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伝承の館(深谷・上里・秩父・飯能編)

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源義賢宝塔

源義賢の墓と伝えられる宝塔。福昌寺の本堂裏にある。

埼玉県児玉郡上里町大字帯刀302
(JR神保原駅3・4㎞車14分)

帯刀(タテワキ)の由来

久寿年間(1154~56)に源義賢を葬ったため帯刀と称している地。

(JR神保原駅2・8㎞車13分)

斎藤実盛

斎藤実盛

福井県出身、埼玉県に本拠地を持つ武士。

能「実盛」、歌舞伎・浄瑠璃「実盛物語」といった古典芸能の世界で存在感を放つ武士。幼い日に父を殺された義仲を保護し信濃へ送った。その後平家に仕え義仲の軍勢と戦い命を落とした。

■実盛の出身地坂井郡丸岡町長畝、敦賀市縄間、加賀市長井町など諸説あるが、鯖江市南井の斎藤家はその後裔と伝えられる。

「帰鴈記」には「南井の里は斎藤別当が古郷なり、屋敷の跡今もあり、

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秩父氏館跡

埼玉県西部に大きな勢力を誇った秩父氏の本拠地。秩父氏は中村郷に居住していたが秩父牧の別当を兼ねることになり館を構えた。構築は平安時代末期といわれる。背後に小高い山、前面に谷を控える天然の要衝。

(秩父鉄道皆野駅7・2㎞車12分)

児玉党

源平合戦に活躍した武士団。九郷水系の流域に居を構え金鑚神社の分霊社を置いた。源平盛衰記では、樋口兼光が義仲敗死後生き残っていた際、源義経に対して児玉党が助命嘆願を行っている。このことから挙兵前から信濃の中原氏と児玉党の間に何らかの縁故関係があったことが推定される。

(JR児玉駅0・5㎞5分)

東石清水八幡神社

源義家が奥州征伐の時、山城石清水八幡宮から勧請したという神社。

埼玉県本庄市児玉町児玉198
(JR児玉駅0・8㎞9分)

下手計(シモテバカ)の由来

源義家の家臣の片腕を葬ったという伝承がある場所。手墓ともいう。

(JR深谷駅5㎞車12分)

血洗島の由来

源義家の家臣が後三年の役のころ利根川の戦で片腕を切り落とされ、血を洗い流したという伝承から血洗島という。

埼玉県深谷市血洗島
(JR岡部駅4・4㎞車11分)

華蔵寺

埼玉県深谷市横瀬

新田義重の次男・新田義兼が1194年に開基した寺。

岡部氏本拠地

猪俣党岡部氏の名字の地。岡部六弥太忠澄は保元物語、平治物語に源義朝方として登場、平家物語では義経に従い義仲の追討に参戦。一の谷合戦では平忠度を討ち取っている。源平合戦終了後は鎌倉御家人として吾妻鏡に名を残している。

埼玉県深谷市岡部
(JR岡部駅2・2㎞車8分)

鷲宮神社

鷲宮神社

岡部忠澄が鬼門よけの祈願所として創建したという神社。高畑地域は岡部忠澄の所領だった。

埼玉県深谷市高畑
(JR深谷駅3・5㎞車14分)

岡部六弥太忠澄の墓

源平合戦で戦功をあげた深谷市ゆかりの人物。木曽義仲の追討にも義経に従い参戦している。

埼玉県深谷市普済寺
(JR岡部駅1・9㎞23分)

岡部神社

岡部忠澄に崇敬され、杉を植えたと伝えられている神社。歓喜天を奉る。

埼玉県深谷市岡部
(JR岡部駅2・2㎞車9分)

我野神社

畠山重忠・岡部忠澄ゆかりの神社。棟札が多く伝わり、1191年に源頼朝の発願により畠山重忠が奉行を務めて「三社大明神」を造営したとあり、1197年に岡部忠澄が再興したという。

埼玉県飯能市大字吾野
(西武鉄道西吾野駅1・6㎞20分)