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伝承の館(高岡・射水編)

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賀茂島

賀茂島

賀茂島七郎
富山県高岡市鴨島町
北陸(越中)武士

燧合戦、平家を追い落とす安宅での戦いに名が見える。

福田

福田

福田二郎範高
富山県高岡市福田
北陸(越中)武士

燧合戦・倶利伽羅合戦で名が見える武士

六動

六動

六動太郎光景
林六郎光明の郎党。

六動太郎光景の名が燧合戦で見える。

六道寺は港津を備えた交通の要所として古くから開けていた。「越中志徴」によると村名はかつて六動寺という大寺があったことに由来するという。「源平盛衰記」によれば、寿永二年(1183)五月、源義仲が兵五万余騎を率い「六動寺の国府」に屯したという。

石黒

石黒

石黒光弘
富山県南砺市・高岡市福岡町木舟
古代礪波臣氏

北陸(越中)武士。石黒党を率い、北陸合戦を戦い抜いた。もとは石黒庄を本拠地としていたが、元暦元年(1184年)北陸街道の南側に平城木舟城を築いた。それ以後も石黒氏が治めた。巴御前(および中原家)と親族関係があったという伝承がある。

向田

向田

向田荒次郎村高
富山県高岡市福岡町下向田
北陸(越中)武士 宮崎党

宮崎太郎の弟。倶利加羅合戦で宮崎太郎と兄弟で依田氏らを案内して軍をすすめた。「越中志徴」によると荒次郎は向田にかかわる武士だという。

駒繋ぎの松

駒繋ぎの松

1183年5月11日般若野から倶利伽羅峠へ進軍途中の義仲がこの松の下で休み馬を繋いだといわれている地。現在、松の木はなく、伝説を伝える石碑がある。

富山県高岡市戸出町1丁目5
(JR戸出駅0・4㎞6分)

般若野

般若野

1183年、義仲の礪波山への進撃に先立って源平両軍の先鋒が戦った地。

富山県高岡市常国
(JR戸出駅5・2㎞66分)

弓の清水

弓の清水

越中の山街道を進軍中の兵士達がしきりにのどの渇きを訴えたため、義仲が水を求めてこの地に矢を放ったところ、矢のささった所から清水が湧き出たという伝説がある名所。現在も水が湧き出し(平成の名水百選)義仲の銅像が立つ。

富山県高岡市常国597
(JR戸出駅5・2㎞66分)

蓮花寺

蓮花寺

頼朝ゆかりの観音、石塔などがある寺院。

(JR越中大門駅1・9㎞24分)

気多神社

気多神社

寿永年間(1182~1184年)の末期、義仲の兵火によって伽藍や社殿が焼失したとの伝承がある神社。

富山県高岡市伏木一宮10-1
(JR越中国分駅1・7㎞22分)

越中国府跡

越中国府跡

1183年、義仲が礪波山の進撃に備え軍を整えた地。

富山県高岡市伏木古国府
(JR伏木駅1㎞13分)

道神社

道神社

射水郡の峠神である神社。

富山県射水市作道
(万葉線中新湊駅2・9㎞37分)

六渡寺

六渡寺

義仲軍が駐在した地。

富山県射水市庄西町2丁目9
(万葉線六渡駅0・5㎞7分)