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伝承の館(長野・須坂・高山編)

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高梨

高梨

高梨六郎忠直(高直)

高山村・須坂市(高井郡東条荘山田郷・高梨郷)

高梨氏は井上氏の一族。東条荘山田郷駒場に本拠地を持つ、高梨六郎忠直(高直)が義仲軍勢に加わり、最期まで付き従った。高梨次郎高信の名も京都で見える。
 高梨氏は覚一本では義仲が兵を分けるときに必ず一軍を率いる武将として山田・仁科と共に書かれている。

 源平盛衰記によると高梨六郎忠直(高直)が義仲軍勢に加わり、最期まで付き従った

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富部氏

長野県長野市川中島町御厨

風間氏

長野県長野市大字風間1618

布施氏

長野県長野市篠ノ井布施高田

杵淵氏

長野県長野市篠ノ井杵淵

木曽殿城跡(長野県長野市)

木曽殿城跡(長野県長野市)

義仲の城跡と伝えられる。地域の人たちは城と呼んでいる。

長野県長野市若穂綿内

殿御老原

殿御老原

義仲の子・義重(力寿丸)が隠れ住んだという。

長野県北安曇郡池田町大字池田

義仲守本尊

義仲守本尊

義仲の守り本尊といわれる阿弥陀。康楽寺は覚明が開いた寺で、寺伝によると、覚明は海野小太郎幸親の子で、勧覚院文章博士に進み、木曾義仲の軍師もつとめた。義仲没後は天台座主慈円の門に入り、のち法然の弟子となり、名を西仏と改めたと伝えられている。

長野県長野市篠ノ井塩崎3427-1

常泉寺

常泉寺

横田合戦の時消失したという。

長野県長野市川中島町御厨

長谷寺

長谷寺

横田河原の合戦に際し木曾義仲方に従わなかったため伽籃を焼失した。

長野県長野市篠ノ井塩崎長谷878

伊勢社

伊勢社

義仲が土地を寄進したという棟札が残る。

長野県長野市大字安茂里

上島渡

横田河原合戦の戦場。千曲川の渡場。現長野市篠ノ井の信越線鉄橋の辺りと推定されている。

長野市篠ノ井塩崎 庄之宮

市村郷

平正弘の所領が市村郷にあった。市原の合戦とはこの市村が誤って伝わったものではないかと推定されている。犀川の渡場としての要所だったという。

長野県長野市大字川合新田

更級郡誌による横田合戦平家方口伝

横田河原合戦の際に城氏は作見寺を本営として、石川・塩崎間で戦おうとしていた。しかし義仲が挟撃されるのを恐れて雨宮に布陣したので、横田に移って布陣したという。

長野県長野市篠ノ井塩崎