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伝承の館(滋賀・奈良・和歌山編)

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記事一覧

義仲寺

義仲寺

巴が義仲の遺体を葬ったという。

滋賀県大津市馬場1丁目5-12

百済寺

百済寺

義仲が1183(寿永2)年に京都へ向かう途中、蒲生野に陣を休めた。その時百済寺に兵糧米を求めたところ、500石が送られてきた。義仲は感謝し、押立五郷(滋賀県湖東町)を寄進した。

滋賀県東近江市百済寺町

山吹地蔵尊

山吹地蔵尊

山吹が都から義仲を追って来たが会うことができず、秋岸寺境内で討たれた。地蔵尊を建てお祀りしていたが、大津駅新設のため寺は移転し、地蔵尊だけが大津駅の近くに残っている。

滋賀県大津市春日町1−3

意富夫良神社

意富夫良神社

義仲が1183(寿永2)年5月に祈願したという。その時兜を置いた石が「兜石」と名付けられている。

滋賀県長浜市木之本町木之本489

磯崎神社

磯崎神社

義仲が1183(寿永2)年7月に武運長久を祈願したと社殿に残るという。

滋賀県米原市磯1863

礒崎神社

礒崎神社

義仲が浜街道から都へ向かう際、武勇長久を祈ったという。

滋賀県米原市磯2484

今井堂天満神社

今井堂天満神社

今井兼平が1184(寿永3)年1月天満神を勧請し、社殿を建立したと社伝で伝えられている。

奈良県奈良市日笠町710

蓮通寺

蓮通寺

義仲の敗死後、山吹は子・義隆・義順を伴い、北近江浅井郡の山中で暮らしていた。琵琶湖のそばにある海津の荘に住まいを移したところ、越後に流罪になった親鸞が琵琶湖を舟で渡って海津に着いた。義隆・義順兄弟は親鸞と師弟となり、兄の義隆は海津荘岩谷で願慶寺を開き、弟の義順は浅井郡塩津荘岩熊に蓮通寺を開いたという。

滋賀県長浜市西浅井町岩熊543

浄土真宗本願寺派 順明寺

奈良県橿原市今井町4丁目11−4

浜中庄

義仲が所領をめぐり対立したという寿永2年(1183)閏10月22日付の仁和寺文書が残る。義仲が浜中庄の知行を、本家である近衛基通に申請したが、領家の仁和寺にこれまで通りに知行するよう文書で示している。

和歌山県海南市下津町下津

田中庄

義仲が1183年8月に尾藤太知宣に下文を与え、田中庄と池田庄と中野御牧の領有を認めたという。1184年に鎌倉に召し出された尾藤太知宣が頼朝に下文を見せたことが吾妻鏡に書かれている。

和歌山県紀の川市田中馬場

池田庄

義仲が1183年8月に尾藤太知宣に下文を与え、田中庄と池田庄と中野御牧の領有を認めたという。1184年に鎌倉に召し出された尾藤太知宣が頼朝に下文を見せたことが吾妻鏡に書かれている。

和歌山県紀の川市東大井

願慶寺

願慶寺

山吹の子・義隆が開いたという寺。山吹が髪をおろした際の長い黒髪が伝えられているという。

滋賀県高島市マキノ町海津639

近津尾神社

近津尾神社

「能・巴」では義仲が討死にした場所になっている。

滋賀県大津市国分2丁目