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伝承の館(滋賀・奈良・和歌山編)

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2021年3月の記事一覧

浄土真宗本願寺派 順明寺

奈良県橿原市今井町4丁目11−4

浜中庄

義仲が所領をめぐり対立したという寿永2年(1183)閏10月22日付の仁和寺文書が残る。義仲が浜中庄の知行を、本家である近衛基通に申請したが、領家の仁和寺にこれまで通りに知行するよう文書で示している。

和歌山県海南市下津町下津

田中庄

義仲が1183年8月に尾藤太知宣に下文を与え、田中庄と池田庄と中野御牧の領有を認めたという。1184年に鎌倉に召し出された尾藤太知宣が頼朝に下文を見せたことが吾妻鏡に書かれている。

和歌山県紀の川市田中馬場

池田庄

義仲が1183年8月に尾藤太知宣に下文を与え、田中庄と池田庄と中野御牧の領有を認めたという。1184年に鎌倉に召し出された尾藤太知宣が頼朝に下文を見せたことが吾妻鏡に書かれている。

和歌山県紀の川市東大井

海津

海津

木曾義仲追討の平氏軍が海津を通って荒乳の中山・天熊・国境を越え敦賀へ向かった。海津は琵琶湖舟運の北の拠点の一つで、近江から北陸への玄関口であった。

滋賀県高島市マキノ町 海津

供御瀬

義仲を討とうとする源範頼の軍勢が今井兼平率いる軍勢を避け、黒津地先にあった瀬田川の浅瀬を渡ったという。

滋賀県大津市黒津

押立保

義仲が兵糧米500石の支援を受けた百済寺に寄進した庄。(源平盛衰記より)

滋賀県東近江市北菩提寺町365

栗見庄

義仲の延暦寺攻略で活躍した白井法橋幸明は山門の三箇庄の一つである栗見庄に忍んでおり、義仲の進軍に合わせて陣へ向かったという。

滋賀県彦根市本庄町

打出浜

打出浜

義仲と今井兼平が最後の邂逅を果たした場所。現在の馬場の湖岸に面した浜と推察される。歌枕としても知られる。

滋賀県大津市馬場

小荒路地区

小七里半越に沿い、南は海津村、北は野口村をさす地域。木曾義仲に関する伝承が数多く残る。

滋賀県高島市