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伝承の館(福井編)

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2021年3月の記事一覧

平泉寺長吏斎明(斉明)

平泉寺長吏斎明(斉明)

平泉寺斎明(斉明)
福井県勝山市平泉寺
平泉寺威儀師 斎藤氏

 越前斎藤氏は代々越前の大寺院・平泉寺に子息を送って影響力を保っていた。越前は都に近く平家の直接支配下にあり、斎明は同族の稲津と共に平家方について戦っていたが、加賀の人々が反平家の兵をあげ攻めてきたのを見て、義仲方に寝返った。
 義仲方に加わってからは主要武将格となり、燧合戦では筆頭に書かれる存在だった。ところが斎明は無情に戦局を冷静

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稲津

稲津

稲津新介実澄
福井県福井市稲津
北陸(越前)武士 斎藤氏

藤原景実の子。燧合戦以降、北陸の所合戦で名前が見える。

 越前は都に近く、同じ斎藤氏の林氏・富樫氏が義仲軍に加わっても、越前武士は平家方についていた。養和元(1181)年七月下旬に能登・加賀などで一国規模の反乱がおこり目代が追放されると、八月十五日に若狭と越前に平家の軍勢がやってきた。九月一日、平家軍は越前国府(越前市)に入ったが、加賀

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徳満寺

義仲の軍勢に襲われて越前国南条郡脇本郷(福井県越前市)の栄部内蔵之助平義盛が、越後国に逃れ、春日山麓の大場町に妻子とともに寓居していたが親鸞に出会い帰依した。その後、嫡子隼人は各地に移り住み、正応(1288)2年、徳満寺を創立したという。

長野県上水内郡飯綱町牟礼2813

斎藤実盛館跡

斎藤実盛館跡

斎藤実盛の屋敷跡という。実盛手植えの柊が残る。

福井県鯖江市南井町

藤島庄

藤島庄

義仲が藤島五郷を平泉寺へ寄進した。

福井県福井市藤島町

燧ケ城跡

燧ケ城跡

燧合戦の舞台。山頂にある。眼下にある能美川と新道川をせき止め湖を作って平家を食い止めた。しかし平泉寺斉明が裏切り、落城した。

福井県南条郡南越前町南今庄

長畝城

安宅の戦いの際に平家が陣を置いた場所。

福井県坂井市丸岡町長畝

はんばら庄

義仲が篠原合戦のあと諸社へ寄進した。はん原庄は気比社へ寄せられた。

福井県敦賀市葉原

土器塚(福井市黒丸城町)

義仲が京都に向かって兵を進めているとき、軍勢に酒を振舞った。その器を捨てた土器塚があったという。

福井県福井市黒丸城町

土器塚(福井市高木町)

義仲が諸軍勢へ酒を振舞った時の器を捨てた場所があると伝えられていた。「茶ぐろ山」と呼ばれる一丘陵を発掘したところ坏片や鏃などが出土し土器塚が見つかった。

福井県福井市高木町

實盛社

實盛社

斎藤実盛の館跡もしくは源平盛衰記に登場する長畝城ではないかと推定されている。長畝の八幡神社東近くにわずかな土塁の痕跡が認められる。実盛池と呼ばれる池もあったという。

福井県坂井市丸岡町長畝46-19