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伝承の館(珠洲・七尾・穴水・中能登・志賀・かほく編)

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巴塚(石川県能登町)

巴塚(石川県能登町)

巴の塚があるという。

石川県鳳珠郡能登町不動寺

八幡神社(中能登町水白)

八幡神社(中能登町水白)

義仲が1183~85(寿永年間)年に、水白に布陣したとき、八幡宮として尊崇したという伝えがある。

石川県鹿島郡中能登町水白ヨ88乙

八幡神社(中能登町金丸)

八幡神社(中能登町金丸)

義仲が1182~85(寿永年間)ごろ、小田中に陣した時、戦勝を祈願し神宝を奉ったという。八幡神社の懸仏及び少名彦名命社の薬師十二神の懸仏は現在円正寺に安置されている。

石川県鹿島郡中能登町金丸5-11乙

関

石川県珠州市か?

北陸(能登)武士

倶利伽羅合戦前に能登から駆け付けた武士の中に名が見える。

志雄越え

倶利伽羅合戦の際、源行家の率いる別動隊は志雄山で敗れた。義仲は倶利伽羅の勝利ののちすぐ志雄山へ駆付けた。

富山県氷見市床鍋

白生

倶利伽羅合戦にむけて平家が二手に分かれ、志雄山に向かう平家軍勢が通った地。

(JR宇野気駅2㎞25分)

一青庄

藤原頼長の荘園だったが没収され後白河院の後院領になった。義仲の父義賢が派遣されていた。

(JR良川駅1・2㎞15分)

武部

武部

武部
石川県中能登町
北陸(能登)武士

燧合戦や倶利伽羅合戦前に能登から駆け付けた武士として名前が見える。武部村を名字の地とする。

館開の由来

得田氏の居城・得田城があった。館を開いたことにまつわる地名。

石川県羽咋郡志賀町舘開
(のと鉄道七尾線笠師保駅6㎞76分)

得田

得田

藤原(得田)章通
石川県羽咋郡志賀町徳田
北陸(能登)武士 文献残存

「養和元年(1181)11月24日得田・大町・甘田・神代保の4か所の地頭職を藤原章通が義仲によって安堵された」という文献が残る。この所領安堵は能登が真っ先に平家に兵をあげたことによる。
藤原章通は得田保を本拠地とする武士。当初得田保は土田庄にふくまれていたが文治4年(1188)年に分割されたことも他の文献に書き残されているため

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土田

土田

石川県羽咋郡志賀町土田
北陸(能登)武士

義仲挙兵の報を受け、能登武士は北陸で真っ先に兵をあげた。
土田の者共と書かれ、名字以上のことはわからず、派手な活躍はないが、義仲から土田地区の隣にある「得田氏」が所領安堵の文書を与えられている。

能登国府

養和元年(1181)7~8月、義仲が北陸へ進出したことと呼応して、能登武士が反乱を起こした場所。国主・平教経が派遣していた目代が追放され、郎党も首をはねられた。

(JR七尾駅2・7㎞34分)

日置

日置
石川県珠洲市三崎町伏見

石川県珠洲市三崎町伏見
(能登空港40㎞車で40分)

(のと鉄道穴水駅2・7㎞35分)

倶利伽羅合戦前に能登から駆け付けた武士の中に名がある。日置郷は日置氏の本拠地と推定されるが、日置郷比定地自体が2か所候補がある。