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伝承の館(岐阜編)

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2021年1月の記事一覧

落合

落合

落合五郎兼行

岐阜県中津川市落合(美濃国恵那郡落合)

落合兼行は中原兼遠の子とも滋野一族ともいわれている。義仲の重臣の一人。横田河原合戦・倶利伽羅合戦に名がみえる。義仲死後、南木曽町三留野で頼朝軍と戦ったという伝承がある。

落合五郎の本拠地が中津川市か佐久市か、明確な史料はないが、伝承残存状況から、ひとまず中津川市を本拠地として表示する。

■関連伝承地

〇中津川市 落合五郎兼行神社
中津

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義仲の城跡

義仲の城跡

義仲の砦だという説がある。平家追討のため木曾福島から益田筋通過の際登ったという。

岐阜県高山市久々野町小屋名

小山観音

小山観音

義仲が生母・若名御前の菩提のために創建したという伝説がある。

岐阜県美濃加茂市下米田町小山

乗鞍本宮

乗鞍本宮

義仲の臣が1181(養和元)年、飛騨国観察のため乗鞍岳に登山した際、社殿を創建し黄金の神像を奉ったという。鞍が嶺神社があったという。

岐阜県高山市丹生川町岩井谷字乗鞍岳1224番地

一位ノ森八幡神社(いちいのもり)

一位ノ森八幡神社(いちいのもり)

義仲が1181(養和元)年正月に飛騨国へ観察にきた際、源家の氏神八幡大神を勧請鎮祭し、愛用の鉾・太刀等を奉納したという。社宝に仏像四体その他多数があり、区内には義仲及び木曽家に関する幕の原、駒懸岩、長峰古戦場の遺跡がある。

岐阜県高山市高根町日和田字中村垣内821番地

千村氏

千村氏

義仲の子孫・千村氏は、慶長6年徳川幕府より4400石を与えられて当地に屋敷を構えた。その後幕府と尾張藩に並行して所属し、明治5年千村姓を木曾姓と改めた。千村氏の屋敷は郭・外壕をもち門前に家中屋敷11戸ほどが並ぶ。

岐阜県可児市

縣神社(あがたじんじゃ)

縣神社(あがたじんじゃ)

義仲の子孫ゆかりの神社。1654(承応3)年村人達が当地の豪族西部義久を慕って建てたもの。西部氏は義仲7代の孫、木曽又太郎家村の代に西部と姓を改めたという。西部家3代の家頼の時後醍醐天皇に仕えて建武中興に軍功があり、義久の父伊勢茂昌は、武田信玄に仕え、武田勝頼死後は農州に入り、織田信秀に仕え、その後秀吉に追われ、美濃國に退き、義久父子は曽代に住みついたという。

岐阜県美濃市曽代287番地の1

白山神社(岐阜県高山市)

白山神社(岐阜県高山市)

義仲の遺子と残党が1190~99年ごろ当地に来住して加賀国白山大神及び信濃国木曽御岳大神を勧請奉祀したという。

岐阜県高山市丹生川町北方1745番地

白山神社(岐阜県郡上市)

白山神社(岐阜県郡上市)

義仲が戦死した後、今井兼平の老臣・清水嘉藤治が逃れ来て庵を結んで主家の冥福を祈りつつ狩猟を業としていたという。ある日猟に出て深山に入ると熊の群れに遭遇し襲われそうになった。そのとき兜神として肌身離さずもっていた守護神を一心に祈念すると、その威力で不思議にも熊は退散して危害を免れたという。清水嘉藤治は山を下りてこの奇異な霊験を村民に語り、祠を庵室の傍らに建立したという。その後も屡々種々の奇瑞があり村

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八幡神社(岐阜県下呂市)

八幡神社(岐阜県下呂市)

今井兼平の長男・貞信の末裔(今井次良左ェ門忠親)が元和6年に創建した神社。義仲亡き後、貞信は宮田村に来住したという。その後23代忠親が祖先兼平貞信の守神と崇むる八幡宮を今井の宅跡に勧請し、今井八幡宮と称したという。この時宮田組白山社も共に奉祀したという。

岐阜県下呂市萩原町奥田洞86番地

木曽神社

木曽神社

義仲が平治年間に守本尊の歓喜天をまつり祈願所を建てたという。義仲寺から宝聚院と改称したのち、明治の神仏分離令で「木曽神社」となった。木曾大明神として義仲が祀られている。
境内に義仲の娘・糸姫の手植えの桜があったという。糸姫は病気にかかり神仏に祈ったところ無事に治り、富山まで御礼詣に出かけた。その際持ち帰った桜だという。

岐阜県大垣市上石津町牧田1070

今井の子孫

今井兼平の子孫が落延びて住み着き、家名の一字をつけたという。

岐阜県高山市国府町今

今井兼平の子孫の村

今井兼平の子孫の村

今井四郎兼平の一族が逃れ来たのが村の始まりという。的場・馬乗などの地名が残る。字天ヶ峰にある諏訪神社には毎年10月15日前後に行われる祭礼があり、県指定重要無形民俗文化財の小木棒の手が奉納される。今井一族が農民に教えた武芸が芸能化したと伝え、真剣も使用される。

岐阜県多治見市諏訪町

坂下神社

坂下神社

義仲が京都へ出陣する際に勝利を祈願し、それから花馬祭が始まったと伝えられる。1161(寛文元)年に火災があり、同年に再建された。その後伊勢湾台風でも倒壊し、1960(昭和35)年に再建された。

〇花馬祭

10月第2日曜日に行われる祭り。当日は3組から1頭ずつの花で飾られた花馬が出る。

義仲が京都へ出陣する際に勝利を祈願するため坂下神社に向かったが、木曽川の大水のため対岸に渡ることができず、願

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