行家ものがたり⁉③1183年2月

木曽義仲と源頼朝の叔父にして、伝説の男・源行家。
その伝説とは…巡り合う者を次々と不幸に陥れることだった。
しかし本人はいたって日々ポジティブに生きていた。

(ほほう。義仲は横田河原[後の川中島]で平氏に勝ったんだじゃな!
さすがワシの甥だけの事は有るのう!
いやなかなか見所のある武将になったもんじゃ!
ワシの為にこんなに強く成長してくれるとはのう!
これでワシの麾下には頼朝と義仲の二人の甥が従ってくれる筈じゃ!
そうに違い無い!
何せワシは大将軍新宮十郎蔵人行家じゃからな!)

…彼は今日も元気に妄想を膨らませている。
呆れる程相変わらずな十郎蔵人行家は、甥にあたる義仲の勝利を喜んでいた。が、自分に都合の良いようにしか解釈出来無いあたり、この男にはつける薬が無い、と言うべきか、最早手後れでどうしようも無い、と言うべきか。

 行家は今、鎌倉に居た。大将軍として出陣し、何をしたいのか判らないが…おそらく勝ちたかったのだろうが…何も出来ずに敗北した先の墨俣・矢作川の戦いから約三カ月後、彼は身を寄せる所が無いので、何となく鎌倉に居たのである。
とは言え、そこは行家の事だ。どうせ、

(甥の頼朝が鎌倉で偉そうにしていられるのも、元はと言えばワシが以仁王様[後白河法皇の皇子。もう既に死去している]の令旨[親王の命令書で公文書]を頼朝に与えたからじゃ!
であれば頼朝はワシに恩を感じているに違い無い!
そうに決まっておる!
ならば、この鎌倉でワシがトップに立つ日も近いのう!)

とか考えているんだろう。
つまり行家としては、甥の頼朝にくっ付いていれば鎌倉でデカい顔が出来る、と思っていたのであった。

だが、それはあくまで行家の自分勝手な妄想でしかなく、現実には頼朝にとって行家は使えない男で、単なる厄介者、でしかなかったのである。

当然だ。
何かと言えば頼朝の叔父である事をひけらかし、自分の失敗には目を瞑り、他者のミスを声高に言い立てるような行家の態度や行動には、頼朝でなくても頭が痛くなるだろう[だが、こういう人間が意外に多いのも悲しい現実であるが]。

更に行家が頼朝のもとに身を寄せている、という事実は武家の棟梁を自認する頼朝からすれば、行家を保護してやり、盛り立ててやる義務を負っている事になるのである。
コイツちょっとどうなのよ?というような困ったちゃんでも、護ってやらなければならないのが、侍のトップである武家の棟梁の仕事なのであった。


(全く行家[呼び捨て]には困ったものだ)

頼朝が、どうしようも無い叔父の事を思いながら溜め息をついていると、郎等が声をかけた。

「頼朝様。行家どのが参っております。何やらお話しがあるとか」

頼朝は郎等に気付かれ無いように、しかしあからさまに嫌な顔をしつつ、

「分かった。ここへ通せ」
溜め息混じりに答えた。と、

「やぁやぁ頼朝どの!ちと相談が有るのじゃ!」

いきなり上機嫌な行家が入って来た。そして返事も聞かずに頼朝の前にどっかりと座ると、

「相談と言うのはじゃな。関東と東海は頼朝どのの勢力下に入っておるじゃろ?
だからその内の一カ国くらいワシに貰えんじゃろか?
ワシも河内源氏の武将で、頼朝どのの叔父じゃからな。
そのくらいしてくれても良いじゃろ!ナ!
ではどの国をワシに任せて貰えるかのう!」

既に一カ国貰ったつもりで気軽に言った行家。
これを聞いた頼朝は、怒りも呆れも通り越し、何かおかしな生き物を見る様な目で行家を見ながら、

「行家どの。寝言は寝て言うものだ」

冷たく言い放つ。と、

「行家どの、とは他人行儀じゃ。叔父上と呼んで下され。頼朝どの」

皮肉が通じていない行家であった。しかも馴れ馴れしい。
これを聞いて頼朝は決断した。
もうコイツ[叔父行家]の面倒は見きれん、と。

「行家。お前は何を言っている。
お前はこの関東に領地を持っていないばかりか、先の戦さでは平氏に敗北しただけで何の手柄も立てていないのだぞ。恥を知れ。
この鎌倉で、私の叔父というだけで特別扱いされるとは思うな。
私もお前を少し甘やかし過ぎたかもしれん。
これからはお前を私の郎等として扱う。
それが気に入らなければ出て行くがいい。解ったか行家。
話しは終わりだ。下がれ」

頼朝は郎等に命令する様に、冷たく無表情で叱りつけた。

「・・・・・」

行家は呆然と、口を開け、目を見開いたまま頼朝を見ていた。
驚いたのである。
すると、じわじわと怒りと屈辱の混ざった感情が湧いて来た。
思わず、無表情で自分を見ている頼朝を睨み付けた。
と、行家は、いつの間にか自分の周りを頼朝の郎等や家来、御家人[有力豪族]達に囲まれている事に気付いた。皆、行家を冷たく見下した様な目で見ている。行家は屈辱の感情に苛まれつつ、無言でその場から退出した。

ついでに行家は、鎌倉の頼朝のもとからも去ったのである。



頼朝は成功した、と思っていた。
彼の中では、使えない厄介者を追い出す事が出来たからである。自分を頼って来た厄介者を護ってやるのは、武将の棟梁としての義務だが、勝手に出て行った厄介者まで護ってやる義務は無いからだ。

だが読者にはお気付きの事と思う。頼朝がここで真に成功したのは、本当の意味での厄介払いが出来た事にある、と。
もう一度おさらいしておこう。行家の黒い不吉な属性とは『行家とある程度関わりを持ってしまった者[人であれ勢力であれ]は必ずロクな事にはならない。場合によっては死[滅亡]に至る事もある』という事。つまり頼朝は、ここで自らの手で、呪われた運命が自分に向かって発動する事にストップをかけたのだ。しかし頼朝本人はこの事に気付いていない。いや別に気付かなくても良い。とにかく頼朝は行家という縁起の悪い男を追い出す事により、不吉と不幸と不運からは少し身を遠ざける事に成功したのである。

さて行家。
(全く!イイ気になりおって!頼朝め!
アイツは叔父を叔父と思っとらん!
父親の義朝[頼朝の父で行家の兄]そっくりじゃ!
兄義朝も、父[為義]を父と思ってなかったわい!
全く悪いトコだけ兄義朝に似おって!)

彼は安っぽく激怒していた。しかし拗ねて怒った挙句、勢いだけで鎌倉から出て来たものの、その先の事などは全く考えていない行家であった。

と、
「そうじゃ!」
行家は何かを思い付いた。
とても嫌な予感がする。しかし行家の思い付きは止まらない。

(甥の頼朝がダメなら、もう一人ワシには甥がいたな!)

まさか・・・
(彼ならワシを大事に丁重に扱ってくれるかも知れん!)

嘘でしょ・・・やめて・・・
(ヨシ!ワシは決めた!)

な・・・何を?・・・
(ワシは信濃の義仲の所へ行く!)

ぎゃああああ~~~~~~~・・・・・

という訳で、遂にこの生きたチェーンホラー、歩く不幸の手紙こと新宮十郎蔵人行家は、我らが義仲のもとに来てしまったのであった。


 ほとんど行家の存在は、トランプのババ抜きにおけるジョーカーと言って良い。しかもこのジョーカーは引いた者を必ず不幸にするのである。あまつさえこのジョーカーはプレイヤーがカードを引かなくても、自分の方からプレイヤーのもとにふらふらとやって来るのだから、手に負えない。怖ろしい。だが、我らが義仲に御鉢が回って来た事は、哀し過ぎるが現実である。呪われた不吉な御鉢が。

行家が義仲のもとに身を寄せてから一年と半年くらいは、おかしな事は何も起こらず、平穏な日々が続いていた。
だが確実に何かが発動していた。呪われた何かが。義仲と、その周辺の人達に。


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