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義仲戦記

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第1期(本編) 2022年3月27日より、毎日20:30に更新!5月19日に完結しました。 第2期(外伝) 2022年8月14日より不定期更新しています。 源平盛衰記と玉葉をベ… もっと読む
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2022年5月の記事一覧

義仲戦記35「妹尾合戦」

義仲戦記35「妹尾合戦」

水を打った様な静けさ、とはこの場の事を云うのだろう。

誰もが息を呑んだまま、二の句を継げないでいた。

播磨国[兵庫県南西部]加古川西岸に義仲勢は本陣を構えていたが、その本陣内部は沈黙には支配されていた。この静寂は、凶報を受けた驚愕により齎されたものであった。

備中水島での搦手第一軍・第二軍の惨敗。
 
これは勝利する事に慣れていた義仲勢の諸将達にとって衝撃であり、また重く伸し掛かる事実でもあ

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義仲戦記36「帰還」

義仲戦記36「帰還」

「ちッ!逃したか・・・」

駆け去る瀬尾を冷たく一瞥した小弥太が、馬の足下に転がる瀬尾の着けていた兜に視線を落とすと、

「追撃に移る!第五軍はこのまま福輪寺に留まり後続の第三・第七軍本隊の義仲様の到着を待て!
第四・第六軍は敵の追撃に移行する!」

今井兼平の号令が掛かる。

「よっしゃあ!第四軍!俺に続け!
奴らはこの先の板倉川に防衛線を張るそうだ!行くぜ!」

命じた小弥太は先頭を切って敵を

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義仲戦記38「群像乱舞」

義仲戦記38「群像乱舞」

「今回の出陣にあたり遅参した者の名とその理由、それと姿を見せなかった者の名を書き留めておきました。頼朝様が後日、詮議なさる時にお使い下さいますよう」

頼朝の前に紙の束が差し出されている。
それを一瞥した頼朝は、

「和田義盛。御苦労であった」

一応、労いの言葉をかけた。
が、頼朝はこの時、不機嫌になっていた。
それは遅参した者や出陣しなかった者を書き留めた紙の束を見れば判るが、想定していたより

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義仲戦記39「密告」

義仲戦記39「密告」

「今頃は西海で平氏追討の戦いにその身を投じておると案じておったが、どうやら息災の様で何よりじゃ」

閏一〇月一六日。
つまり義仲勢が電撃的に京に帰還を遂げた翌日、早速義仲は後白河法皇からの呼び出しを受け、法住寺御所・殿上の間に昇殿していた。

公卿らが並んで着座している中、義仲も着座し、手をつき深々と一礼すると、いきなり御簾の内から声が掛かったのである。
と、公卿らが一斉に緊張したのが義仲に感じ取

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義仲戦記40「緊迫の三日間」

義仲戦記40「緊迫の三日間」

「義仲様がお倒れになられた事は、この場に居る者達以外には絶対に漏らしてはならん。各自の郎等らにも、だ。良いな」

義仲麾下の武将達にとって眠れない夜が明けた十一月七日の早朝、四天王筆頭樋口兼光は昨夜この場に集まっていた者達を前にして口火を切った。

「でなければ京の政局に多大な影響を与えてしまう事となってしまう。
ただでさえ噂や風聞を真に受け付和雷同してしまう貴族らが、この事を知ったとすれば一体

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義仲戦記41「室山合戦」

義仲戦記41「室山合戦」

(おいおい。スゲェな!こりゃイける!さすがワシじゃ!
やはり法皇陛下より御指名されたワシは天下の追討大将軍サマじゃ!
そこら辺に転がっている有象無象の木っ端武士どもとはワケが違うワイ!
この戦さ、もはや勝ったも同然じゃ!)

「ぅわははははは!」

新宮十郎備前守行家は疾駆する馬の上で一人、興奮を抑え切れないでいた。いや、最後の方は笑い声さえ上げていたのであった。
主に自分自身を褒めて上げるコトで

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義仲戦記43「決壊前夜」

義仲戦記43「決壊前夜」

「では法皇陛下。私は失礼して八条殿へと戻らせて頂きます」

京が不安に慄いている十一月一七日の夜の事。法住寺御所南殿に参集しているお歴々の中で、八条女院[後白河法皇の妹]がそう切り出すと、それまで騒々しかった広間が水を打った様な静寂の場へと変化した。

「ほう。八条院よ、戻ると申すか」

義仲に対し最後通牒を叩き付け、取り巻きの近臣らや、呼び集めた延暦寺座主、園城寺長吏といった有力寺院の責任者、公

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義仲戦記44「乱麻を断つ 法住寺合戦」

義仲戦記44「乱麻を断つ 法住寺合戦」

その男は全ての者を唖然とさせていた。

義仲勢もそうだったが、法住寺御所に集められている約一万二〇〇〇名の者らも同様にその男を眺めていたのである。

寿永二年十一月一九日、早朝。
この日は一幕の喜劇と共に明けたのであった。

夜が明ける前に第二軍を防衛の為に残し、六条西洞院の邸を出陣した義仲勢七〇〇〇騎は、義仲の指示の許、各軍はそれぞれの道程を経て法住寺御所に至ると、その法住寺殿西の門の築地の上に

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義仲戦記45「鎌倉の胎動」

義仲戦記45「鎌倉の胎動」

後白河法皇による乱は、法皇方に多くの死者を出した。
法皇の親族や近臣、貴族、高僧を始め悪僧ら、それと武士らがその犠牲者となったのである。

乱の翌日、十一月二〇日。
五条河原に法皇方として戦い、命を落とした者らの首級が晒される事となった。
その数およそ一〇〇名以上。
その中には比叡山延暦寺天台座主明雲大僧正、園城寺長吏円恵法親王らこの度の乱で主導的な役割を果たした高僧を始め、近江中将高階為清、越前

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義仲戦記46「予期せぬ障碍」

義仲戦記46「予期せぬ障碍」

「何だと!それは本当か!」

「はい!間違いありません!
解官された者の詳細はこれに!」

朝廷の役人が書類を差し出す。
右大臣九条兼実は引っ手繰る様にして書類を掴み取ると、彼らしく無い荒々しい手つきで紙を一気に広げるや、瞬きする事を忘れた様に見開かれた眼で読み進んで行く。

そこにはこの日、官職を解任された者らの名が列記されていた。

中納言藤原朝方を筆頭に、参議右京大夫藤原基家、太宰大弐実清、

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義仲戦記47「迫りくる厄災①」

義仲戦記47「迫りくる厄災①」

「御所に対して火矢を放ち、これを焼失させたとは天をも畏れぬ所行であろう。その上、高僧、いや貴僧を喪った事は仏法に対しても弓を引いた事になる。大変に怪しからぬ事だ」

宮内判官公朝と藤内左衛門時成は鎌倉に到着した早々、法住寺御所での一件を口頭で報告した時、頼朝は落ち着き払ってそう答えた。

既に配下の中原親能から詳細な報告の書状により、法住寺御所の件に付いては承知していた頼朝だったが、今、初めて耳に

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義仲戦記48「迫りくる厄災②」

義仲戦記48「迫りくる厄災②」

「敵の城門が開かれました!おそらく撃って出て来るものと思われます!」

「籠城する利を自ら捨てるとは・・・何を考えているのか、奴らは・・・」

家人の報告に呆れた様に呟く本三位中将平重衡は、能登守教経に眼をやると、教経はニヤリと口元を歪めて答える。

「自棄になった訳でも無かろうよ。重衡どのの援軍が到着した事で、更なる援軍が来る前に一暴れした後でここを引き退くつもりであろう」

「しかし忠度どのの

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義仲戦記49「運命の日・序」

義仲戦記49「運命の日・序」

対岸に立ち昇る煙りは徐々にその勢いを増し、次々に隣り合う家々にその炎による災いが燃え拡がって行く。
義仲勢宇治方面軍搦手総大将根井小弥太行忠は茫然と見上げている。

「ココまでヤんのか・・・関東勢の大将軍は・・・」

知らず知らずのうちに呟いていた。
ふと焔が燃え移っていた家屋の中から全身炎に包まれた人が転げ出て来た。
それも続々と。

驚愕に見開かれていた眼を更に凝らし、対岸を注意深く見

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義仲戦記50「運命の日 破」

義仲戦記50「運命の日 破」

“一月十八日。

行家討伐軍。
河内長野石川城を陥落させ石川判官代蔵人家光を討ち取る。
が、新宮行家の逃亡を宥し、現在、紀伊國名草へ向け追撃中。軍勢一〇〇〇騎は無事。”

“本日二十日。

宇治方面軍壊滅。
第二軍大将長瀬判官代義員・第三軍大将楯親忠・第四軍大将及び搦手総大将根井小弥太行忠討死。

関東勢搦手二万五〇〇〇騎は宇治川を渡河し現在、京に向け北進中。既に木幡・伏見まで侵攻。”

“本日二

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