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義仲戦記11「北陸義仲出陣」1183年5月

「義仲。いよいよ出陣するのか」

宮様[北陸宮。以仁王の御子]が、静かに尋ねた。

「はい。征って参ります」
源義仲も静かに、そして穏やかに答えた。
和やかな雰囲気の中で。

しかし、義仲が纏っているのは緋色の匂い威の大鎧[鎧の上の段に行く程、色が濃くなるデザイン。明るい赤から濃い深紅のグラデーション]。
戦備えの格好である。
だが、出陣前の張り詰めた緊張感、などはどこにも無かった。

ここは越後国府[新潟県]の近くに造営された仮宮[宮様滞在の為の仮の御所]の一室であった。


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この年の四月。
平氏は源義仲、源頼朝追討の為に、追討軍約十万騎を都から出陣させた。
先ず北陸、東山両道を勢力下においている義仲を討ち、次に関東、東海両道を支配している頼朝を討つ、という行動計画のもとに。
その為、都から近い北陸に、平氏方は出兵して来たのである。

『平氏方追討軍約十万騎。北陸に向かい都を出発』
の報告が入ると、北陸越中[福井県]宮崎で宮様を保護してしていた宮崎長康[越中の武将]は、この報告と共に、宮様を越後国府に居る義仲へと送り届け、更に義仲に出陣を要請して来たのであった。

これは平氏方が出兵して来る以前から決定していた事で、義仲勢としては予定通りの行動、という訳である。

そして義仲は宮様を越後の仮宮に迎え、出陣の為に信濃『長野県]や上野[群馬県]、その他武蔵[埼玉県]や越後から兵や麾下の武将達を招集した。
ここに遠征の準備は完了したのであった。


「北陸での騒ぎが治まりましたら、宮様には再び越中宮崎の仮宮にお移りになっていただきます」

宮様の側に控えている藤原重季[宮様の後見人]が言った。重季だけは少し緊張していた。

「そうしていただきたい、と思っております。但し、日時ははっきりとは申し上げられません。あまりお待たせする様な事にはならない、と考えておりますが、戦さである以上、こればかりは断言致しかねます」

義仲が宮様に向かって言う。

と、
「解っている。義仲、武運を祈る」

「はっ。この義仲。宮様の為、微力を尽くします。
 藤原重季どの。宮様を宜しく頼みます」

「判りました。宮様の事は御心配無きよう。義仲どの。御武運を」
重季が応じた。
義仲はもう一度、宮様に礼をして、立ち上がり仮宮を退出した。

そして義仲は出陣した。
義仲が心の底から信頼している武将ら[仲間達]と五万騎の軍勢と共に、この大遠征の途についたのである。

だがこの日、義仲の指示により北陸諸将が心血を注いで築城した越前[福井県]の燧ケ城は陥落していた。燧ケ城に籠城した北陸勢の総大将である平泉寺長吏斎明[有力自社の平泉寺、白山神社の僧兵団の僧兵]の裏切りによって。

満を持して大遠征の途についた義仲だったが、燧ケ城で籠城し義仲本隊が越前に到着するまで時間を稼ぐ、という当初の構想は出陣の日に崩れた事になる。その前途は多難であった。
勿論この事を義仲はまだ知る由も無い。


「なるべく行軍を速めたい」

義仲が麾下の武将達の前で言った。
越後国府を出陣して四日目の夜。
露営地で義仲は麾下の武将達を集めて軍議を開いていた。
ここはまだ越後国内である。とは言え、義仲勢も別に悠遊と進軍している訳では無い。急いではいるのだ。だが、何と言っても五万騎の軍勢である。義仲や麾下の武将達にとっても、この様な大軍を率いた事などこれまで無かったのだ。軍勢は多くなる程、行軍速度が落ちる、という事を知ってはいたが、今回その事を身を以て実感している義仲とその麾下の武将達であった。

「確かに百や千の軍勢とは違いますからね。兵達をもっと急がせますか?」

四天王の筆頭格である樋口兼光が問うと、

「いや。速度自体は今のままで良い。下手に兵らを急がせても、徒らに疲れさせるだけだ」
義仲が答える。

と、
「そうです。そうなったらいざ戦場に着いた時には兵が使い物になりません」
四天王の今井兼平[樋口兼光の弟]が言った。

「では一体どうするのです?」
四天王楯親忠も義仲に問うた。

「速度を上げるのでは無く、行軍する時間を長くして距離を延ばす。つまり夜明け前には出発し、休憩は最小限に減らして、陽が沈むまでは行軍し続ける」

「それは少しキツくなりますね。
でもまぁ、行軍の遅さにイラついているよりはマシでしょうね。っても今までだって別にのろのろ来た訳じゃ無いすけど」
言い訳では無く事実であった。
四天王根井小弥太[楯親忠の兄]が言う。しかし思ったより距離が伸ばせていない事にイラついていたらしい。彼の性格からすれば、一日も早く戦場に着き、戦いたかったのだから。

「解りました。明朝からの行軍はその様にします」
今井兼平が答えた時、

「義仲様は何かご懸念でも?燧ケ城は湖に浮かぶ様な城、と聞いています。いくら十万騎の平氏方と雖も、そう簡単には」
手塚光盛が言うと、

「そうそう。俺も見たけど凄かったアレは。我らが到着するまでは充分、持ち堪えると思いますが」

大夫坊覚明が引き継ぎ、義仲に問う。


「燧ケ城自体は堅牢で心配はしていない。しかし戦さというものは激動の連続で、しかも常に流動している以上、何が起こるか解らん」

「義仲様の懸念は城では無く、平氏方の十万騎、という事ですね?」

巴御前こと、戦う美少女巴が問いかける。

「そう。私が敵の立場で十万騎を率いていたら、軍をいくつかに分けて、先ず一軍で燧ケ城を囲んで置いて、残りの軍勢で先に進む。そうなれば北陸の地は荒らし放題、となるからな」

「もし平氏方が既にその手で来ていたら・・」
葵御前こと、熱血クールビューティー葵が険しい顔で呟く。


「だからなるべく早く進まねば。敵の平氏方が北陸の地の奥深くまで侵攻して来る前に、これを阻止したい」

義仲が皆を見回しつつ言った。
と、
眼を伏せて、

「もし敵が兵を分けていたら、か。
あまり考えたくは無いが、北陸の諸将らは辛い戦いをする事になるだろう。眼の前で侵攻して行く敵を、黙ってそのまま行かせる様な者は、北陸諸将の中には居ない筈だから・・・」
辛そうに呟いた。

と、
「義仲様!宮崎どのの伝令が来ております!」

郎等が軍議の場に駆け込んで来た。

「急いでここへ」

義仲が応じると、宮崎の伝令が両脇を支えられながら義仲の前に来た。

「水を」

義仲が言うのと同時に、戦う美少女巴がスッと柄杓に汲んだ水を、伝令に差し出す。
義仲と巴の阿吽の呼吸、である。
その様子を少し驚きつつ見ていたアクティブクールビューティー葵は、

(こういうところ、巴には敵わないんだよなぁ)

と思っていた。


水を飲み終え巴と義仲に一礼した伝令は言った。

「申し上げます!燧ケ城が陥落しました!」
と。

ここに居る全員が息を呑んだ。
そして、

(まさかこんなに早く落城するとは・・・)

と全員が思っていた。

「経緯を詳しく報告してくれ」
義仲だけは、変わらず穏やかに言った。


「はっ!四月二十四日、平氏方が燧ケ城に来襲。
二十五、二十六日と両軍は睨み合っていましたが、翌二十七日未明、城の堀の水が抜かれ敵が突撃。味方は応戦しましたが、平泉寺長吏斎明が敵に内通し、味方を裏切り、燧ケ城の城門を開け、敵が城内に雪崩れ込み、これを支え切れなくなった味方は燧ケ城を放棄。越前の河上城まで退却しました!
以後、河上城を拠点に敵を迎撃する、との事です!」

一気に報告した伝令に、

「解った。伝令の役、御苦労だった。下がって休んでくれ」

これも変わらず、穏やかに義仲が言う。

「はっ!失礼します!」

もう一度、一礼し伝令が出て行った。


「畜生。アイツが。あの斎明が裏切りやがったのか」

両手の拳を握り締め、根井小弥太が低い声で唸る。

「斎明ってヒトは、確か稲津新介[実澄。越前の武将]どののいとこにあたる・・・」
巴が口許に手をやりつつ呟くと、

「そう言っていたな新介どのは。言わば身内がが裏切ったんだ。悔しかっただろう・・・新介どのは・・・」
小弥太の拳が震えている。

どうやら小弥太は稲津新介の事を気に入っているらしい。新介の悔しさを、自分の事の様に感じている小弥太であった。

「北陸勢にとっては総大将が裏切ったんだ。どんな堅牢な城に籠っていても、これでは落城するだろう」
樋口兼光が暗い表情で言った。
が、悔しさを滲ませている。

皆が憤りを抑え切れずにいた。

と,
「今,我らに出来る事は、一日も早く北陸諸将のところへ到着する事、だけだ。小弥太や皆の気持ちは良く解る。であればこそ、明日からの行軍は先程言った様にしたい。皆、良いか」
穏やかに義仲が言うと、

「はっ!!!」

麾下の武将、全員が応えた。

「では明日に備えて軍議はここまでだ。解散してくれ」

今井兼平がシメて、一同が立ち上がり、それぞれの宿所に戻って行く。
最後に、ふと巴が振り返り、ちらりと義仲を見た。

義仲は表情を変えずに、夜空を見上げている様であったが、その眼は瞬きせず真剣で力強く、しかも少し嶮しかった。

(あの眼・・・本気で怒っている時の義仲様の眼・・・でも・・・それだけじゃない・・・)

巴には解った。
斎明の裏切りに誰よりも激怒しているのが義仲様である、と。
しかも、そういう汚い行為をしてしまう人間に対しての遣り切れなさ、にも哀しみを感じてしまう義仲様である、と。

巴はそんな義仲を傷ましそうに見つつ、眼を閉じ、その場から立ち去った。



「お前達が宮崎どののところに着く頃には、我が軍は越中[富山県]に入っているだろう。その後は海沿いの道を進み、北陸勢との合流を果たしたい。では伝令の役、頼むぞ」

義仲が伝令の郎等二人に命じた。
宮崎の郎等と自分の郎等に、である。

「はっ!」「はっ!」

応じた二人は馬に乗り、駆け去って行った。

それを見つつ義仲は、
「我が軍も出発する!」
号令をかけた。

今はまだ夜明け前。
昨夜の軍議で決定した様に、義仲勢本隊は目一杯行軍するつもりであった。速度を上げずに。行軍する時間を増やす事で、距離を伸ばす方法で。

その日から、義仲勢本隊は一日の行軍距離を伸ばす事が出来た。
が、だからと言って直ぐ到着、する訳でも無い。迅る心を抑えつつ地道に行軍して行くしか無いのだ。


数日後、宮崎からの第二報の伝令が届く。

『敵平氏方が大手[本隊]七万騎、搦手[別動隊]三万騎に兵を分けた後、我が軍もこれ二対抗する為、宮崎隊二〇〇〇騎と林隊三〇〇〇騎に兵を分け、敵搦手に対し河上城で宮崎隊が。敵大手に対し林隊がこれに当たる』

更に数日後、第三報。

[宮崎隊、敵搦手の攻撃に抗し切れず河上城を放棄、長畝城に向かう。しかし既に長畝城は敵の一隊に奪取され、宮崎隊は加賀[石川県]に退却。一方、林隊は加賀白山河内[石川県鶴来町及び河内庄辺り]で敵大手と戦うも、抗し切れず退却。加賀で宮崎、林両隊二五〇〇騎が合流し、安宅[石川県小松市]に於いて敵を迎撃する』


次々とやって来る伝令が報告する。
しかしその報告は、日に日に味方の北陸勢の戦況が悪化して行く状況で、しかも加速度的に更に悪化して行く、というものであった。
義仲と、その麾下の武将達は焦りの感情に身を焦がされながら、一刻も早く、言葉では無く本心から一刻も速く到着したい、と熱望していた。敵に攻め込まれ、窮状の淵に立たされている北陸勢の許へと一刻も疾く。

楯親忠が初めに気付いた。
というより楯には見えたのである。
義仲勢本隊が進む方向の遠い先に、小規模な軍勢がいる事を。

楯はすぐさま義仲の許に馬を駆けさせ、

「前方に小規模な軍勢がこちらに向かって来ています。どうしますか?」
報告すると、

「判った。しかし行軍を停める事は出来無い。我が軍も急いでいるからな」
義仲が言う。と、

「俺が先に行って確認して来ますよ!」

小弥太が叫んで、郎等と一緒に馬で駆けて行ってしまった。
義仲が命じる前に。
義仲と楯は顔を見合わせた。呆気に取られたのである。

義仲は苦笑しつつ、
「まぁ小弥太に任せよう。小弥太は、ここ連日の報告で居ても立っても居られない気分なんだろう」
言うと、

「それは我ら全員が、ですよ義仲様」
楯も苦笑しながら答えた。





「お前達はドコの軍勢か!」


声が届く所まで来た小弥太が、大声で誰何する。

と、
「小弥太どのーーーーーーっ!」

聞き覚えのある声が返って来た。
と、はっと小弥太も気付いた。その声の主に。

「新介どのか!」

小弥太は更に馬を駆けさせ、その軍勢に向かって行くと、その軍勢からも馬を駆けさせて来る者がいた。
稲津新介実澄[越前の武将]であった。

小弥太は一緒に来た郎等に、
「味方だ!義仲様に急いで来るように伝えてくれ!」
命じると、
稲津新介の許へと一直線に向かって行った。

小弥太の報告を聞いた義仲は全軍を急がせ、宮崎、稲津の軍勢と合流した。

「宮崎どの!その姿は・・・」

義仲は馬を降り、宮崎長康を見るなり絶句した。
宮崎は鎧こそ纏っているものの、その額や身体中には、サラシや当て布が巻かれており、しかもその布には血がいたる所に滲んでいる。
左腕も首から吊っていた。
だが宮崎は辛そうな様子を見せず、立って義仲を出迎えたのであった。


「なぁに。見た目は酷いものですが、大丈夫です。私はまだ戦えます」

額に巻かれたサラシの下から、力強い眼で宮崎は答えた。

続けて、
「稲津どの、落合どの[落合兼行。四天王樋口兼光、今井兼平の弟]。義仲様にこれまでの事を報告してくれ」
言うと、

「いや。燧ケ城から安宅の戦さまでの事は、大方承知している。常に伝令を送ってくれたからな。それで安宅での戦さは?」
義仲が訊く。

「それが・・・」
新介が沈んだ眼を伏せて言い渋るのを、

「安宅で宮崎どのが負傷された時、林どの[林光明。加賀の武将]の命令で、我ら五〇〇騎は戦線を離脱し、一足早く義仲様の本隊と合流すべく、ここに参りましたので、それ以後の事は我らも判りかねます」

落合兼行が落ち着いて事情を説明した。

「そうか。これまでの戦い、御苦労だった。とにかく合流出来て良かった」

義仲は、労うと共に笑顔で言った。
しかし、直ぐに表情を引き締めると、

「では行軍を再開する。後の事は林どのが伝令を送ってくれる筈だ。それを待つとしよう。
宮崎どの。貴方はこのまま越後へ向かって・・・」
言い掛けたが、

「いえ!義仲様!私も本隊と共に連れて行って下さい!
足手纏いにはなりません!どうか!お願いします!」

宮崎が、義仲の眼を見詰め必死に言い募る。
義仲も、じっと宮崎の眼を見詰めていた。

が、その直後、
「判った。ではこれからの戦さでも力を貸してくれ。頼む、宮崎どの」

穏やかな笑みを浮かべながら義仲が言った。

と、
「義仲様ッ!有難う御座います!・・・」
感極まった宮崎が応じた。
肩が小刻みに震えている。
おそらく声を洩らさない様に鳴咽しているのだろう。

「さ。宮崎どの。我らも義仲様と共に行きましょう」

言いつつ落合兼行は宮崎に手を貸し、彼の郎等のところへ連れて行った。
その様子を見ながら義仲は声を張り上げた。


「行軍を再開する!」
と。




その日の夜。伝令が来た。
第四報である。

『林隊は二〇〇〇騎で安宅での戦いを続行したが、約半数の兵を討たれ安宅から林城へ退却。新たに加賀の武将津幡隆家どのが五〇〇騎を引き連れ味方に。これより林城で平氏方を迎え撃つ』

翌日の朝。第五報。

『林隊、敵の攻撃により林城を放棄。富樫城へ入城するも、翌日、富樫城を放棄。これより以後、林隊一五〇〇騎は野戦[会戦]にて、平氏方の侵攻を遅らせる』

義仲本隊に続々と伝令の報告が来る。
その間隔が短くなってきた、という事は戦場に近付いている証拠であった。
しかもその内容と言えば、味方の戦況が確実に悪化して行っているのである。ほとんど絶望的と言っていい。
しかし北陸勢林隊は、この様な状況でも踏み留まって、少しでも敵平氏方の侵攻を喰い止めようと戦っているのである。諦めずに。

義仲と麾下の武将達は、次々とやって来る伝令の報告を聞きながら、北陸の諸将達の決意と気概を、ひしひしと感じていた。
敵が十万騎の大軍勢である以上、一大拠点である燧ケ城が陥落した後は、戦わずに撤退し、義仲勢本隊と合流してから反撃する事も可能だった筈だ。

だが北陸の諸将達は、そうはしなかった。

何故なら、自分達の故郷であり、領地であり、生きる場所である北陸の地[越前、越中、加賀、能登]を、敵の前に無防備に曝す事など、彼らには出来なかったからだ。
その想いは、義仲や麾下の武将達にも痛い程、良く解るものであった。そして来るべき決戦に備え、その想いを全身で受け止め、心の中では闘志を滾らせていたのである。

翌日の未明。
義仲勢本隊が行軍の準備をしている時、遂に林隊が義仲勢に合流した。
その数は六〇〇騎程に減っていた。
だが、義仲の許に辿り着く事が出来たのである。
主だった武将は負傷はしたが一人も欠ける事無く。


義仲本隊は一旦、行軍の準備の手を止め、林光明、津幡隆家らにその後の事情を訊く事にした。

「そうか・・・井家範方どのが、自らの生命をかけてその様にして下さったんだな・・・」

義仲は溜め息と共に言った。

「はい。ここにいる津幡隆家どのと同族で、井家庄の惣領である方が、最期に我らの撤退を援護して下さいました。
が・・おそらく井家範方どのは・・・郎等らと共に・・・・」

林光明が眼を伏せ応じる。

と、
「津幡隆家どの。我らに協力してくれて礼を言う。そして、済まない。井家範方どのの事は、何と言って良いか判らない」
義仲が津幡に対して頭を下げた。

「いえ。謝罪していただくには及びません。
井家のおやっさんは言ってました。『儂らの領地、井家庄に攻め込んで来た奴は敵だ。であれはこれは儂ら井家衆の戦さである』と」

津幡隆家は静かに答えた。
口元の端が少し上がって、まるで笑みを浮かべている様な津幡だったが、この表情には彼の自責の念と、井家範方[井家のおやっさん]に対する敬慕の思いや追悼の想いが重なった複雑な哀しみの笑みであった。

ここに居る全員が、その津幡の想いを察していた。

「解った。だが改めて礼を言っておきたい。
宮崎長康どの、石黒光弘どの[越中の武将]。
林光明どの、富樫入道仏誓どの、津幡隆家どの[加賀の武将]。
斎藤太どの、藤島助延どの、稲津新介実澄どの[越前の武将]。
仁科盛家どの、落合兼行[信濃の武将]。
この半月の間、良く戦い抜いてくれた。有難う」

義仲が、これまでの北陸での戦いに参加した諸将全員を労い、また礼を言った。

続けて、
「貴方達の想いは、この義仲も肝に銘じている」

「はっ!」
名を呼ばれた者全員が応じた。

「だが、戦いはまだ終わったわけでは無い。だからもう一度、私に力を貸して欲しい」

「はっ!!」

「これからの戦いは、敵平氏方との決戦の連続になるだろう。だが、我らは必ずこの戦いに勝利する!」

「はっ!!!」

「そして、私に差し向けられた平氏方追討軍を壊滅させ、この北陸の地を貴方達の手に取り戻す!」

こう言い切り、
右の拳を突き上げた義仲に、


「おおおおおおーーーーーーっ!!!!!」


北陸勢の諸将や兵だけで無く、全軍で応えたのである。
その五万騎の雄叫びは、地響きとなり、大気と大地を揺るがしたかの様であった。

遂に、北陸勢は半月に及ぶ数々の辛く厳しい戦いを潜り抜け、義仲勢本隊と合流を果たした。

しかし、ここに辿り着けた北陸勢は約一一〇〇騎。これまでの戦闘で、実に五七〇〇騎を喪うという壮絶な、そして凄絶な戦いであった。

いよいよ平氏方追討軍十万騎と雌雄を決する時が来た。
そして、北陸勢を加えた義仲軍五万余騎による、反攻作戦が開始されるのである。


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