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義仲館
2021年1月14日 11:17
八島四郎行忠佐久市矢島(佐久郡大井荘矢島郷)滋野党の中に、矢島に居住し矢島氏を名乗る豪族がいた。八島四郎行忠が横田河原合戦に参加した。京都でも名がみえる。その後戦国時代まで矢島氏の存在が確認でき、山城の後、居館の跡も残っている。八幡社境内には高良社棟札(国重要文化財)が残り、当地区が滋野党とゆかりが深いことを今に伝えている。
2021年3月12日 14:49
藤沢長野県立科町藤沢平家物語高野本によると、清水義高が鎌倉に送られる際供をしたという。藤沢氏は神氏の分流で、発祥地は伊那市高遠町藤沢。藤沢の地名は「藤沢川」に残るのみであるが、川の流れる谷が広く藤沢郷であったと考えられる。蛇山の山城跡が本拠地で藤沢城ともいわれている。長野県伊那市高遠町藤沢4080
2021年1月14日 11:06
落合五郎兼行岐阜県中津川市落合(美濃国恵那郡落合)落合兼行は中原兼遠の子とも滋野一族ともいわれている。義仲の重臣の一人。横田河原合戦・倶利伽羅合戦に名がみえる。義仲死後、南木曽町三留野で頼朝軍と戦ったという伝承がある。落合五郎の本拠地が中津川市か佐久市か、明確な史料はないが、伝承残存状況から、ひとまず中津川市を本拠地として表示する。■関連伝承地〇中津川市 落合五郎兼行神社中津
2021年3月12日 11:55
落合五郎兼行の城跡があったという。長野県佐久市成瀬
2021年1月14日 11:34
佐久市大字根岸 旧平井村字石附(佐久郡石突)石突次郎が横田河原合戦に参加。
2021年1月8日 10:08
兼平の子・与惣兼連の塚。兼連は体が弱く戦に参加できなかったが、義仲敗死後その子義重が信濃に落ちのびたのを知り、後を追ってここまで来たが旅の苦労がたたってなくなってしまった。家臣達は彼を葬り、たくさんの石を積み上げ、後に塚が作られた。長野県北佐久郡立科町大字芦田八ケ野(しなの鉄道田中駅28㎞330分)
2020年12月21日 15:08
佐久と群馬県を結ぶ峠。群馬県鏑川の渓谷を下り、江戸時代には群馬県吉井方面と相当多くの交通があった。吉井・藤岡付近の多胡庄は義仲の父の領地のため、この峠を通って幼い義仲が信州に逃れた可能性もある。長野県南佐久郡佐久穂町大字余地(JR海瀬駅8・5㎞170分)
2020年12月21日 15:04
矢田義清の居城。義仲の父義賢が討たれた時、義仲は母に抱かれて十石峠を越えてこの城に落ちのびたという。この付近には御門前・ねごや・士族寝などの地名がある。長野県南佐久郡佐久穂町大字大日向(JR海瀬駅4・6㎞120分)
2020年12月21日 14:58
楯六郎館跡。「舘」という地名が残る。長野県南佐久郡佐久穂町大字余地(JR海瀬駅3・3㎞60分)
2020年12月21日 14:54
樋口兼光ゆかりという説もある城。諏訪、多胡に通じる交通の要地にあり、山の地形を利用した複雑な城跡で、周辺に鎌倉時代の古い五輪塔などがある。長野県南佐久郡佐久穂町大字余地(JR八千穂駅2㎞40分)
2020年12月21日 14:47
信濃源氏・平賀盛義の本城。(JR太田部駅2・8㎞33分)
2020年12月21日 14:42
芦田村野方に義仲を奉る冠者社がある。滋野氏が奉ったものだろう。長野県北佐久郡立科町大字宇山(しなの鉄道田中駅13㎞158分)
2020年12月21日 14:33
滋野一族ゆかりの寺。滋野氏宝塔と呼ばれる石造塔婆が三基ある。長野県北佐久郡立科町大字山部(しなの鉄道田中駅12㎞146分)
2020年12月21日 14:29
望月氏の居城。平安から戦国時代まで使用された。長野県佐久市望月(JR中込駅14㎞166分)