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義仲戦記1「市原合戦」1180年9月


彼は自分に課していた。

決して自分からは攻めない事を。
そしてそれが楽な道では無い事も知っていた。

後手に回る事の不利を。


しかし知力を働かせ、準備を怠らなければ、主導権を取れる事も知っていた。だから彼の戦いは常に受け身であった。可能な限り戦さを避けたかったのである。
彼はそれが、正しい、と思ってやっていた訳ではない。彼はそうする事を選んだ。

だが、選んだ、と言うよりも彼はそうしたかったのである。一言で言えば、それが彼の遣り方であった。


彼、とは後の大将軍源義仲、その人である。



「義仲様。聞き捨てならぬ報告が入りました。笠原頼直[平氏方の信濃の豪族]が都から戻って来ている、と」

樋口次郎兼光[中原兼遠の子、四天王の一人]が、そう報告した。

「そうか。では間違い無く北信濃[長野県北部]辺りで戦さが始まるな。近いうちに」

義仲が応じた。
今井四郎兼平[樋口次郎兼光の弟、四天王の一人]が、

「笠原頼直の最終的な狙いは、義仲様。貴方です」

言い切った。兼光がそれを受け、

「たとえ義仲様に敵対するつもりが無くても、笠原は平氏と自分の勢力を拡大させる為に、必ず攻め掛けて来ます」

言い切った。兄弟で。

 木曽谷にある義仲の館、その傍らにある八幡宮に、樋口次郎兼光・今井四郎兼平、そしてが秘密裡に集められていた。3人は共に育った中原兼遠の子である。
 時は治承4年、7月が終わろうとしている。


 事の起こりは二カ月前。以仁王[後白河法皇の皇子]と源頼政[摂津源氏]が、都で平氏打倒の兵を挙げた事に始まる。以仁王はそれ以前に、平氏打倒の令旨[親王の命令書]を東国の源氏に配布していたが、各地の源氏がこれに応じる間も無く、以仁王と源頼政は宇治の合戦で平氏方に敗れ、二人は討ち取られ、この事件は一応の決着をみた。だがその余波が関東や東国にも及んでいたのである。
 以仁王と頼政が挙兵し、宇治で平氏方と戦さになった時、この平氏方の武士の中に笠原頼直がいた。平氏方はこの戦さで以仁王を討ち取り、源頼政、嫡子仲綱らを自害に追い込んで勝ったが、この自害した者の中に頼政が養子にしていた仲家、その子仲光という親子がいた。この仲家という武将が…義仲の実の兄なのであった。
 反平氏の行動に出た頼政、それに従った養子仲家、その実の弟義仲…なので義仲はアヤしい、だから義仲をヤっちまえ。と、そういう事になってしまったのである。そこで笠原頼直が宇治の合戦の直後に、信濃に戻って来た。義仲はこの事件に関係していた訳では無い。だが、令旨は受け取っていた以上、完全に無関係では無い。とにかく笠原頼直がヤる気になっている以上、このまま何もしない、という訳にはいかなかった。

「では、こちらもそれなりの対応と準備をしておこう」
と義仲。
「それなりの対応と準備、ですか?」
兼光が訝しげに訊くと、義仲は、
「挙兵する」
静かに宣言した。
「遂に」
兼光は眼を見開き呟く。

「では落合五郎兼行[兼光、兼平の弟]、
滋野佐久党の根井小弥太[根井大弥太行親の子、四天王の一人]、
楯六郎親忠[小弥太の弟、四天王の一人]、
滋野党の海野幸広、小室光兼、
諏訪神党下社の手塚太郎光盛、上社の千野太郎光広、
信濃源氏の長瀬判官代、岡田親義らに連絡を取ります」

兼平が言うと、義仲は頷き、

「それで良い。ただ何があっても騒ぎは起こすな。これからは時間との勝負だ。笠原頼直が戦さを起こす前に、こちらは態勢を整え、足並みを揃えておく。それから、北信濃の栗田、村山両氏にも連絡を取っておいてくれ。それでは行くぞ。兼光、兼平」

「はっ!」「はっ!」
兼光、兼平は同時に応えた。

『ここから、いろんなことがはじまる…!』

巴は怖れとも慶びとも説明のつかない高揚感で胸を高鳴らせていた。
なにより、義仲が自分たち兄弟だけの前で決意したことが嬉しかった。

『死ぬときまで一緒』

幼い日の淡い記憶の中の言葉がよみがえる。
木曽谷だけが自分たちの世界のすべてだった。
自分たちしかいなかった。
あのころの無邪気な全能感。

義仲もあの時の世界を、こころの真ん中に置いていてくれたのだ。

『この人のために死ねる』

巴だけでなく、兼平も兼光も、想い一つ。
4人は八幡宮に祈願し、義仲が植えた元服の欅を眺めた。
「すっかり我々の背丈を越えてしまいましたね」
兼光が言う。
幼名・駒王丸から名を改め、自らの館を構えた紅顔の義仲を思い出しながら。
「次にここに来るときは、もっと立派になっているはずだ。」
兼平が言う。
「欅が?義仲様が?」

「もちろん、どっちもだ!」
義仲と兼光と兼平三人は同時に巴の問いに答えた。
あまりにピッタリすぎて顔を見合わせて笑いあった。

これが木曽義仲の真の旗挙げであった。



 そのあとの義仲の動きは速かった。電撃作戦と言って良い。
 義仲は、今現在の味方全てを動員し、御牧[国営の馬の牧場]の確保、信濃国府[長野県松本市]の占領、木曽桟[かけはし。長野県木曽郡上松町]を落とし東山道の交通と情報の遮断。この全てを同時に迅速に、そして秘密に行なった。

 木曽桟を落とした事により、当分の間は信濃の情報は都へ届かない。という事は敵の対応が遅れる事を意味する。取り敢えず主導権を取れた。これで都の平氏は動けない。笠原は自分の手勢だけで勝負しなくてはならなくなった。義仲の無駄の無い鮮やかな一連の行動であった。
 その後、国府[長野県松本市]は今井兼平に任せ、義仲は依田城[長野県上田市]に移動し、状況の変化を待っていた。全ての準備は完了したのである。

「先ず、この儂が北信濃を獲る!そして次の戦さで義仲を挙兵する前に討つ!そうすればこの信濃は我ら平氏方のモンになるンじゃ!行くぞ!」
「おおーーーっ!」
 随分甘い見通しで、これからの事を夢見るこの武将。彼が御歳五二才になる平氏の家人、笠原頼直であった。頼直は今年、三度の戦さをする予定である。
 第一戦、宇治の合戦。これは既に勝利に終わった。
 第二戦、北信濃奪取の戦さ。つまり今この戦さ。
 第三戦、勢いを駆って挙兵前の義仲追討。と。
 頭の中だけの勝利のスケジュールは完璧であった。だが義仲は既に挙兵しているのである。なので頼直はこの事実を知らないで浮かれているのであった。だがこれは当然と言えば当然の事であろう。挙兵する、という事はどこかで戦さを仕掛けるか、戦さにならずとも騒動にはなるのである。それを知って初めて、誰々が挙兵した、という事になるのだ。なので義仲のような無血挙兵?秘密挙兵?電撃挙兵?などというマネは、これまでやった者はいなかったのである。ともあれ頼直としては、今、この戦さに集中していた。

「いいか!この戦さは今日一日でケリを着ける!狙うは栗田寺別当範覚![善光寺を中心とする武士団の長]村上義直![信濃源氏]の二つの首だけじゃ!ザコはかまうな!行けーーー!」
約一千騎の笠原勢は、善光寺付近に布陣している栗田、村上連合軍その数約七〇〇騎に突撃して行った。

「意外に多いな。笠原勢は」
馬上で呟いたのは栗田寺別当範覚。続けて、
「村山義直どの。こうして敵を見ると、士気が高い。早く決着をつける気らしいな」
横に同じく馬上にいる村山義直に声をかけた。
「そうですな。では手筈通り、義仲様に伝令を送るとしよう」
義直が答えた。
「私の方からは依田城に居る義仲様へ。義直どのの方からは国府に居る兼平どのへ伝令を送って下さい」
と範覚。
「判りました。しかしこの戦さは、退きながら戦う戦さです。決して前に撃って出てはなりませんぞ。範覚どの。では!」
義直は言いつつ、自分の陣に戻って行った。範覚はそれを見送りながら、
(前に出るな、か。少しやっかいな事になりそうだ)
と感じていた。とにかく援軍要請の伝令を送り、開戦にそなえていると、

「父上!この陣構えでは受けにまわってしまいます!何故、こちらから撃って出ないのですか!」
と、大声をあげ、馬を駆けさせて来る者がいる。
(やはり文句を言いに来おった・・・)

範覚は頭を抱え、文句を言いに来た者を見た。大鎧を纏った武将である。
「父上!どういうつもりなのですか!」
と、まだ文句を言い足りないらしい。範覚は溜め息混じりに、
「葵。お前はまだそんな事を」
「笠原ごとき、我が栗田勢と村山勢だけで勝つ事が出来ます!義仲どのの援軍など必要ありません!それなのに戦う前から援軍の要請なんて!父上はそんなに自信がないのですか!それともそんなに私が頼り無いですか!」
葵と呼ばれた武将はいきり立っていた。
 この武将、栗田寺別当範覚の娘で、葵という名の女武者であった。美しい女武者である。眼は切れ長で大人しくしていればクールビューティーで通るが、この葵御前、やたらとアクティブで勝気な女武者なのである。なので、今回の作戦を聞かされた時から、彼女のご機嫌は斜めであった。

「納得出来ません!」
まだ言っている。文句を。そんな女武者の葵を見る度に、
(私ゃ、娘の育て方を間違えたかなぁ・・・)
などと範覚は少し落ち込むが、何であれ可愛い娘である。どうしても厳しくはなれない範覚であった。それに、娘にツッ込まれて落ち込む父親、という自分が好きな範覚でもある。要するに娘に甘い父親なのであった。が、ここは戦場なのである。範覚は心を鬼にして、
「葵!惣領[トップ]の言う事に従わん奴は、戦場にはいらん!後方で戦さを見ておれ!」
叱りつけた。
「父上!その言い方は!」
「いいか!絶対に葵を前に出してはならんぞ!」
更にいきり立つ葵を、郎等らに命じて下がらせた範覚だが、
(少し言い過ぎたかな。私ゃ)
と、やはり娘に甘い範覚父さんであった。
 ともあれ、戦さが始まってみると、数で勝り、士気が高い笠原勢は、戦況を有利に展開していた。栗田村山連合軍は退きながら戦う、という作戦だったが、この作戦が無くてもそういう展開になっていただろう。何せ笠原勢は、一日で決着をつけるつもりで攻め立てているのである。とにかく時間を稼がなければならない栗田範覚と村山義直は、この退却戦ともいうべき戦いを、ひたすら耐え粘り強く戦っていた。じりじりと退きながら。

「これより出陣する。出撃にあたり我が軍勢を七つに分ける」
義仲の指示が飛ぶ。
 先程、援軍要請の伝令が依田城に到着した。既に出撃の態勢を整えていた義仲勢である。後は総大将の義仲の指示を待つだけであった。義仲は続けた。
「第一軍、大将根井小弥太。
小弥太は戦場に着き次第、笠原勢へ突撃。

第二軍、大将楯親忠。
楯は途中でこの軍勢から別れ、国府から来る第七軍の今井兼平と合流。その後の指示は兼平に従ってくれ。

第三軍、大将は樋口兼光。
この三軍に総大将として私。それから巴が加わり本隊とする。三軍は戦場に着き次第、栗田殿、村山殿を護る。

第四軍、大将海野幸広。
第五軍、大将手塚光盛。
四軍、五軍は戦場で私の指示を待っていてくれ。

第六軍、大将小室光兼。
六軍は戦闘に参加せず、この依田城に何かあったらすぐに引き返してくれ。

第七軍、大将今井兼平。
七軍は落合兼行と千野光広を従え、今頃もう国府を出陣している事だろう。
国府の後詰めは根井大弥太行親[小弥太、楯の父]殿に任せてある。
依田城の後詰めは長瀬殿、岡田殿、両氏に任せた。以上だ。では出陣する」

「おおーーーーーーーーっ!!!」
ここに源義仲と、その麾下の武将達は歴史の表舞台に躍り出る事になるのである。


「このままではラチがあかん!」
「このままではラチがあかないわ!」
同じ戦場だが、別の場所で同時にこう言ったのは偶然にも、攻め込んでいる笠原頼直と、攻め込まれている葵御前であった。
 戦闘が始まってからもう大分時間が経っている。葵御前としては撃って出たいのに出れないのでイラついていたが、笠原頼直にしてみれば攻めているのに攻め切れていないのである。こちらの方が深刻だ。頼直は余りに消極的な栗田村山勢の戦いぶりを、何か変じゃな、とは思いつつも兵の数が少ないゆえの戦術だと思っていた。だがいつまでも付き合ってはいられない以上、軍勢を再編する事にした。

「いいか!一塊りになるんじゃ!敵の本陣に攻撃をかける!先ずは栗田範覚の首をあげるぞ!その後に村山義直の首を取る!行くぞ!かかれーーーーっ!」
頼直はここで勝負に出た。笠原勢は全軍で、栗田勢の本陣に突撃して来たのである。それを見た栗田勢の中から、一隊が飛び出した。

「待て!出るな!葵!戻れ!戻るんだ!」
範覚が叫んだ。笠原勢の突撃につられて飛び出したのは葵御前とその郎等らであった。葵は馬を駆けさせながら、
「敵がわざわざこちらへ来てくれているのよ!これは頼直を討ち取る好機だわ!逆にこちらが大将首をあげて決着をつけてやる!」
叫び、笠原勢に向かい撃って出た。それを見た範覚は一瞬迷った。が、
(義仲様。村山どの。すまん。私は娘を見殺しにする事は出来ん!)
即座に決断した。そして、

「葵に続け!全軍撃って出る!突撃ーーーー!」

範覚は栗田勢に号令をかけ、葵に続き撃って出た。これに一番驚いたのは村山義直であった。
(範覚どの!あれ程こちらから撃って出てはいかん、と言っておいたのに!)
義直は一瞬思ったが、
(だが栗田勢だけでは兵も少なく、敵に囲まれたらひとたまりも無い!そうなれば次は我ら村山勢も同じ事になり、この戦さ、敗けてしまう!ならば!)
決断は速かった。義直も。

「栗田勢に続け!我ら村山勢も撃って出る!行くぞ!」
ここに笠原VS栗田村山の戦さは、全軍での大乱戦になったのである。

 大乱戦となってから、両軍の兵らは戦場の周辺の事など気にしている暇は無かった。とにかく自分の周りだけを見て、かかって来る目の前の敵と戦うしか無いのである。勝利の為に。生き残る為に。これは将とて同じ事である。笠原頼直、栗田範覚、葵御前、村山義直も、目の前の敵と戦い、そして敵の大将目指して戦っていた。
 その時、頼直は乱戦の中で範覚の姿を捉えた。見逃さなかった。この乱戦では弓は使えない。頼直は太刀を構えて範覚へと突進した。
「範覚死ねェ!」
叫びながら範覚の背後から太刀を突き建てようとした。と。刀先が弾かれた。
「父上は討たせない!」
長刀で、頼直の太刀を弾いたのは葵であった。
「笠原頼直!覚悟しなさい!」
葵が叫ぶ。頼直はカッとなり、
「葵か!邪魔するな!」
叫びつつ太刀を、今度は葵に叩き込んだ。葵はそれを躱していたが、頼直は怒りに任せて振り回して来る。葵は長刀を振る間合いを奪われ押されてきた。と、
「!」
葵は左腕を突き刺された。と同時に今度は柄で打たれた。堪えきれず落馬した時、長刀を取り落としてしまった。葵が頼直を見上げた時、
「範覚に娘の首を見せてやれそうじゃ!」
逆光で眩しく、頼直の表情は見えない。が、薄ら笑いを浮かべているだろう事が葵には解った。その影が太刀を構え直し、こちらに切っ先を向けようとしていた。
「葵ーーーーっ!」
父の範覚の声を遠くに感じながら、葵は、

(こんな奴に殺されるの?私。巫山戯無いで!私はまだ戦える!こんな奴に殺されて堪るもんですか!)
強く思いつつ、脇差を引き抜いた時、影が動いた。自分に向かって太刀が突き出された。
(終わるの?私)
眩しかった。葵には永遠に感じた一瞬であった。
その時、突き出された太刀が跳ね飛んだ。と、葵と頼直の間に、太刀を抜いた見知らぬ武将が一騎いた。葵からは後ろ姿しか見えない。が、その武将が日射しを遮り、葵は色が判るようになった。その武将は、紫から紅、赤、緋色の匂威[鎧の上の段にいくほど色が濃くなるデザイン、ざっくり言うと紫から赤、橙のグラデーション]の鮮やかな大鎧を纏っていた。
葵はその時、茫然とその鮮やかな武将の後ろ姿を見ていた。と、もう一騎武将が現れ、
「栗田殿には兼光が。村山殿には巴が付きました」
と、鮮やかな武将に報告し、その横に付き、
「随分、威勢が良いな。笠原頼直?」
と余裕たっぷりに言った。
「やかましい!誰じゃ!お前!」
頼直は怒り心頭といった感じで怒鳴る。
「俺か?俺は滋野佐久党の根井小弥太。義仲様に仕える四天王の一人だ!」
「!!!何だと?義仲だぁ?フザけンな!」
目を見開き更に怒鳴る頼直。だが、その時鮮やかな武将が太刀を振り上げ、

「四軍!五軍!七軍!笠原勢に攻め掛かれ!」
叫んだ。と。
「おおおーーーーっ!!」
物凄い鬨の声が上がった。

焦った頼直が周りを見ると、この乱戦の周囲を軍勢が取り囲んでいた。その軍勢が進軍して来た。こちらに向かって。

(やべェ!囲まれてやがる!あっ。いけね!周り見て無かった!)

「退け!退けーーーーっ!」
頼直も決断は速い。当たり前だ。このままでは敗ける。それ以上に討たれてしまう。頼直は退け、とは言っているが、要は逃げ出したのであった。

(義仲のヤロウ!挙兵してたのかよ!聞ィて無ェよ!冗談じゃねェ!畜生!次は絶対ェ勝ってヤる!)

頼直は、そう心の中で愚痴りながら敗走して行く。一目散に逃げる、というのは今の笠原勢の事であった。その数は二〇〇騎以下に減っていた。



「深追いはするな!勝敗は決した!それより負傷者の救護にあたれ!」

鮮やかな武将が指示している。
葵はそれを見ていた。て言うかズーッと鮮やかな武将だけを見ている。いつの間にか勝っていたらしい。と言うよりも、援軍がいつ戦闘に加わっていたのかすら、判らなかったのである。
と、
「義仲様。娘を助けて下さり、有難う御座います。何とお礼を言って良いか・・・」

栗田範覚が、鮮やかな武将に頭を下げた。
(この方が源義仲さま・・・)
葵は、この鮮やかな武将が義仲だという事を今、知った。

「いや。それよりも我らの到着が少し遅れてしまっていた。寡兵で苦労しただろう。すまなかった」
と、義仲は範覚に詫びた。が、
「いえいえ!撃って出るなと言われていたのに、撃って出てしまったのは私の失態です!申し訳ありませんでした義仲様!」
範覚が、また頭を下げる。と、その時、

「いいえ!父上のせいではありません!私が指示を無視し撃って出てしまったのです!」
思わず葵が叫んでいた。

「もういいんだ。そんな事より傷の手当てが先だな。巴。この方の手当てを」
義仲が優しく言う。と、いつの間にか義仲の横に、美少女がいた。葵と同じく大鎧を纏っている。戦う美少女、巴御前である。巴は馬から降り、葵の傷口を見る。
「傷が深いわ」
呟くと、
「義仲様。善光寺にでも移動して治療した方がいいと思う。重傷の人も多いし」
巴は義仲に言うと、
「そうしよう。では負傷者を善光寺まで運ぶ!全員であたれ!」
義仲は、そう指示した。巴は葵に向き直り、
「ちょっと痛いかも。少し我慢してね」
言いつつ、サラシを葵の左腕の付け根と傷口に巻き付け、強く縛った。
「取り敢えずコレでいいと思うわ。馬に乗れる?」
「ええ。大丈夫よ。有難う。貴女が巴さま?」
葵が訊くと、巴は眩しいくらいの笑顔で、
「さま、はいらないよ。巴でいいわ」
「それでは、私も葵と呼んでくれる?」
「ええ。これからよろしくね。葵」
この二人の美少女と美女が話しているところを見ると、ここが戦場だという事を忘れてしまいそうになる。

それはさて置き、義仲勢は栗田勢と村山勢の負傷者を善光寺に移動させる為に立ち働いていた。その間中、葵は、馬に乗り、指示を出し、負傷した兵らを労い、見舞っている義仲だけを見ていた。葵自身は気付いていなかったが、優しく、そして夢見るような眼で。

「強いな。挙兵直後に房総半島に逃げた誰かさんとは大違いだ」
この戦さの一部始終を観ていた彼は、ようやく自分が探していた武将に巡り逢えたように感じていた。

「しかも女にモテそうだ。
 お。一首出来た。
 モテ無いが~女は好きな誰かさん~
 女にモテる義仲さまよ~か。あはははは」

彼は、独り言を言い、下手な歌を捻り出し、大笑いしながら錫杖を片手に立ち上がり、善光寺に向かい歩いて行った。
この旅の僧侶。名は信救という。


「平氏の戦い方が解ったような気がする」
義仲は言った。
義仲勢は市原の合戦の後、負傷者を栗田氏が別当を務める栗田寺に運び、救護に当たっていた。
それを兵達に任せ、義仲とその麾下の武将達は、焼け落ちた善光寺に隣接する建物に集まり、これからの事を協議していた。戦さに勝った祝勝のどんちゃん騒ぎなどせずに。

「平氏の戦い方、ですか。それは戦場での戦い方、と言う事ですか?」
今日の戦さで四軍の大将だった海野幸広が言う。

「いや。そうではない。都以外の場所での、平氏に対する叛乱が起きた時の、平氏の対応の仕方の事だ」
義仲が答えた。続けて、
「平氏は必ず、地方で叛乱が起きそうになったり、起きたりした時には、その地方在住の平氏の家人達に対応させる。
対応と言っても結局戦さになり武力で鎮圧する事だがな。
そしてこの戦さに在地の平氏の家人が勝っても敗けても、その後大軍を送り込んで来る」

「平氏の家人が敗けた場合は当然、平氏としては放って置けないので大軍を送るでしょう。しかし・・・なあ?」
七軍に配属されていた諏訪上社の千野光広が、横に居る同僚の武将にフった。
「ああ。千野の言う事は判る。勝ったらそれで鎮圧したという事で終わり、なんじゃないですか?」
言ったのは五軍大将、諏訪下社の手塚光盛。
「私もそう思いますが。それでも大軍を送って来る、と。どういう事ですか?義仲様」
と、訊いたのは七軍に配属されていた落合兼行[兼光、兼平の弟]である。

「それは一言で言えば残党狩りだ」
義仲が言う。
と、今度は六軍大将の小室光兼が、
「残党狩り。成る程、そういう事ですか。それで大軍を」

「そうだ。この大軍は寄せ集めの兵達で構成されているから、戦さでは一度不利になると脆いが、逆に勝ちに乗じて来た時は容赦が無く殺しまくる。
これで残党を完全に殲滅し、その地方からは二度と叛乱を起こす事が出来無いようにする。要するにトドメを刺す、と言う事だ。
おそらく平氏の遣り方はそういう事だろう」

義仲は一旦言葉を停め、皆を見回しつつ、
「である以上、在地の平氏の家人と戦った後は、勝とうが敗けようが必ず次は平氏の大軍と戦さをしなくてはならない、という事になる」


すると七軍大将の今井兼平が、
「確かに義仲様の言う通りでしょう。つい二十日程前に、伊豆[静岡県]で頼朝が挙兵した時も、先ず在地の平氏の家人達が応戦したと聞いています。しかし関東の平氏の家人達は強かったらしく、今現在、頼朝は房総半島[千葉県]に逃亡し、行方が分かりません。しかし、都では平氏が頼朝追討の大軍を関東に派遣する為に準備を進めているらしいです」

最新の情報を皆に報告した。
兼平の報告を受け、二軍大将の楯親忠が、
「それでは、次は我らに向かって都から平氏の大軍が攻めて来るんですね?」
義仲に訊いた。と、義仲はかぶりを振り、
「いつかは必ずそうなる。だが、都からの大軍が攻めて来るのは、もう少し先になるだろう。しかし次の戦さ、という事であればまだまだ在地の平氏の家人達が戦さを仕掛けて来ると思う。兼光」
と、話しを兼光にフった。

「はい。今回、我らは勝ったが、笠原頼直はまだ諦めてはいないだろう。そんなに諦めの良い奴じゃないからな。そして敗けて信濃[長野県]を追い出され、北へ逃げた平氏の家人の笠原が頼る先は一つしか無い」
三軍大将、樋口兼光が言うと、
それを受け、一軍大将、根井小弥太が言う。
「越後[新潟県]の城氏[後の越後国守、城太郎助長、城四郎長茂]って事か?笠原が頼るのは…。城氏の奴らなら万の単位で動員して来るぞ。兵の数をな」
渋い表情だが面白そうに小弥太が言った。


「おそらく小弥太の言う通りになるだろう。時期はまだ分からんが、間違い無く次の敵は越後からやって来ると思う。大軍を率いてな」

義仲が断言した。
場の空気が引き締まる。

「だからこちらもやれる事はやっておこうと思う。
 我らはこれから少しでも味方を増やさなければならない」
言った。と、その時、

「あっ!」

何かに気付いた様に、声をあげた者がいた。
三軍の本隊に配属していた、戦う美少女、巴御前である。
義仲をはじめ、ここに居る全員の武将が巴を見た。巴の表情が輝いている。と、

「解った!義仲様はこれから上野国[群馬県]に行くつもりなんじゃないです?」
巴が言うと、義仲は少し眼を見開き驚いたように、
「そうだ」
と答えると、
「成る程。上野に進出し、義賢様[義仲の父]の代に味方だった豪族達にも、我らの軍勢に加わってもらう、という事ですか」
と、海野幸広が言った。

「その通りだ。だが父の代の味方とは言え、どれだけの豪族が我らと一緒にやってくれるかは判らない。今現在はな」
義仲が答える。

するとここで兼平が、
「そこで、義仲様と皆に紹介したい者がいる。呼んで来てくれ」
と郎等に指示し、一人の僧侶を連れて来た。
背が高く、色白で、一見女性かと思う美貌の持ち主だが、左の額にただれたような跡がある。海野の姉様と目元が似ていてどこか雰囲気が重なる。そのせいか義仲はじめ武将たちは僧侶をいぶかしむ気持ちが起きなかった。

その僧侶はその場で一礼し、
「愚僧は信救と申します。義仲様に仕えたいと思い、参上いたしました」
と挨拶した。続けて、
「愚僧は、あの以仁王様の挙兵の時に大和[奈良県]の興福寺に居て、平氏に敵対していましたが、以仁王様が討たれた後は、平氏からお尋ね者扱いされましてね。都近辺に居られなくなったんですよ」
軽~く笑いながら事情を説明した。
それを聞き義仲は、
「何千人もの僧侶が居るなかで、何故、お前だけが平氏から恨まれるんだ?」
と訊くと、
「あの時、興福寺は園城寺と共闘してましてね。その時、愚僧が園城寺に手紙を書いたんですが、この手紙が後で平氏、と言うか清盛に見られちゃいましてね」
覚明が答える。
と、今度は小弥太が訊いた。
「何を書いたんだ?その手紙に」

「清盛は平氏のカス。武家の生ゴミ」

覚明が答えると、この場に居た全員が爆笑した。
その笑いが一段落したところで、義仲が、
「解った。ではこれからは私に仕えてくれ。
ところでお前は何が出来る?」
と、訊くと、
「愚僧は書く事なら何でも。
なので右筆[書記兼秘書]として仕えたいと思います」
信救が言った。
と、兼平が、
「先程の関東の情勢や頼朝挙兵の事を報せてくれたのも、この者です。私が受けた別の報告と同じ内容でしたので、信用する事にしました」
と、義仲に向かい言った。
義仲はそれを聞き、
「解った。では右筆として頼むぞ。」
「こちらこそ、よろしく頼みます。義仲様」

信救が頭を下げ、この協議に加わった。
そこで兼平が、
「今、この協議に加えたのは、彼が関東の情勢をつぶさに見て来たからだ。そこで上野の情勢を皆の前で報告してもらおうと思って呼んだ。
で、どうだ?信救」

「ああ。頼朝は挙兵する時にどうやら上野の豪族達にも参加を要請したが、今のところこれに応じた奴はいない。
今は上野国府を押さえている足利忠綱[秀郷流藤原氏]は平氏方で、源氏の新田義重[河内源氏]とニラみ合っている状況で、取り敢えず他の豪族達は様子見している現状だな」
と報告した。
すると楯親忠が、
「頼朝の挙兵に参加していないのは良いが・・・」
と言ったのを手塚光盛が受け、
「事態を静観しているとなると、我らに参加してくれるかどうか・・・」
懸念を言った。
すると巴が、明るく、何の心配もナイ、と言った感じで、

「大丈夫だよ。楯も光盛も心配性だなぁ。だって義賢様の本拠地は上野だったんだよ。絶対義仲様を待ってる人達が居るって」

巴が言うと、何となくそうなりそうな感じがする。
場の空気が少し軽くなる。と、
「俺、いや愚僧も、巴御前の言う通りだと思う」
「俺、でいいよ。
普段の話し方をした方がいいんじゃない?お互い。
私のコトも巴でいいわ。ね」
「そお?助かるよ。俺も一応坊主だからさ。少しは格好つけた方がいいと思って。
話しを元に戻すと、義仲様の味方になってくれる豪族は意外に多くなる、と俺は思っている」
すると義仲が、

「それは何故?」
問うた。

信救は、
「上野国府を押さえている足利忠綱がウラまれてますからね。平氏の力をバックにこれまで好き勝手やらかしてるんで、人望が全く無いんですよ。嫌われてるんです。そこに義仲様が行ったら、義賢様の代の時の味方と、今の反平氏の連中の両方を味方にする事が出来ると思います」
説明すると、軽くなった空気がさらに明るく前向きな方向へと向かう。

「成る程。やってみる価値はありそうだ。では、いつ上野に行った方が良い?」
と、兼光が信救に問う。
「今回の戦さで勝ってますからね、間を空けずすぐ行った方が味方は増えると思いますがね」

「その通りだ。お前は私と考え方が似ているな。私もすぐに上野に行った方が良い、と思っている。今回の戦さに勝った事で我が軍に勢いがついた。鉄は熱いうちに打て、と言うからな」
と、義仲が言うと、
「解りました。では行軍の計画をすぐに立てておきます。皆も、そのつもりでいてくれ」
兼平が言って、この夜の、義仲にとって初陣の勝利の夜の協議は終了した。

 ここに居る全員が、前向きな覚悟を決めていた。これからやってやる、という気で居るのである。そして今日の勝利の事よりも、明日からの行動の方に集中している。穏やかだが、最高の雰囲気の中で。