽にはワシの兄義賢[義朝の弟、義仲の父]の息子の義仲がいたな!ワシにとっては、これまた甥にあたる!義仲にも声をかけてやろうかのう。そうじゃ![五度目]そうすれば義仲もいつかワシの麾下の武将になるかも知れんしな!)
と、もういいよ、解ったから、と言いたくなる程、同じ様な事を考えていた。とにかく甥の義仲にも令旨を与えた行家。彼は陸奥[東北地方]まで行くつもりであった。行家の旅はまだ続く。
順調に仕事をこなしている様に見える行家だったが、彼は少々派手に東国で行動していたので、行家の噂はすぐに地元の紀州熊野に届いてしまった。
噂というのは拡まるのが速い。行家が配達するより余程速い。それはともかく行家の反平氏の行動を苦々しく思っている者が熊野にいた。熊野三山[熊野本宮大社・熊野那智大社・熊野新宮速玉大社の三社]の熊野本宮別当[寺務、社務を司る長官]の湛増である。湛増は代々熊野別当職を務める家の者で、何故か平氏に対して恩を感じていたので、行家の反平氏の行動が気に入らないのであった。
それと、もしかしたら三山内でのゴタゴタがあったのであろう。熊野大社の様な大きく、しかも幾つも分かれている様な寺院や神社は、大抵内側では仲が悪いものであった。それに行家は、新宮十郎蔵人を名乗っている以上、新宮速玉大社の地所に隠れ棲んでいたのだ。ともあれ本宮の湛増としては、普段から目障りな新宮をタタく好機[チャ~ンス!]として、また平氏に心を寄せていたので、行家の行動を問題にしたのである。
湛増は言う。
「十郎蔵人が以仁王の令旨を持って、東国の源氏どもと共に謀叛を起こそうとしている!那智、新宮の奴らは必ず源氏に味方するだろう!私は平氏に恩を受けている身である以上、平氏の為に那智、新宮と戦い、この事を都の平氏にお知らせしよう!」
と。そして何と湛増は一千人の兵を集め、新宮に対して戦さを仕掛けたのであった。が、三日続いた戦闘は、あっさりと本宮の湛増が敗北した。つまり喧嘩を売った筈の湛増だったが、ボロ敗けした挙句、怪我を負い、危うく討ち取られてしまう一歩手前で家に逃げ帰る、という何とも情けない結果に終わってしまったのであった。だが、この騒ぎは熊野だけでは収まらなかった。湛増は敗けた腹いせに都の平氏にこの事をチクったのである。いや、たとえ勝っていたとしても湛増はチクっただろうが。
こうなると平氏の対応は速い。事の発端である以仁王と、秘かに以仁王に協力していた源頼政[摂津源氏]に逮捕命令を出し、これに気付いた以仁王と頼政が都から逃亡するやいなや、軍勢を派遣して逮捕どころか討ち取ってしまったのである。これは行家が都から旅立って一カ月後の事であった。そうとも知らない行家は、まだ東国の旅を続けていたのである。
何故、長々と行家のいない熊野や都の状況を書いて来たのかというと、源平の内乱期における行家の黒い伝説、と言うか黒いジンクスが端的に表れている事象だからである。
行家の黒いジンクスとは、
『新宮十郎蔵人行家と、ある程度関わりを持ってしまった者[人であれ勢力であれ]は必ずロクな事にならない。場合によっては、死[滅亡]に至る事もある』
という、何とも不穏で不吉で縁起の悪いものである。
しかし、これが実はジンクスなどでは無く事実なのだから余計に怖しい。
順に説明して行こう。先ず平治の乱、この時に行家[当時の名は義盛]が属していた源氏は平氏に完敗。総大将義朝以下ほとんどの源氏が討ち取られ、何とか助かったのは頼朝くらいという散々な結果に終わっている。この時、行家はとっとと逃げて、その後隠れていたのだが。そしてその行家を匿っていた熊野の新宮の者達は、本宮の湛増に喧嘩を売られ攻め込まれた。新宮は勝ったのだが、行家を匿っていた事で、しなくてもいい喧嘩をしてしまう羽目になったのだ。この時、行家はとっとと東国へ旅に出ている。更に、行家に令旨の配達を命じた以仁王と頼政は、あろう事か行家に命じた一カ月後には平氏に殺されてしまったのである。この時、行家は自分の未来が薔薇色である事を妄想しながら東国の旅を続けているのである・・・
お解り頂けただろうか[テレビの心霊特番のナレーション風]。行家と絡むとロクな事が無い、と断言した理由が。
そして想像してみて欲しい。
この生きたリアルチェーンホラー、もしくは歩く不幸の手紙、とも言える十郎蔵人行家が日本をうろついている事の怖さを。[感染拡大とかパンデミックとか、余り良い印象の無い単語が、頭に浮かんで来るだろう・・・]
だから祈らずにはいられない。これを読んでいる皆も祈って欲しい。
どうか。彼と図らずも関係を持ってしまった人達に不幸が訪れませんように。
どうか。彼と計らずも関係を結んでしまった人達に、呪われた運命が発動しませんように。と。
そんな自分の隠された、真に怖しい属性の事などまるで自覚する事無く、かの十郎蔵人行家は旅を続けていた。こんな妄想と共に。
(このワシが河内源氏を再興するのは決まっているとして・・・そうじゃ![最後]平氏は一族で日本の半分以上を支配していたから、ワシともなると源氏一族では無く、ワシ一人で日本の半分以上を支配出来るかもしれんのう!いや!かも、では無く、出来るのじゃ!何せワシは十郎蔵人行家じゃからのう!)
周りを必ず不幸にする男の、とても幸せな時間であった。