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伝承の館(白山・野々市編)

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富樫

富樫

富樫次郎家経・入道仏誓・新三郎家員
石川県金沢市高尾1丁目
北陸(加賀)武士 斎藤氏

家経と仏誓が同一人物ではないかという説もある。
越前斎藤一族で、林氏に次いで常に記されているのが富樫氏になっている。富樫郷の範囲は野々市市の北東から、金沢市高尾町辺りまでとされている。高尾山に城山・古城などがあり、燧合戦の敗戦の後、北陸武士が平家に攻められ転戦していたが、林と富樫がたてこもり落とされたという城は

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夛伎奈弥八幡神社(たきなみはちまんじんじゃ)

夛伎奈弥八幡神社(たきなみはちまんじんじゃ)

義仲が寄進したという神鏡があるという。社地に滝があり長滝八幡神社と称したという。

石川県白山市長竹町ハ7

宇佐八幡神社

宇佐八幡神社

義仲が白山に寄進し、富樫氏の一族横江七郎基光をして社殿を造営させて、宇佐八幡大神を祀らせたという。

石川県白山市横江町1

松任金剣宮

松任金剣宮

義仲が1183(寿永2)年、義経が1187(文治3)年に祈願したという。富樫氏が代々信仰した神社。

石川県白山市西新町181

島乃宮神社(阿弥陀島神社)

島乃宮神社(阿弥陀島神社)

義仲が1183(寿永2)年に平氏を追討し、笠間神社に戦勝祈願をした時に、この地に八幡大神の遙拝所として仮殿を建てられたのを起源とすると伝える。

石川県白山市阿弥陀島町1

坊の森

義仲が篠原合戦の際に坊の森に本陣を置いた場所といわれている。

石川県白山市宮永町

武甕槌神社(たけみかづちじんじゃ)

武甕槌神社(たけみかづちじんじゃ)

北陸合戦に関する神社。社記によればかつては春日島というところにあった。義仲の軍勢が1183(寿永2)年に比楽河に至ったが、大水のため渡ることができなかった。家臣の根井小弥太が当社の森に陣し、持っていた八幡神を祀ったと伝えられる。

石川県白山市源兵島町1
(JR加賀笠間駅2・8㎞35分)

笠間神社

笠間神社

義仲が加賀で合戦したとき、平軍を追ってやってきた。しかし手取川が洪水しており、渡ることができなかった。そのため笠間神社に減水と戦勝を祈願したところ、俄に減水して渡ることができたという。義仲は兜と喜悦書を奉ったという。そのとき義仲は附近の住民が持ってきた煎粉によって空腹を満たしたという。そのとき義仲が弓で地面を掘ったところ水が湧いたため「義仲弓堀の井」と称えたという。その後長い間11月16日をきし煎

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宮保八幡神社

宮保八幡神社

北陸合戦の際、義仲が1183(寿永2)年に祈願したという神社。宮保八幡宮と笠間神社は接しているため、笠間神社が宮保八幡と呼ばれていた時期もあった。宮保地区にある正永寺は木曾義仲をしのんで建てられた木曾山堂が前身だともいわれている。

石川県白山市宮保町
(JR加賀笠間駅1・4㎞17分)

朝日の由来(川北町)

義仲にまつわる地名。義仲が湊に上陸したとき朝日が昇っていたことに由来する村名。

石川県能美郡川北町朝日
(JR美川駅2・5㎞32分)

林

林六郎光明

北陸(加賀)武士

石川県野々市市新庄(北陸鉄道乙丸駅1・3㎞17分)

「兵範記」前掲条・同月七日条などによると、林光家はかつて比叡山に訴えられて捕らわれ、同年八月九日鳥羽殿(現京都市伏見区)金剛心院建立供養で赦免されたものの、叡山衆徒の重ねての訴えにより翌九月に再び拘禁された。
「平家物語」の諸本には木曾義仲方に呼応して平家方と戦った林六郎光明がみえる。

林氏の本拠地林郷は白山

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富樫館

富樫氏の本拠地。平家の軍勢に敗れた富樫が退却したと推定される。

石川県野々市市住吉町
(北陸鉄道馬替駅0・5㎞7分)

野市(野々市市)

中世加賀の政治経済の中心地だった。

石川県野々市市
(北陸鉄道野々市工大前駅0・8㎞10分)

白山河内

平家の軍勢に敗れた林・富樫らの退却地点。

石川県白山市河内町口直海
(北陸鉄道鶴来6㎞75分)