義仲ものがたり#6

~信濃源氏・長瀬義員が見た義仲~

■これまでのお話
善光寺が燃えた。巴は義仲の妻・海野の姉様や長瀬、楯ら義仲の部下たちと善光寺平に向かった。手塚光盛も加わり、千曲川の河原で被災した人々に熊汁をふるまった。巴は姉様のふるまいをみて、自分の未熟さに愕然とする。
■主な登場人物
木曽義仲…のちに大将軍になる信濃の武士。現在26歳。
巴…女武将として名を残すことになるが、まだ少女。
長瀬義員…義仲の旧友。今は厚い信頼を寄せる部下。
海野の姉様…義仲の妻。信濃の名族・滋野一族の娘。41歳。


依田城にて


「今井が驚いて書状をよこしたぞ」

義仲様は笑いながら文を俺、長瀬義員に手渡した。ここは依田城…と言っても山城のふもとにある館だ。善光寺平を後にして小県郡にもどり、俺と巴殿は義仲様と向き合っていた。文の中には、今井殿の性格がにじみ出たかのような恐ろしくぴっちり並んだ読みやすい字で『筑摩郡から国府の役人も伴って悲壮感に打ちひしがられながら善光寺に向かったところ、人々は元気いっぱいに後片付けに励んでいて、煤まみれで真っ黒になりながらも笑顔で満ちていた』という内容が書かれていた。

「…熊の力ですね。」
「うん。熊に違いないわ。」

俺がつぶやくと、隣にいた巴殿が力強くうなづいた。

「なんだ熊とは!?」

義仲様が身を乗り出してたずねる。

「それが、四阿屋山の峠を通っていた時に、熊に襲われたんです。」

「まあ巴が仕留めるよな」

「それを、善光寺の近くまで持っていきまして、鍋にしました」

「鍋に!それはイイな!巴、よくやった。」

「あたしじゃありません。姉様のお指図です。」

義仲様は「ほう」とうぶやくと、うっとりしたまなざしを空に向けた。


義仲様マジで姉様を好きだよな~

と俺は思ったが、巴殿も同じ心境だったらしい。
いつもならなんだかんだ言いそうなのに、黙り込んでしまった。
「いやぁ~善光寺までの道中は、もうすごい臭いで…狼に襲われるんじゃないかとひやひやしました。」
「ははは。絞めた熊をくりつけている人間に近づいてくるのは狼くらいだな。人なら、避けて通るわ!」
義仲様と笑いながら話していたのに、巴殿はいちじるしい真顔を向けて言った。

「…え…そんなことも考えてらっしゃったのでしょうか、姉様は」

神妙な雰囲気に、俺が気おされていると

「そうだろうな。」

義仲様が言い切った。
「姉様に善光寺に行っていただいてよかった。姉様ははるかに広い世界を見て、知っている。そして深い。
どうすれば人が動くのか…私はまだ学びが足りない。
巴、お前と同じだよ。」

巴殿はほおを緩ませた。

義仲様…なんて、なんていう優しい目で巴殿を見るんだ…うおおぉ、どうすれば人が動くのか絶対わかってんだろぉ…俺もきゅんと来たぜ…

と、俺までどぎまぎしてしまった。これだから顔がいい人間ってやつは…
しかし、善光寺から帰ってから姉様は床についたままだという。


義仲夫婦の夜

「姫、おやすみですか?」

義仲が横になっている海野の姉様に声をかける。
「目は覚めている」
ぱちりとまぶたが開き、大きな瞳が見つめてくる。義仲はかたわらにそっと座った。
「熊汁、私も食べたかったなー」
「…河原で食べる温かい汁は美味しさもひとしお。しかも大勢で。
熊を刻む腕に力が入りました。」

「獣が旨そうな肉に…想像するだけでよだれが…」

「巴が熊を仕留めたから、ふるまうことができたのです。巴のおかげです」

姉様はそう言ってにっこりとほほ笑んで目を閉じた。

「姫がいらっしゃらなかったら、巴は熊を投げ捨てていたと思います。
姫のおかげです。」

義仲は姉様の頭を撫でた。

「…私の頭を撫でるのは義仲様だけ」

「あっ、お嫌でしたか」

「幼子に戻ったようで心地よい」

義仲は尊敬する姉様がほっこりした表情を見せたのがうれしくなり、しばらく頭をなで続けた。

「…ええい!そろそろやめぬか!髪が乱れる!!!!」

「いえ、しばらくこうしたく…」

「やめぬか!」

「いえいえ…」

「やめぃ!」

「いえい」

義仲夫婦の茶番劇はしばらく続いた。



ぼさぼさ頭になった姉様に、義仲は至って真面目に切り出した。

「私は、千手観音の開眼供養がいわば敵と味方を分ける出来事になったのではないかと思案しておりました。呼ばれなかった者が、我らに敵視されていると邪推したのではないかと。そして宣戦布告の如く、善光寺に火を。」

「熊汁の匂いに誘われて、あの日河原にいたものがみんな集まってきた。
一人一人に汁をふるまい顔を見たが…開眼に呼ばれていなかった源氏の村上一族は縁者総出で大量の魚をふるまってくれた。平氏の布施殿や吉田殿は火災に巻き込まれたのか、すっかり煤まみれで、お気の毒な有様だった。
皆思いは一つ。善光寺が炎上したことを嘆いていた。」

「ではあくまで事故…?」

「それはわからぬ。しかし、善光寺を立て直すことで、皆の心を一つにすることもできるやもしれぬ。」

「!…それはよい考えですね。どんな手があるでしょうか!」

「そうだな…」

信濃国の平穏を願う、義仲夫婦の話は尽きることなく続いた。

しかし、信濃国の外で戦の種火は燃え上がろうとしていた。


☆今回は続けて、#6・5を公開します!