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越中武士

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2020年12月の記事一覧

野尻

野尻

野尻
富山県南砺市野尻
北陸(越中)武士 石黒党

倶利伽羅合戦前に越中から集まった武士の中に名前が見える。

宮崎

宮崎

宮崎太郎長康
富山県朝日町宮崎
北陸(越中)武士 宮崎党

宮崎太郎長康は義仲軍の重要な武将で、倶利伽羅合戦の前哨戦である安宅の戦いで半死半生の傷を負うがよみがえり、北陸合戦を戦い抜き都へ上ってからも名が見える。義仲の死後も生き延び、長野県飯田市で亡くなっている。

■宮崎城

富山県下新川郡朝日町宮崎
(JR越中宮崎駅3㎞50分)

宮崎山は国境にある要害の地で、宮崎太郎が居館を構えていた。源平

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向田

向田

向田荒次郎村高
富山県高岡市福岡町下向田
北陸(越中)武士 宮崎党

宮崎太郎の弟。倶利加羅合戦で宮崎太郎と兄弟で依田氏らを案内して軍をすすめた。「越中志徴」によると荒次郎は向田にかかわる武士だという。

石黒

石黒

石黒光弘
富山県南砺市・高岡市福岡町木舟
古代礪波臣氏

北陸(越中)武士。石黒党を率い、北陸合戦を戦い抜いた。もとは石黒庄を本拠地としていたが、元暦元年(1184年)北陸街道の南側に平城木舟城を築いた。それ以後も石黒氏が治めた。巴御前(および中原家)と親族関係があったという伝承がある。

高楯

高楯

高楯二郎光延
富山県南砺市
北陸(越中)武士

石黒党か。倶利伽羅合戦の際、石黒「太郎光弘」と続いて高楯「次郎光延」と記されている。
高楯城は石黒光弘が木舟城に移る前の館跡ではないかと推定されている。

泉

泉三郎

富山県南砺市和泉
北陸(越中)武士 石黒党

倶利伽羅合戦で泉三郎の名が見える。「三州志」によると泉氏は和泉を本拠とする武士ではないかという。

太美

太美

太美七郎光能
富山県南砺市太美(太美郷)

石黒党
倶利伽羅合戦で名が見える。義仲軍で参戦し、討死したという。

福満

福満

福満五郎
富山県南砺市福光栄町福光
北陸(越中)武士 石黒党

石黒太郎光弘の舎弟だという。また福光には石黒氏の居城があったという。