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伝承の館(加賀編)

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篠原城

篠原城

北陸緒将が燧が城から転戦したが敗北した城。のちに義仲に追われた平氏が敗走し、斎藤実盛が奮戦した場所でもある。

石川県加賀市柴山町

成合

成合

成合
石川県加賀市篠原
北陸(加賀)武士か?

倶利伽羅合戦の際、志雄山へ向かった軍勢の中に信濃武士と混じって唐突に記されており、成合氏という武士がいたのかも不明。
「成合」という地名は、源平盛衰記に頻出している石川県加賀市付近の地名だが、地図の通り川や池が多い地域で、現在場所が確定していない。
仮に加賀武士としてデータを置く。

篠原神社

篠原神社

義仲が篠原の合戦の時祈願し、神領等を奉納したと伝えられる。延喜式内社にあてられる古社で潮津から当社地に至る浜を八潮の湊と称し、故に八潮の宮と称されたという。境内には盛大な七堂伽藍を有したと伝えられる。

石川県加賀市篠原町ル1

実盛愛用の鏡

加賀市深田にあるという。

石川県加賀市深田町

菅生石部神社

菅生石部神社

義仲が平家を篠原の合戦で破ったとき、「のみの庄」を寄進した。篠原合戦で平家が敗走した「須川山」「須川林」は菅生石部神社の後背丘陵地とみられる。加賀国二宮。社伝では585(用明天皇元)年の創建といい、「三代実録」元慶7年(883)12月28日条に菅生神がみえ、正五位下に進階している。源平合戦のきっかけとなった1177(安元3)年2月の「安元事件」では、白山中宮の衆徒らが加賀目代藤原師経を糾弾するため

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忌浪神社

忌浪神社

義仲と平家の戦いで1183(寿永2)年に焼失した。1185(寿永5)年に再建された。

石川県加賀市弓波町イ1
(JR加賀温泉駅1・7㎞22分)

源平合戦供養塔と木曽街道

風光明媚な海沿いを木曽街道がある。そのわきに源平合戦供養塔がある。橋立町と黒崎町の境界付近にあたる。

石川県加賀市深田町
(JR加賀温泉駅8・8㎞105分)

熊坂越

交通の要衝。燧ヶ城から敗走した北陸諸将を追って平氏が侵入し、義仲軍勢に追われた平氏が都へ逃げ戻った。古代の北陸道はここを通ったという説もある。

(JR牛ノ谷駅2・6㎞33分)

鏡の池と白山神社祭礼

鏡の池と白山神社祭礼

実盛が投げ込んだという手鏡が池に沈んでいる。毎年9月15日ごろ行われる祭礼の前日に池の水を抜き鏡を拝する。

(JR加賀温泉駅6・5㎞82分)

実盛塚(石川県加賀市)

実盛塚(石川県加賀市)

斎藤実盛を葬ったと伝えられる塚。現在塚の上にとても大きな松がある。

石川県加賀市篠原町
(JR加賀温泉駅5・8㎞72分)

成合

柴山潟と海岸に挟まれた付近にあったとみられる源平の古戦場。北陸緒将の敗走・義仲軍勢の平家追撃の激戦地だった。

石川県加賀市篠原町
(JR加賀温泉駅5・6㎞70分)

潮津神社

潮津神社

斎藤実盛の人気を不動のものとした伝説の地。この付近の領主は諏訪氏で潮津神社を崇敬していたという。
1414年時宗潮津道場での念仏の時に斎藤実盛の霊が現れ、その様子が都にも伝えられて評判となり「能・実盛」が成立するに至った。その後道場は西光寺となった。

石川県加賀市潮津町
(JR動橋駅4・3㎞55分)

篠原古戦場

篠原古戦場

北陸諸将が築いた城。燧ヶ城から転戦したが敗北した。

倶利伽羅合戦の後は、義仲に追われた平氏が転戦し、斎藤実盛が命を落とした。現在は首洗池周辺を公園として整備し、平家物語のシーンを再現した銅像がある。

(JR動橋駅4・7㎞60分)

成合の池(柴山潟)

燧ヶ城から敗走した北陸諸将が加賀を転戦していた時通った場所。

(JR動橋駅4・2㎞52分)