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義仲館
2021年1月14日 11:17
八島四郎行忠佐久市矢島(佐久郡大井荘矢島郷)滋野党の中に、矢島に居住し矢島氏を名乗る豪族がいた。八島四郎行忠が横田河原合戦に参加した。京都でも名がみえる。その後戦国時代まで矢島氏の存在が確認でき、山城の後、居館の跡も残っている。八幡社境内には高良社棟札(国重要文化財)が残り、当地区が滋野党とゆかりが深いことを今に伝えている。
2021年1月14日 11:06
落合五郎兼行岐阜県中津川市落合(美濃国恵那郡落合)落合兼行は中原兼遠の子とも滋野一族ともいわれている。義仲の重臣の一人。横田河原合戦・倶利伽羅合戦に名がみえる。義仲死後、南木曽町三留野で頼朝軍と戦ったという伝承がある。落合五郎の本拠地が中津川市か佐久市か、明確な史料はないが、伝承残存状況から、ひとまず中津川市を本拠地として表示する。■関連伝承地〇中津川市 落合五郎兼行神社中津
2021年1月14日 11:34
佐久市大字根岸 旧平井村字石附(佐久郡石突)石突次郎が横田河原合戦に参加。
2021年1月8日 10:08
兼平の子・与惣兼連の塚。兼連は体が弱く戦に参加できなかったが、義仲敗死後その子義重が信濃に落ちのびたのを知り、後を追ってここまで来たが旅の苦労がたたってなくなってしまった。家臣達は彼を葬り、たくさんの石を積み上げ、後に塚が作られた。長野県北佐久郡立科町大字芦田八ケ野(しなの鉄道田中駅28㎞330分)