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火打(燧)合戦

〇寿永2(1183)年4月23日
〇福井県南越前町
〇北陸武士 5~6千 VS平家 10万騎

北陸武士が準備していたダムが平泉寺斉明の裏切りで壊され、平家に攻め込まれた。


〇戦の詳しい展開

①火打城の西と東から河が流れ込んでおり、大石を重ね、柵を掻いて水をせき止めた。船で渡らなくてはいけないぐらいの幅になっていた。



②4月21日、平家の軍勢はどのようにして城を落とそうかと評定したまま二日たってしまった。その間に斉明が平家が10万騎に及ぶと聞いて、これはかなわないとたちまち変心した。


③斉明の手のものが平家に矢文を送り、城の攻め方の作戦、水をせき止めている地点などを記し、斉明が50騎ほどで味方するとあった。


④平家は斉明の矢文を確かめるため書かれていた城の攻め方を500騎で実行する。城への道が正しく書かれていたため信用し攻め込み勝利を収めた。源氏方はどのくらい被害が出たかはっきりしないが、主力メンバーは次の城へ移動する。


■参考文献

【延慶本】
・義仲は信濃にいる
・大将は斉明
・信濃勢は落合のみ
・五千余騎

・燧が城が落ちたと聞いて義仲が白山に祈祷する

【長門本】

ほぼ同じ流れ。白山祈祷なし

【源平盛衰記】

「源氏燧城を落つる事」という段を設け、そのあとの戦の展開に詳しい。