義仲の馬の墓
髭沢川に沿って3つの集落がある。上流の大きな集落は名馬の産地であった。その東側に末川本谷に通じる村道があり、少し上った小高い丘の上に何体かの馬頭観音が祀られるお堂がある。その傍らに一メートル余りの自然石があり、義仲の馬の墓と伝えられている。義仲が京都に攻め上る前馬の調査に来た時、不運にも相馬が死んでしまったので村人に手伝わせて埋葬した時の碑だという。
長野県木曽町開田高原
髭沢川に沿って3つの集落がある。上流の大きな集落は名馬の産地であった。その東側に末川本谷に通じる村道があり、少し上った小高い丘の上に何体かの馬頭観音が祀られるお堂がある。その傍らに一メートル余りの自然石があり、義仲の馬の墓と伝えられている。義仲が京都に攻め上る前馬の調査に来た時、不運にも相馬が死んでしまったので村人に手伝わせて埋葬した時の碑だという。
長野県木曽町開田高原