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義仲戦記

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第1期(本編) 2022年3月27日より、毎日20:30に更新!5月19日に完結しました。 第2期(外伝) 2022年8月14日より不定期更新しています。 源平盛衰記と玉葉をベ… もっと読む
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2022年4月の記事一覧

義仲戦記7「義高の覚悟」1183年3月

義仲戦記7「義高の覚悟」1183年3月

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二人は陣幕を潜り、本陣を出た。自分達の宿所に戻る為である。
本陣から少し離れた処まで来た時、そこに少年が一人、松明の灯りの横で二人を待っていた。
二人が近付くと、その少年は土下座し、

「僕!いや!私も、
連れて行って下さい!鎌倉へ・・・
義高さまと一緒に!
お願いします!義仲様!」

いきなり言われて二人は驚き、顔を見合わせた。この二人の親子は、義仲とその嫡子義高であ

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義仲戦記8「燧ケ城合戦」1183年4月

義仲戦記8「燧ケ城合戦」1183年4月

「嘘だろ・・・
 そんな筈が・・・何故?・・」

誰かが呟いた。

稲津新介実澄、斎藤太
[越前の武将]
林六郎光明、富樫入道仏誓
[加賀の武将]
宮崎長康、石黒光弘[越中の武将]
仁科次郎盛家、落合五郎兼行
[信濃の武将]
ら北陸と信濃の武将達は
今、目の前で起きている事が理解出来無かった。茫然としていたのである。

だが、これは戦さなのだ。
何もしないで放心している暇など無い。しかし彼等は、そ

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義仲戦記10「安宅合戦②」1183年5月

義仲戦記10「安宅合戦②」1183年5月

矢を射た後、素速く次の矢を箙[えびら。矢を収める道具]から抜き取りながら、周りを見回した時、味方の武将が敵の矢に射られたのが見えた。

「!」

思わず目を見開き、

「宮崎どの!」

稲津新介実澄[越前の武将]は悲鳴に近い声をあげた。
宮崎長康[越中の武将]が落馬したのだ。
敵の集中攻撃を受けて。
稲津新介は、急ぎ宮崎の許へ馬を近付け、馬を降り、宮崎のところへ駆け寄ると、

「私に構うな・・・新

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義仲戦記11「北陸義仲出陣」1183年5月

義仲戦記11「北陸義仲出陣」1183年5月

「義仲。いよいよ出陣するのか」

宮様[北陸宮。以仁王の御子]が、静かに尋ねた。

「はい。征って参ります」
源義仲も静かに、そして穏やかに答えた。
和やかな雰囲気の中で。

しかし、義仲が纏っているのは緋色の匂い威の大鎧[鎧の上の段に行く程、色が濃くなるデザイン。明るい赤から濃い深紅のグラデーション]。
戦備えの格好である。
だが、出陣前の張り詰めた緊張感、などはどこにも無かった。

ここは越後

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義仲戦記12「般若野の戦い」1183年5月

義仲戦記12「般若野の戦い」1183年5月

「そろそろ義仲が自ら本隊を率い出て来るだろう。
だが義仲勢はおそらく全軍で四、五万騎の筈だ。
我ら平氏方の十万騎の約半分、というところだな」

平氏方追討軍の大将軍平忠度が言った。

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加賀国[石川県]金沢の犀川の河畔。
平氏方追討軍十万騎の軍勢は、燧ケ城の戦いに始まる半月に及ぶ北陸勢との戦いにおいて、連戦連勝。しかも、そ

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義仲戦記13「倶利伽羅合戦①」1183年6月

義仲戦記13「倶利伽羅合戦①」1183年6月

「敵の義仲勢は戦意が高く勇猛でしたが、やはり我らより兵の数が少ないと思われます。
敵方の先頭部隊は、我らを全滅するつもりで追撃を掛けて来ました。これは少しでも兵力差を縮め、我ら平氏方の兵を減らそうとする行為に間違い無いと思われるためです。」

越中前司平盛俊[平氏の家人]が、そう報告すると、

「ふむ。忠度どの[清盛の末の弟]の予測していた通り、やはり義仲勢は全軍で四、五万騎、と言うところだろうな

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義仲戦記14「倶利伽羅合戦②」1183年6月

義仲戦記14「倶利伽羅合戦②」1183年6月

「敵義仲勢の先頭部隊を発見しました!
この先の羽丹生に白い旗が!
おそらく陣を構えているものと思われます!」

郎等の報告を受けた平氏方追討軍大手の総大将平維盛が、馬上から進行方向に目をやると、確かにこれから向かいつつある方向に源氏を示す白い旗が三十本程立っていて、風に翻っているのが見えた。

「義仲勢も砥波山系に入って来たいたのか」

呟く様に総大将維盛が言うと、

「敵義仲勢の先頭部隊の後方や

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義仲戦記15「倶利伽羅合戦③」

義仲戦記15「倶利伽羅合戦③」

「はっ?・・・えっ?」

「いや・・あの・・もう一度、言って下さい」

石黒光弘と宮崎長康が訊き返した。

石黒などは耳に手を当てて義仲の言葉を聴き逃すまい、としている。
そんな二人を面白そうに見ていた義仲が、先程と同じ言葉を繰り返した。

「精強な兵を十五騎集めてくれ」

と。

「・・・・・」
「・・たった・・十五騎で・・一体、何を・・」

石黒が絶句し、宮崎が辛うじて訊き返した時、

「義仲

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義仲戦記16「倶利伽羅合戦④」

義仲戦記16「倶利伽羅合戦④」

先程までの勝利の歓喜による喧騒が嘘の様に、静まり返った義仲勢本陣にあって、最初に発言したのは、やはり義仲その人であった。

「他に報告は?」
と。
動じずに。普段通り穏やかに。

「はい!有ります!
第一軍大将落合兼行どのからは、行家どのは討たせません!
第一軍、第二軍の総力を持って志雄山方面の戦線は維持させてみせます!と!」

郎等が続けて報告した。

「そうか。御苦労だった」

義仲は伝令の郎

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義仲戦記17「篠原合戦」

義仲戦記17「篠原合戦」

実に立派な馬であった。

正に竜蹄[りょうてい。極めて優れた馬の事]と形容するのに相応しい陸奥産の駿馬である。

「陸奥の藤原秀衡どのより、戦勝を祝って義仲様に駿馬を献上する、との事です」
四天王筆頭、樋口兼光が報告した。

義仲勢約五万騎の軍勢は、砥浪山方面倶利伽羅峠で、平氏方追討軍大手の軍勢に大勝利、その直後、志雄山方面で平氏方追討軍搦手の軍勢にも勝利した。実に般若野、倶利伽羅、志雄と三つの会

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義仲戦記18「篠原合戦②」

義仲戦記18「篠原合戦②」

「この度の我ら追討軍の目的は、源氏を担いで叛乱を起こした叛徒共の掃討にあり、第一の標的は北陸、東山両道での叛徒の首魁源義仲の討伐!
第二の標的は関東、東海両道での叛徒の首魁源頼朝の討伐にあった!」

平氏方追討軍の大将軍であり、この軍勢の副将である平忠度が、平氏方の主だった武将達に訓辞していた。

「だが!残念ながら我が追討軍の現在の状況では遠く関東、東海へ長駆し第二の標的である頼朝を討つ、という

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義仲戦記19「篠原合戦③」

義仲戦記19「篠原合戦③」

「おおおおおーーー!!!」

地鳴りの様な重低音が轟いた。
まるで大地が揺れているかの様に勘違いしそうな程。

敵方の鬨の声である。
だが、敵が接近している事は郎等の報告で判っていた事であったので、慌てずに、

「畠山庄司重能!小山田別当有重[重能の弟]!三〇〇騎を率いて出撃しろ!義仲勢の出鼻を挫いてやれ!」

平氏方追討軍副将平忠度が命令した。

「はっ!先陣の大役とは光栄です!有り難う御座いま

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義仲戦記20「実盛死す!」

義仲戦記20「実盛死す!」

彼は馬上から、戦さの様子を見ていた。
彼はそんな自分が大好きである。
戦場をある程度見渡せる場所で戦いを見ていたが、今はどうやら味方が押されている。
勢いが無くなって来た。
と、ここまで考えて小さく溜息をつく。

(やはり味方は負けそうじゃのう)

今日は朝から源平両軍が激突した。
源氏にとってはどうか知らぬが、平家にとってはこの戦さ、勝たなければ北陸戦線の最後の戦いになるであろう事は間違い無い。

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義仲戦記21「山門調牒①」

義仲戦記21「山門調牒①」

六月一日。
この日、北陸加賀国[石川県]篠原の地に於いて十万騎を擁した平氏方追討軍は壊滅した。
しかし同日、運命の巡り合わせとは皮肉な事に、都ではこの追討軍の勝利を祈願する為、各地の有力寺社に戦勝祈願の使いを出す事が決定。

二日後の六月三日。
平大納言時忠[清盛の妻、時子の兄]を奉幣使として、伊勢・八幡・賀茂・松尾・平野・春日・住吉・日吉・祇園・北野の十社に遣わしたのである。

この時点で北陸で

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