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伝承の館(辰野・下諏訪編)

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城山(長野県辰野町)

城山(長野県辰野町)

義仲の砦となっていたと伝えられる。

長野県上伊那郡辰野町大字伊那富

手塚光盛①

手塚光盛①

長野県諏訪郡下諏訪町上久保

瑞光寺

瑞光寺

義仲の守本尊だと言われる秘仏がある。旭観音堂の中にある。また義仲と武田信玄の位牌二基が安置されているという。

長野県辰野町大字横川 門前

千野

千野

千野太郎光弘・大夫光家・七郎光重の名

長野県茅野市(諏訪郡千野)

諏訪神党。千野太郎光弘は樋口兼光のもとで活躍し、最後の戦まで同行した。大夫光家・七郎光重の名も見える。
駒形城跡は茅野城ともいい、千野氏の山城という。

駒王丸産神

駒王丸産神

義仲の産神を勧請したと伝えられ、横川田中に社があった。

長野県塩尻市大字贄川

瀬戸城

瀬戸城

義仲の隠れ城・一夜城跡と呼ばれる城跡。
岩尾山~瀬戸山1000mにわたって城跡が残る。
横川山の瀬戸沢を登ると瀬戸沢山と岩尾沢山の峰の合わさる楡沢山(1760メートル)となる。筑摩・諏訪・伊那方面の展望がよくきき、山頂を取り囲むように三条の空堀の跡が残る。また土塁や平地もみられる。
横川の谷から諏訪にかけて、「瀬戸沢下流の千淵から拾い上げられた義仲の護本尊が瑞光寺の朝日観音にまつられている」「瑞光

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旧御射山遺跡 御射山祭

旧御射山遺跡 御射山祭

諏訪大社の御射山神事が行われた場所。現在の霧が峰山中に信濃の武士だけでなく、各地の武将が集まり、神事の後武技を競った。旧御射山社前にその競技場跡があり土壇の桟敷跡が残っている。

長野県諏訪市大字四賀

梶原塚

梶原塚

梶原景時ゆかりの塚。義仲亡き後、梶原景時の働きで御家人となった諏訪神党は、景時の死後宝剣を埋め塚を作って冥福を祈ったという伝承がある。

長野県諏訪郡下諏訪町菅野町
(JR下諏訪駅0・3㎞5分)

山王台

山王台

手塚光盛の居城・霞が城があった場所。現在は金刺盛澄の像がある。

(JR下諏訪駅0・7㎞10分)

諏訪大社下社

諏訪大社下社

義仲とゆかりが深い神社。大祝・金刺盛澄は義仲を婿にして軍事的宗教的に支援した。

諏訪大社下社大祝金刺盛澄は「諏訪大明神画詞」によると義仲を婿とし、後見していた。御射山祭神事のため途中で軍を離れた。諏訪大社は平安末期に書かれた「梁塵秘抄」で関より東の軍神の3つとして歌われている。そのほか諏訪次郎が横田河原合戦・倶利伽羅合戦、諏訪三郎が倶利伽羅合戦に名がみえる。

義仲が諏訪大社下社大祝・金刺盛澄の

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鎌倉街道ロマンの道

鎌倉街道ロマンの道

鎌倉時代の伝説や物語、民間信仰などを結んだ観光遊歩道。

長野県諏訪郡下諏訪町小湯の上
(JR下諏訪駅0・9㎞12分)

桜城

桜城

金刺盛澄居館に付属する砦。諏訪神党の拠点の一つ。

(JR下諏訪駅1・5㎞19分)

唐糸万寿供養塔

唐糸万寿供養塔

唐糸と義仲の娘・万寿の供養塔。諏訪湖を見下ろす美しい斜面にある。

義仲の妻と娘の伝承。義仲の妻の一人・唐糸は鎌倉に潜入し、義仲から与えられた短刀を身につけ頼朝を討つ機会を窺っていたが、見つけられて捕らえられた。娘の万寿が唐糸を助けるために素性を隠して頼朝の館に仕え、舞をきっかけに母を助け出す事に成功したという。二人を祀る五輪塔が諏訪湖を望む斜面にある。

長野県諏訪郡下諏訪町小湯の上
(JR下諏

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山吹城

山吹城

金刺氏の隠し城と伝えられる山城。水上公園に続く山手にある。

長野県諏訪郡下諏訪町東町中
(JR下諏訪駅2・9㎞37分)