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伝承の館(狭山編)

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入間川原

入間川原

義仲の子・清水義高が1185年に鎌倉から信濃へ落ち延びる際、捕えられ討ち取られたと伝えられる場所。

埼玉県狭山市入間川3丁目
(西武新宿線狭山市駅0・9㎞10分)

影隠地蔵

影隠地蔵

清水義高ゆかりの石地蔵。
「新編武蔵風土記稿」によれば、奥州道の入り口に地蔵堂があり、木造の地蔵が安置されていたという。その後、上広瀬の正覚院(現在は廃寺)入口付近にあったが、明治時代頃には元の地蔵堂の位置に戻されたといわれている。いつから石地蔵になったかは不明。「清水義高が追手から逃れる時に地蔵の影に身を隠した」等の伝承が残されている。

(西武新宿線狭山市駅2・1㎞25分)

清水八幡神社

清水八幡神社

義仲の子・清水義高を祀った神社。
「八幡神社縁起」によると、入間河原で討たれた清水義高は、首級を頼朝の実検に供えられた後、鎌倉の常楽寺に葬られた。入間河原においては墳墓を築き身体をおさめ、槻の木を植えて標とした。
その後北条政子によって、廟所が祠となり「清水の八幡」として入間河原の近隣鎮護の神として祀られた。政子は追悼の法要を行ったり、神田地を寄付する等したが、応永9年(1402)の入間川増水によ

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