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越中武士

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#巴御前

石黒

石黒

石黒光弘
富山県南砺市・高岡市福岡町木舟
古代礪波臣氏

北陸(越中)武士。石黒党を率い、北陸合戦を戦い抜いた。もとは石黒庄を本拠地としていたが、元暦元年(1184年)北陸街道の南側に平城木舟城を築いた。それ以後も石黒氏が治めた。巴御前(および中原家)と親族関係があったという伝承がある。

高楯

高楯

高楯二郎光延
富山県南砺市
北陸(越中)武士

石黒党か。倶利伽羅合戦の際、石黒「太郎光弘」と続いて高楯「次郎光延」と記されている。
高楯城は石黒光弘が木舟城に移る前の館跡ではないかと推定されている。

太美

太美

太美七郎光能
富山県南砺市太美(太美郷)

石黒党
倶利伽羅合戦で名が見える。義仲軍で参戦し、討死したという。

六動

六動

六動太郎光景
林六郎光明の郎党。

六動太郎光景の名が燧合戦で見える。

六道寺は港津を備えた交通の要所として古くから開けていた。「越中志徴」によると村名はかつて六動寺という大寺があったことに由来するという。「源平盛衰記」によれば、寿永二年(1183)五月、源義仲が兵五万余騎を率い「六動寺の国府」に屯したという。

水巻

水巻

水巻四郎安高・小太郎安経
富山県小矢部市石動
北陸(越中)武士

燧合戦から名が見える。倶利伽羅合戦で巴を案内して軍をすすめた。その後北陸合戦を転戦した。