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伝承の館(新潟編)

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比丘尼飯屋

比丘尼飯屋

巴が鉱脈を発見したと伝えられる場所。白馬岳登山道(鉱山道)の途中にある。

新潟県糸魚川市雪倉岳

樋口の末裔の村(辰ノ口村)

樋口兼光の末裔だという一族が住んでいる村。集落はもと峠の山腹字芹場にあって、鎮守の十二社もあり、十二屋敷の地名が残る。

新潟県中魚沼郡津南町三箇甲

今井村

今井村

今井四郎兼平が当地に移り住み、その後裔が今井姓を名乗り、村に今井氏が多くいるため、幕末に今井村と改めた。

新潟県長岡市今井町

朝日神社(新潟県長岡市)

朝日神社(新潟県長岡市)

今井兼平の末裔が神官をつとめる神社。口碑によると、当初は籠田大明神と称し、現在地にうつって剣神社と改称した。1866年に現社名となった。朝日原台地に、南北に深く入込んでいる沢は権ヶ沢と称し、権の長者または朝日長者の伝説が残る。

新潟県長岡市朝日

月潟

義仲の家臣の後裔・木曾太右衛門が1592~96年ごろに開いた、鶴瀬あるいは鶴寄と称した村。庄屋は木曾太右衛門の子孫が曾山姓を称して世襲したという。

新潟県新潟市南区月潟

城氏の里

新潟県妙高市大字桶海

八幡神社(糸魚川市)

八幡神社(糸魚川市)

義仲が戦勝を祈願して鏑矢一筋と朱丸の鉄扇を奉納したと伝えられる。近くに今井城がある。

新潟県糸魚川市大字西中1327

今井城跡

今井城跡

今井兼平の城。信濃川の右岸。北に突出した船首形の河岸段丘先端にある。真下に善光寺道が走る。東は信濃川の支流大門川による約150メートルの渓谷、西は小屋番沢の断崖に挟まれた天然の要害。

新潟県中魚沼郡津南町大字上郷大井平

今井城(新潟県糸魚川市)

今井城(新潟県糸魚川市)

今井四郎兼平の城。姫川左岸、標高241メートルの城山山頂にある。姫川を渡河する北陸道と信濃国へ通じる今井通を一望できる。山頂平地は東西15メートル・南北33メートル。北・東・南に曲輪がめぐる。城跡のふもとに八幡社があり、拝殿東隣の御山南端に奥社、その背後の北にもとの奥社跡と伝える地がある。もとの奥社跡を北から東にかけて帯曲輪がめぐらされている。今井城の見張所、あるいは砦とみられている。里伝によると

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長永寺

義仲の末孫木曾左馬頭は信濃国西条郷西条山の城主だったが、出家して名を了珍と改め、1501年に西条山長永寺を開いた。1607年蔵王に移ったが、代々仕えてきた安井・太田・渡辺・猪俣・大宮の諸氏ら37名がつき従ってきたという。元和年間(1615~24)に現在地に移った。

新潟県長岡市渡里町1−2

巴御前の墓石

巴御前の墓石

巴御前の墓石と呼ばれる宝篋印塔がある。高田城の築城の際掘り出されたもの。この一帯は「友松」と呼ばれている地域で、義仲が討死した後巴が尼となって移り住んだという。

新潟県上越市東城町3丁目

おはじょう屋敷

おはじょう屋敷

おはじょうは御巴寮と書き、巴御前の屋敷という意味。口伝えられる間に言いやすく「おはじょう」に変わったという。付近の十三仏塚も巴御前に関わるものではないかと推測されている。

新潟県魚沼市江口

朝日寺

朝日寺

巴が建立した寺。朝日神社と共に存在し、巴の鉄鉢を所蔵するという。この地も「友松」と言われていた地域。
「巴御前は信濃に帰り、一寺を建立して義仲の冥福を祈つた。義仲全盛時代の朝日将軍の昔を偲んで朝日寺と名づけたという。巴御前はその後追求をのがれて越後来迎寺巴ヶ岡に住んだ」と伝えられる。
地名の朝日は朝日将軍に由来するという。
しかし、朝日寺の檀家では「山吹御前が義仲の子を妊娠したまま郷の先祖・仲重守

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五社神社・巴御前の墓

五社神社・巴御前の墓

巴御前の墓という五輪塔がある。この一帯は「友松」と呼ばれている地域で、義仲が討死した後巴が尼となって移り住んだという。

新潟県上越市大字岡原