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伝承の館(小松・能美編)

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斎藤実盛の菩提寺

石川県小松市那谷町ユ122

井家

井家

井家次郎師方
石川県河北郡津幡町字中橋 井家庄
北陸(加賀)武士

井家庄は長講堂領で、津幡氏本拠地。源平盛衰記に「倶梨伽羅山へ向かう平家の軍勢は、加賀国井家・津播多から森本まで連いた」とあり、この地域が平家の進軍路にあたっていたことがわかる。
井家師方最期の地は「根上松古戦場」として整備されている。

■根上がり松の奮戦~井家次郎師方の最期

 燧合戦から転戦した北陸武士たちがせめてもの抵抗を企

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佐見

佐見

佐見
本拠地不詳
北陸(越中?加賀?)武士

富山県朝日町

石川県小松市佐美町

高野本の燧合戦、源平盛衰記の平家を追い落とす安宅の戦いで林・富樫に続いて書かれている。越中国三位荘を本拠とする武士で富樫一門という説があるが、加賀に佐見という地名があり、どちらか確証を得ない。

菩提

斎藤実盛の首塚があったという伝説がある場所。

石川県小松市菩提町

多太神社

多太神社

斉藤実盛とゆかりが深く実盛着用の鎧兜、義仲奉納の鏃などがある神社。
義仲が「てふや庄」を寄進し、斎藤実盛着用の鎧兜を奉納したという。「延喜式」神名帳に能美郡八座の一つとして書き残された由緒ある神社。実盛着用の兜一頭・袖・臑当は国指定重要文化財となっている。1689(元禄2)年松尾芭蕉がこの兜を見て、「むざんやな甲の下のきりぎりす」と詠んだと「おくのほそ道」に記されている。斎藤実盛は能「実盛」で現在

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板津

板津

板津
石川県小松市御館町・能美市根上
北陸(加賀)武士 斎藤氏

郡家庄は石川県能美市根上町にあり加賀武士・板津氏が管理する荘園。現在の小松市と能美市根上地区を中心に広がっていた。

板津氏は林氏の一族で斎藤氏。板津介成景は倉光次郎成澄の兄にあたる。国衙在庁官人の介の地位を利用して、国衙周辺から広範囲にわたって荘園開発を行っていたという。義仲軍勢には弟たちを参加させ、自らは動かなかった。

根上の松

平家に敗北し安宅城を退いた北陸諸将を逃がすため、井家次郎範方らが楯となって奮戦したが討たれたという戦跡。

石川県能美市高坂町
(JR寺井駅2・1㎞27分)

のみの庄

のみの庄

現在の小松市八幡町あたりを中心に広がっていた荘園。長講堂領=後白河院領。板津氏が管理。義仲が倶利伽羅合戦ののち菅生石部神社に寄進した。

石川県能美市末信町
(JR明峰駅4・8㎞60分)

佐見

平家に敗北し加賀を転戦していた北陸諸将が通った地点。

(JR粟津駅4・6㎞58分)

林氏館跡

加賀武士・林六郎の館跡。

石川県小松市林町
(JR粟津駅2・5㎞31分)

安宅の渡し

平家に一矢報いるため北陸緒将が意地をかけて平氏の軍勢と激突した戦跡。

石川県小松市安宅町
(小松空港2・9㎞37分)

安宅

古代からの海川陸の交通の要衝。加賀国府の外港で、商業流通や信仰の拠点だったため戦場になった。

石川県小松市安宅町
(小松空港2・6㎞32分)

義仲町

義仲にちなんで名づけられた新地名。

石川県小松市義仲町
(小松空港2・2㎞28分)

安宅住吉神社

安宅住吉神社

平家に一矢報いるため安宅の戦いに挑んだ北陸緒将が陣を置いた神社。

石川県小松市安宅町タ17
(小松空港3㎞38分)