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義仲戦記42「最後通牒」

「先程から事実無根である、と繰り返しておられるが近頃、
『義仲どのが“頼朝を追討する院宣が出された”という嘘の情報を陸奥の藤原秀衡に送った』
と噂されている事に付いては、いかが申し開きをするおつもりか」

「申すまでも無い」

「またも事実無根である、で済ませるおつもりか」

「その通り」

「真面目にお答えを!
義仲どの!其方はこの私を愚弄するおつもりか!」

「鼓判官知康どの。
其方は私の言う事よりも噂の方を信じておられる御様子。であればこれ以上、何を言っても無駄な事」

「法皇陛下からの使者であるこの私を追い返すおつもりか!」

この、おつもりおつもりを煩く繰り返す激昂した相手に、義仲はもう返事すらしなかった。ただ、じっと相手の眼を見詰めていたのである。

すると、義仲が別に睨み付けていた訳では無かったが、大夫尉平知康は何か気圧された様に押し黙ると、恨めしそうな眼付きで一礼し、


「失礼致す!」


と早々に義仲の許を辞して行った。



義仲が職務に復帰して三日程は京で何事も無かった。しかし四日目の今日、十一月十三日になると突然、後白河法皇の使者が六条西洞院の義仲の邸を訪れ、義仲に対して事情聴取するかの様に詰問した。

それは京に流布する噂や風聞に関する事であり、大概は事実と掛け離れた荒唐無稽・無責任、出所不明な噂話の真偽を糺すべく行われたのである。

しかし、噂になっている張本人とは言っても義仲がその噂を流した訳では無く、ましてや流言蜚語に近い噂を流されて迷惑すらしている義仲に事情を聴取したところで得られるものは何も無い。

が、こうした噂を聞き付けた法皇や貴族らが落ち着いていられる筈も無く、右往左往し不安を募らせた結果、『ならば噂になっている本人に直截、問い質して来るが良い』と、こういう事で大夫尉鼓判官平知康が法皇の使者として遣わされたのであった。

この鼓判官知康は法皇の傍近くに仕える近習の一人で、知康本人は“法皇の一番の御気に入り”はこの私である、と自負、いや勘違いしているが、今様[当時のアイドル歌謡]などの歌舞音曲に殊の外、耽溺している法皇がこの鼓の名手で鼓判官と呼ばれる知康を“御気に入り”の一人として取り巻きの中に加えている事は事実であった。

“一番の御気に入り”かどうかはともかく。

平氏都落ちの折、法皇も平氏方と共に西海へと連れ去られそうになったが、逸早く姿を眩ませて事無きを得た法皇が、その時同行させていたのがこの大夫尉鼓判官知康なのであった。

知康が“法皇の一番の御気に入り”と己れを過信してしまうのも、ある意味当然ではあるが、平氏都落ちの時に偶然その時その場に居たのが知康であり、だからこそ共に姿を眩ませる事になっただけであろう。別に知康だけを信頼して連れて行った訳では無いのであった。

それはともかく、義仲としては以前に行家が密告した“法皇を北陸に連れ去ろうと義仲は企んでいる”という誣告騒動の時と同様、事実無根である、としか言えないのである。

実際、義仲はその様な事を企図した事は無かったし、その他、噂になっている様な事を実行もしくは命令した事など無かったからだ。である以上、疑いを掛けられても、事実無根である、と繰り返す他無く、しかもそう告げたところで疑いが晴れる訳でも無い事に、義仲は呆れると共に言い様の無い無力感を感じてもいた。

それも無理の無い事かも知れない。

法皇の使者がこの様な要件で六条西洞院に訪れる度に、義仲にして見れば“私は法皇や公卿らに信用されていない”という事を突き付けられてしまう事を意味するのだから。

そしてその様に義仲が感じている事などお構い無く、四〇〇年になろうとしている嫋やかで雅やかな王朝文化の体現者らは流言蜚語に一喜一憂し不安になると次々にこの様な尋問の使者を遣わし詰問する、という他者の心を踏み躙る行いを無邪気に繰り返していたのであった。



「御使者の御用向きは何だったのです?」

「いつもの事だ。気に掛ける必要は無い」

四天王筆頭樋口兼光の問い掛けに、義仲は溜め息混じりに答えた。

鼓判官が退出して行って間も無く、四天王・巴御前・手塚光盛・津幡隆家・覚明が義仲の許に呼ばれ、着座するや早速、兼光が心配そうに口火を切ったのである。

義仲が幾分憔悴している様に見えたからだ。だが義仲は憔悴していた訳では無く、少々うんざりしていたのである。

次から次へと根も葉も無い浮説が流布しては、この様な噂の真偽を問い詰められ、一々否定して行かなければならない事に。

しかしこの種の噂は絶えるどころか、日を追う毎にそのバリエーションを増して行き、しかもその内容もより深刻なものへとエスカレートしている現状では、義仲としてもうんざりしながらも何らかの対応をしなければならないと感じ、麾下の主要な武将達を集めたのである。


「だが、そうも言っていられなくなった。法皇やその取り巻きの近臣が一喜一憂するのは今に始まった事では無いが、これに比叡山延暦寺まで巻き込まれる事は何としても避けたい」

義仲がそう告げると一同は無言で頷く。

「先日、市中で狼藉を働き捕縛した者はどうやら本当に比叡山延暦寺の悪僧である、との事でした」

市中警備に復帰した津幡隆家が報告する。

「いやはや。坊主が京で堂々と狼藉とはなぁ。ま、武闘派を売りにしている延暦寺の悪僧ならそのくらいは平気でやるだろうけどさぁ」

覚明が肩を竦めて感想を述べる。と、急に表情を厳しくすると、

「延暦寺の威光を傘に着てやりたい放題の悪僧らは、自分が捕まるとは思っていなかっただろうな。
それにいくら末端の末端である悪僧と言っても比叡山の僧侶である事には変わりが無い。あいつらは仲間が何かされた時には『延暦寺に楯突いたな!』って急に喧嘩腰になるからな」

「しかしいくら延暦寺の僧侶であっても市中で狼藉を働いた以上、捕縛するのは当然だ。これを放って置けば治安の悪化に繋がる」

楯が、隆家を擁護する様に言うと、皆も首肯いた。

「俺は何も悪僧を取っ捕まえた隆家を責めてる訳じゃ無いよ。
市中で強盗紛いの狼藉をすりゃ捕まえるのは当然さ。だが比叡山の奴らはその当然な事を当然であるとは思わない。比叡山に属している、というだけで何か特権を持っていると勘違いしてる奴らなのさ。道理が通じる相手じゃ無い訳よ。
だから今回の一件にしても奴らは『オレらの仲間に手を出しやがった以上、比叡山に喧嘩を売りやがった!』としか受け取ってない事が問題なんだろ」

苦笑いしつつ覚明が言った。

「そうなると奴らは途端に結束するから手に負えねェ。寺ン中じゃ普段、仲悪かったりすンのによ」

小弥太が天を仰いでお手上げ、という仕草でも愚痴る。

「まぁ大寺院とか有力寺院なんてドコも似たよぉなモンだけどさ。
俺のいた興福寺だってそぉだったし」

「でも比叡山ほど過激じゃないでしょ?だって今回は確かに悪僧を捕まえた事で彼らを刺激したかも知れないケド、それだけで義仲様が比叡山に攻撃を仕掛けるつもりだ、って言い出すのは拡大解釈って言うか、被害妄想って言うか、かなりどうかしてるしてるわよ。ねえ?光盛」

「ああ。だが我らが比叡山を追捕する、という噂は今回の件以前から流布していたものだ。
だから悪僧が捕縛された事でその噂が針小棒大に解釈されて比叡山側が態度を硬化させたのだろう」

巴の発言を受けた光盛が冷静に分析した。

「だからこそこのまま放置してはおけない。噂であれ風聞であれ、それを本気にする奴がいる限りは」

兼平が井戸端会議的お喋りを嫌ってシメる様に告げると義仲を見た。
一同もそれに倣ってあるじに注目してする。

「捕縛した悪僧に関してはそのまま勾留を続けろ。罪を犯した事の責任は寺院では無く本人らに負わせる。
そこで比叡山に対しては書状を送り、事情を説明し噂を信じ軽挙妄動する事の無いよう戒めるつもりだ」

嘆息しつつ義仲が告げる。
もう既に軽挙妄動している相手に、書状を送っただけで事態が収まるとは、義仲自身も信じていない口調であった。

が、やれる事と言えばそのくらいしか無く、更にその書状を受け取った比叡山側がどう考え、そしてどう行動するかは結局、彼らが決める事である以上、取り敢えず事実を書き記して送る事にはしたのであった。

結局、先程の鼓判官知康の事といい、比叡山延暦寺の事といい、法皇や公卿、貴族そして有力寺院の僧侶までもが噂や風聞に振り回され右往左往した挙句、その後始末、というかフォローを義仲がしなければならないのはどう考えてもおかしいが、そうしなければならない立場にいるのもまた、その義仲なのであった。


彼は状況を動かす事の出来るプレイヤーなのだから。




「先日、十日の公卿会議では、鎌倉の代官九郎冠者義経ら一行が入京する事は認めないと決定した、と報され、また先程、朝廷より遣わされた使者もその様に決した、と申していたが」

「いやいや。実はその件に関しては未だ貴族内でも意見が割れてあるのが実状でして。朝廷にしても最後は法皇陛下の御決断があればそれに従う、というおつもりの様で」

「であればここは私が折れても良い。鎌倉からの代官一行が一〇〇騎に満たない少数であれば、入京する事に関して私は反対しない」

十一月一五日。
この日、義仲の許に朝廷から派遣された使者と、法皇から遣わされた使者が相次いで訪れたが、その使者の告げる内容が微妙に異なっている事に、義仲は眉を顰めつつも妥協してみせた。と、

「その件はいずれ近日中には決する事となりましょう。
それより義仲どの。法皇陛下は真に御心を痛めておられる!
それというのも畏れ多い事ながら、其方が御所を襲う、という噂を耳にされてな!さ。義仲どの!この件に関してどう申し開きをするおつもりか!」

法皇からの使者、鼓判官知康は虎の威を借る狐、を地で行く様に、義仲相手に凄んで見せた。

義仲は、すっと冷ややかな眼になると呆れた様に静かに見据える。
と、
「これは国家の一大事と言わねばなるまい!この様な噂が流布する事自体、真に由々しき事!事ここに至ってもまだ黙り続けるおつもりか!」

義仲の首を取った様に居丈高に続ける。

「さ!何とか申してみよ!
使者として遣わされた私を愚弄する事は法皇陛下を愚弄する事に同じ!
義仲どの!其方の心底はそういうおつもりなのか!」

顔を紅潮させ畳み掛ける様に詰問する事に酔い痴れている鼓判官に、冷ややかな視線を送っていた義仲は、穏やかではあるが感情の全く込もらぬ口調で静かに発言する。

「鼓判官。お前は鼓の名手であると私は噂で耳にした。だが私を問い詰めるお前の口調は一本調子だ。
これではお前の打つ鼓も一本調子なのであろう。そんな鼓を打つ者が名手と謂われる訳が無い。判ったか?
噂というのはそうしたものだ」

噂や風聞など全くアテにならない、という事を強烈な皮肉に込めて応じたのであった。

要は『お前は鼓の名人だと噂され名声を得ている様だが、噂である以上は本当の事など判る筈が無く、そんな噂を真に受ける事自体、間違っている事だ』と言ったに等しかった。

すると鼓判官は顔を更に紅潮させて眼球が零れ落ちるかと思う程、眼を見開くと、視線で殺す!と言わんばかりに義仲を睨み付けた。

どうやら義仲の皮肉とその言葉の裏にあるメッセージを正確に受け取ったらしい。知康はいきなり立ち上がると、


「失礼する!」


言い捨てると、怒りの感情そのままにどかどかと足を踏み鳴らして廊下を遠ざかって行った。

義仲は小さく溜め息を吐き、瞬時に頭を切り替えると、一昨日、比叡山延暦寺に送った書状の返書が届かない事に付いて考えを巡らせていた。

「どんなに未開の地の者であっても情があり礼儀も少しは弁えているものです!
しかし!義仲という強情で頭の固い山賊の野蛮人には法皇陛下の尊さなど理解出来る筈も無く、京を去った平氏と比べてもその能力の劣る事は法皇陛下もお判りの事でしょう!
この様に自分勝手に振る舞う義仲をこのまま放って置けば増長を極めた挙句、寺社仏閣に乱入し仏像を薪となし堂塔を焼き払い、社殿を毀し、公卿ら貴族達にもその牙を剥く事となるのは火を見るより明らかです!
この際、義仲を追討する院宣を発し、あの野蛮人を討伐して京の空に立罩める暗い雲を吹き払い、晴天を取り戻す事はこの国を統べる十善帝王たる法皇陛下に与えられた聖なる義務とも言えましょう!」

法住寺御所に戻って来た鼓判官知康は、法皇を前にして先程義仲に皮肉を言われた鬱憤を晴らすかの様に大袈裟な演説をしていた。

この世には何故か他人を問い詰める事と他人の悪口を言う事に限り無い快感を覚える人が偶にいるが、この知康もそうした種類の人間なのであろう。そういった人間は己れの口から悪罵が発せられる毎に気分を昂揚させて行くという困った特徴を有しており、この時の知康も義仲を罵倒する事で舞い上がり、まるで何かに酔い痴れているかの様であった。が、知康は普段からこうした行為を繰り返していた訳で、彼を見る法皇やその取り巻きの近臣らは、知康が特別舞い上がっているとは感じていなかったのである。

法皇は知康の個人的な愚痴染みた陰口に付き合っていた訳では無く、使者として知康を遣わした以上、義仲の様子を報告させていたのだ。

それは不穏な噂を耳にした以上、義仲に探りを入れる事は法皇として当然の事であった。

しかし知康の報告は、報告と言える様なものでは無く、ただ義仲を罵倒しているだけで、義仲の様子に関する詳しい事は、噂の真偽も含めてまるで判別する事は出来なかったが、法皇には唯一つ判った事があった。

それは義仲が法皇の使者である知康に対して何か無礼な事をした、という事である。

知康が色々と言い募っている事の当否はともかく、知康が義仲に対して怒り狂っている事だけは理解した法皇は、自分の使者が無下に扱われた事を不快に感じていた。


「鼓判官よ。お前が義仲に何か恥をかかされた事は判った。
その事は聞くまい。
しかし私の使者をその様に扱うという事は“義仲勢が御所に襲い掛かる”という風聞は全くの出鱈目では無いのかも知れん」

法皇は知康を宥めつつ、独り言の様に呟く。
と、
「火の無い所に煙りは立たない、と申します!
大体この様な噂が立つ事も全て義仲が京に入って以後の事です!
あの野蛮人は必ず良からぬ事を企てております!
であればこそ明敏にも京の者らはその義仲の悪心を見抜き、風聞として流布させる事で陛下や公卿らに注意喚起していると言えるでしょう!」

使い古された常套句とあからさまな偏見を理に合わない無茶苦茶な言い分としてゴリ押しする知康に、法皇は一瞥をくれると、

「義仲が何を企んでいるにせよ、こちらがそれに対抗出来る態勢を整えておく事は必要であろうな・・・」

考えつつ呟く。
と、
「いいえ、陛下。その様な事をなさってはこちらが喧嘩を売り付けてしまう事となりましょう。ここは泰然自若として大きく構えていれば良いのです。徒に動揺する事はありませんもの」

丹後局が艶然と笑みを浮かべつつやんわりと、愚かな真似はおよしなさいな、と道理を説く。

が、その余裕を持った態度とは裏腹に、心の中では焦りを感じていた。法皇がその気になっている事に気付いたからである。しかも知康もその事に気付いていたからこそ、あれだけ言い募ったのであろう。舌打ちしたいのを堪えて笑顔で丹後局は続ける。

「伊予守[義仲]が噂通りに愚かな事を仕出かしたその時こそ、彼は自らの手で墓穴を掘る事となるのですよ?
そうなれば完全に伊予守はその信用を失い、孤立する事となるのです。
陛下はただお待ちになるだけで良いのですから」

「いえ!丹後局どの!
いずれその様になるにせよ陛下の御身を護る為には最低限の備えは必要となります!
備前守行家どのが追討に赴いた今、新たに陛下の楯となる者らを集めておかねばなりません!」

知康が割って入ると、お前は黙っていなさい、との本音を隠した丹後局は困った様な笑みを装い、

「これまでも伊予守は陛下に異を唱えた事はありますが、最終的には全て受け入れて来ましたわ。であれば彼は陛下との決定的な対立など望んではいないのですよ?
つまり陛下の方から挑発なさる様な事は百害あって一利無し、という事ですわ」

噛んで含める様に理を説くと法皇は、確かにその通りだ、と言わんばかりに再び考え込む。が、知康はその法皇の思考を遮るかの様に再び割って入った。

「だからこそです!
最終的に義仲は陛下に屈する以上、こちらが兵を集めたとしてもあの野蛮人にはどうする事も出来ません!
それに陛下の護衛の兵に弓を引く、という事は自ら逆賊となってしまう事ぐらいは野蛮な山賊とて承知の筈!
この際、陛下の権威をあの山賊に知らしめ、陛下の御命令に従わせる事こそ、陛下の威信を高め、引いては乱れた世を正す事にも繋がるのです!」

「ふむ。
鼓判官の言う事は尤もじゃな」

法皇が呟く。
と同時に丹後局は眼の前が真っ暗になったかの様な感覚に襲われた。

法皇にも虚栄心が残っていたのだ。
虚栄心とは他者に自分を良く見せようとする欲望の事を云うが、知康の言った“乱れた世を正す”という言葉にその虚栄心が刺激されたのであろうか。

丹後局の嫌な予感を感じつつ法皇を見ると、その法皇の眼は爛々と輝き、昂揚感に突き動かされている者独特の自信に満ち溢れた表情で遠くを見詰めている。

こうなるとこの法皇は他者の言葉に耳を傾けなくなる事を苦い思いと共に丹後局は理解していたのである。

それでも、
「法皇陛下?
その様に御考えならば、別の遣り方」

一応、声を掛けたがその丹後局の言葉を打ち消す様に、

「知康。至急、延暦寺、園城寺、仁和寺、八条殿、後鳥羽天皇、前の関白藤原基実らの許へ使者を遣わし、この法住寺御所へ参内させよ。
そして出来るだけ高位の貴族らにも声を掛け御所に集めるのじゃ。兵に関しては貴賤を問わず、集められるだけ集めろ。判ったな」

法皇は高らかに命じると、知康はぱっと顔を輝かせ、

「ははーーーっ!!」
大袈裟に平伏すると、取り巻きの近臣らも何か新しい遊びが始まった時の様な期待に満ちた明るい表情で平伏した。

後白河法皇は、ここにその長い政治活動の中で初めて事態を打開する為に積極的な行動に打って出た事になる。

常に受動的で対処療法に終始していたこれまでの政治姿勢を一変させて。


後白河法皇もこの時代を動かす事の出来るプレイヤーの一人なのである。
その遣り方が火遊びめいた無謀な冒険であったとしても。

何にせよ、法皇はその政治的態度を明確にした。義仲を挑発し対決して行く事に決したのである。

この対決相手の、つまり義仲の忍耐心を過大評価し、こちらがどの様に義仲を踏み躙ったとしても決して刃向かって来る事などあり得ない、との甘過ぎる見通しと期待を唯一の勝算として。

丹後局は、眼も眩む程の徒労を感じながら、法皇の危険な火遊びを止められなかった自分の無力さを痛感せずにはいられなかった。

しかし、何やら相談した後、知康を始め取り巻きの近臣らが手分けして各所に使いに出るのを眺めている事しか出来無い自分の不甲斐なさを嗤うだけの余裕を取り戻した丹後局は、この時、法皇がどの様な決定を下そうと、それに最後まで側を離れず付き合って行くだけの覚悟を決めた。自分の思う様には行かなかったが、丹後局は腹を括ったのである。

十一月一五日の夜の事であった。




「兼実どの。本日は御所に参らぬ方が良いかと思われます」

「何故じゃ?定能どの」

右大臣九条兼実が出仕する為に準備していたところ、知り合いの貴族が自邸を訪れて忠告したのであった。

本日十一月一六日の早朝、地震の揺れで眠りから覚めさせられた兼実は漠然とした不安を感じつつも、気のせいか、と思い直していた矢先にこうした事を告げられ、眉を顰めて質すと、

「法住寺御所に兵や悪僧、それに市中のならず者らが集められ、その中には乞食法師[寺院に所属していない僧侶]もおりました。
どうやら例の“義仲が御所を襲う”との流言を真に受けられた法皇陛下がこの様な者らに護衛を任せるつまりになられたものと」

「何!それで陛下はどうなされた!」

「御所の南殿に御遷りになられた、との事です。しかも南殿には延暦寺座主明雲大僧正や八条女院、更に主上[後鳥羽天皇]までも御集りになっており、近日中に伊予市義仲に対し厳しい御沙汰が下るものと思われます」

定能が不安を滲ませつつ答えると、兼実は漠然と感じていた不安が現実のものとなってしまった事を認めながら苛立ちを隠そうともせずに呟く。

「愚かな!それでは殊更に義仲を挑発している様なものだ!
現時点で義仲が法皇に対し、また国家に対し謀叛を企むとはどうしても思えん!今までの事を顧みても結局は法皇の命令を受け入れて来た義仲だ!
それが」

「はい。私もそう思います。が、鼓判官や取り巻きの小者らの言葉に載せられたのであろうとは思いますが、法皇がその様に決定してしまった以上は、事態が急に切迫して参りました」

「うむ。全く法皇の気紛れには困ったものだ。それにしても法皇自らが兵を集めて武士に対抗するなど前例も無ければ、聴いた事も無い。
愚かな事を・・・」

「その事です。私にも法皇が自ら進んで事態を悪化させ、緊迫の度を昂めているとしか思えません・・・」

定能が溜め息混じりに言うと、兼実も同意するかの様に深い溜め息で応じる。

「・・・判った。ここ四・五日は御所に参内するのを控えよう。法皇からの呼び出しがあれば別だが、朝廷の公卿達にもその旨、報せて置いた方が良いかも知れん」

「はい。しかし法住寺御所の異変、というか常に無い様子の事は既に市中に拡まっており、民衆も外出を控えておるようです。公卿の皆様の耳にもおそらく届いているものと・・・」

「であろうな。とにかく定能どの、報せてくれて感謝する。この上はお互い妙な事に巻き込まれぬように気を付けねばならん」

兼実が謝意を示すと、定能は立ち上がりつつ、

「伊予守義仲がこの様な真似をされて黙っているとは思えません・・・兼実どのもお気を付けて」

懸念を伝えると兼実も暗い表情で頷く。定能は目礼すると無言のまま退出して行った。

兼実はもう一度深い溜め息を吐きながら外に面した回廊に出ると、暗い曇天を見上げつつ、法皇の稚拙な政治の行い方に苛立ちを隠せずにいた。



「義仲に対する追討令を鼓判官に発した、と聞きました。
法皇陛下は本気で義仲と事を構えるつもりなのですか?丹後どの」

「追討令を発したのは事実です。が、法皇陛下やそのお取り巻きの者らは、それで事態が治まるものと考えているようですわ。御めでたい事に」

「義仲が頭を下げて来る、と?」

「その様です。
戦いになどなる事は無いと頭から信じ込み、楽観していますわ。
その緊迫感の無さは通親どのにも見せて上げたいくらい」

法皇の居る御所南殿の方向に視線を送りながら、呆れた様に丹後局が言い捨てる。宰相中将通親もつられる様にそちらを見ながら、

「これからどうなるのかは私にも判りません。しかしこのままでは最悪の事態に至ってしまう事もあり得ます。
その時は」

「そうなっても私は陛下のお側を離れるつもりはありませんわ」

通親の心配を笑い飛ばすかの様に笑顔で丹後局は応じた。

通親はこの日、法住寺御所周辺の異変を報されると、すぐに御所に参内し丹後局を見つけると、有象無象の者らが犇く御所の庭を避け、屋内の一室に於いて状況がこうなってしまった事情を訊いていたのであったが、思い掛けない丹後局の笑顔は一瞬通親を唖然とさせた。

しかしその笑顔に込められた靭さを瞬時に感じ取った通親は、あらためて事に臨んだ時の女性の強さと、丹後局の肝の太さに舌を巻く思いでいた。

「とにかく陛下にはくれぐれも御自重をと。しかし自重されておられたらこの様な状況に至る事は無かったのですが」

思わず愚痴めいた事を言ってしまった通親のぼやきに、同意する様に丹後局は苦笑で応じた。と、何故かこの時、通親は以前から疑問に思っていた事を訊いてみる事にした。

「丹後どのは伊予守義仲に対し、何やら含むものあると見えますが、一体何故なのです?」

丹後局は、まあ、と驚いた様な表情になると、

「通親どのには隠し事が出来ませんわね」

苦笑いしつつ応じると続けた。

「白状してしまいますと私はあの男の“自分は常に正しい事を行なっている”という態度と、いかにも“私欲の為で無く民の為に戦う”という恩着せがましい思いに辟易していたのですよ。
だから自然とあの男を見る眼付きにその事が出てしまっていたのでしょう」

「確かにそういうところがある様に感じますね、義仲には」

「その様な思いや態度は、私の様な者から見ると偽善にしか見えません。
通親どのもご存じの通り私は中級貴族の生まれで、言ってみれば今の様な地位にいる事は“成り上がり者”という事になる筈ですが、あの男にはその“成り上がり者”という自覚すら無いのです。
いかにも無欲の様に見えますが、この様な者は世間の事柄と己れの“正しいと思う事”が相反した時、迷わず己れの“正しいと思う事”の方を選び突き進んでしまうでしょうね。
危険なのです。
私はあの男と較べれば鎌倉どのは、自分を大きく見せる事に懸命になられ、その上、気前が良い割に欲張りなところがあるという、自分に正直で矛盾した分かり易い人の方に親近感を覚えてしまいますの」

「良く判ります。そういう意味では頼朝とは話しが通じますしね」

話しが通じる、という事は京の貴族らと頼朝は政治的価値観、或いは政治的人格が似通っているという事だ。
そういう意味では確かに義仲は全く異質な存在と言って良かった。

嫌っているという割には、意外と鋭く義仲の本質の一面を捉えている丹後局に幾分、尊敬の念を含んだ視線を送っていた通親に、丹後局はふふふと含み笑いを洩らすと、

「不謹慎ですが、鼓どのが無茶をしてくれたお陰で愉しみが一つ増えましたの。
陛下との対立がその頂点にまで昂まった時、あの男がどの様に身を処すのか、どの様な選択をするのか。
そうは思いませんこと?」

「その様な怖い事を。私としてはそうならないように祈るだけですが」

「とにかく陛下の事はお任せ下さいね。この一連の騒ぎが収まるまで通親どのは御所にお参りにならない方が宜しいですわ」

「判りました、丹後どの。
繰り返しにはなりますが、くれぐれも御自重を、と」

深々と頭を下げる通親に思わせぶりな流し眼をくれて丹後局はしずしずと南殿の方に向かって行く。

その姿が見えなくなるまで見送っていた通親も早々に踵を返すと早足で歩き出した。

少しでも早くこの法住寺御所から離れる為に。



そう。ここは御所であるが、もう御所では無く戦場になりつつあった。

このまま事態が推移すれば、ここは法皇方の本陣であり、最前線となってしまうのである。

そういう無謀で危険な火遊びを、法皇と取り巻きの近臣らは始めてしまったのだ。

愚かな事にどこまでも無思慮に。
どこまでも無分別に。
どこまでも無邪気に。



そして翌日、十一月一七日。
夕暮れの刻。


後白河法皇は、六条西洞院の義仲の邸に使者を派遣した。

この使者は法皇からの特別な要件が託され、義仲及びその麾下の武将達が広間に勢揃いした時、その特別は要件を告げたのであった。

「朝日将軍伊予守兼左馬頭義仲、並びにその股肱の武将ら全員に告げる。
法皇陛下に於かれては真に御憂慮なさっておられる。それと言うのも、伊予守が御所に攻め掛かり陛下を襲い奉る、との報告をして来た者がいるからである。
この者は確かな証拠が有る、と申しておる。
またも事実無根であると言い逃れるのならそれも良かろう。が、事ここに至った上は口先だけの強弁では無く、その行動によってその身の潔白を証明するが良い。
明日のこの刻までに追討令に従い平氏追討に西海へ向かえ。
もしくは、これは宣旨では無くあくまでも伊予守自身の責任に於いて鎌倉の代官を討つ為に東海へ赴け。
もしこのまま京に居座る事になるのであれば、伊予守自身がこの不穏当極まり無い報告が事実であった事を証する事となり、これにより陛下に対し、そして国家に対し謀叛を企てた罪禍により処罰する事とする。以上である」

法皇は義仲に対し、最後通牒を突き付けたのであった。


何でも良いからお前は京から出て行け、と。

そして義仲に与えられた時間はほぼ一日、二十四時間。




後白河法皇が始めた政治的緊張は、この最後通牒によって頂点を極めつつあった。

そしてこの対立が、ある一点を超えた時、どの様な事態が招来される事になるか正確に見通している者など、唯の一人も存在していなかった。


そして京に夜の帷が降りる。
不安と共に夜は更け行く。

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