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伝承の館(南信州編)

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宮崎氏の館跡

北陸の武将・宮崎氏の子孫が住んだという。

長野県飯田市座光寺

中原兼安と義仲の子

中原兼安と義仲の子

義仲の子が中原兼遠の三男兼秀と千鶴御前に匿われ天竜峡で育ったという。後に小木曽氏を名乗る。

長野県飯田市大平

美津御前と千代丸

美津御前と千代丸

美津御前と義仲の間に生まれた千代丸は、東箕輪村長岡の福澤氏の祖。千代丸は伊那郡羽場口の城主・柴藤三郎長綱の娘と結婚し、そこから浅井次郎義清と名乗ったという。義清は承久の乱で京方に参戦し討死し、その子は母方の叔父が住む知久澤山日輪寺に身を寄せたという。

長野県上伊那郡箕輪町 日輪寺

正永寺

正永寺

義仲の守り本尊と言われる聖観音が観音堂に祀られている。

長野県飯田市江戸町3丁目

普済寺

源頼政に1166年に再建された寺。奈良時代の創建。

長野県箕輪町東箕輪3632-1

駒くずれ

木曾義仲の軍勢が、木曾山脈の「木曾殿越」の鞍部を越えて伊那へ攻め入った時、山越えに疲れた馬が、足をふんばったまま死んだ蹄の跡が岩に残っている。「駒潰れ」と言い伝えられている。

長野県上伊那郡宮田村新田区