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義仲戦記

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第1期(本編) 2022年3月27日より、毎日20:30に更新!5月19日に完結しました。 第2期(外伝) 2022年8月14日より不定期更新しています。 源平盛衰記と玉葉をベ…
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#木曽義仲

義仲戦記1「市原合戦」1180年9月

義仲戦記1「市原合戦」1180年9月

彼は自分に課していた。

決して自分からは攻めない事を。
そしてそれが楽な道では無い事も知っていた。

後手に回る事の不利を。

しかし知力を働かせ、準備を怠らなければ、主導権を取れる事も知っていた。だから彼の戦いは常に受け身であった。可能な限り戦さを避けたかったのである。
彼はそれが、正しい、と思ってやっていた訳ではない。彼はそうする事を選んだ。

だが、選んだ、と言うよりも彼はそうしたかったの

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義仲戦記2「横田河原合戦」1181年6月

義仲戦記2「横田河原合戦」1181年6月

 美しい夜であった。空は澄み渡り、一片の雲も無く、全天に星が瞬いている。冬の冴えた空気を吸い込みながら彼は、星を観ていた。一晩中、空を見上げて今夜でもう四日目になるが、彼は飽かずに星を観ている。

 それは五日前の事。驚くべき報せがもたらされた。都で平家の総帥平清盛が、今月の二月四日、遂に亡くなったというのである。この清盛死去の報が入った日から、彼大夫坊覚明は依田城のある小高い山の上から、夜に星を

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義仲戦記3「北陸へ…」1181年6月

義仲戦記3「北陸へ…」1181年6月

 何度でも言う。勝った。と言うか大勝利であった。
しかもこの合戦での勝利は、ただ単に戦さに勝った、という事実以上の意味があったのである。
 この横田河原の合戦での義仲勢大勝利、という現実のインパクトは日本全体を揺るがした。特に北陸諸国、越後[新潟県]はもとより、越中[富山県]、能登[石川県]、加賀[石川県]、越前[福井県]の五カ国において、その影響は甚大であった。

 それまでこの国[日本]での、

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義仲戦記5「燧ケ城築城」1181年X月

義仲戦記5「燧ケ城築城」1181年X月

「稲津どのーーーっ!」

呼ばれて顔を上げた稲津新介実澄[越前の中心的存在の武将]は、川の下流の方から馬を駆けさせて来る武将に向かい、手を挙げて応えた。

「藤島どの!下流の堰の方はどうでしたか?」

「大丈夫だ!順調に水が溜まっている!」

藤島右衛門尉助延[越前の武将]は新介の横に馬を付けながら笑顔で答えた。

「完成したのですね!」
新介も笑顔で言うと、

「そうだ!遂に出来たんだ!我らの城

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義仲戦記6「頼朝信濃侵攻」1183年3月

義仲戦記6「頼朝信濃侵攻」1183年3月

↑ テーマソング「夜明けの将軍」

「それはいけません!義仲様」

一歩も退かない気持ちで今井四郎兼平が言った。

「兼平の申す通りです。殿。
これは我らにとって好機なのです。頼朝とはいつか必ず雌雄を決する時が来たでしょう。それが少し早まっただけの事です。迷う事はありません」

大夫坊覚明も強い口調で言う。

「第一、義仲様は敵の頼朝勢を信濃[長野県]の奥深くに誘い込む為に、ここ熊坂山[長野、新潟

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行家ものがたり⁉② 1181年3月

(遂に時代の主人公であるワシが出陣する時が来たようじゃ!)

彼は盛り上がっているのを通り越して、一人でイっちゃっている。
まぁ無理も無い。
彼にとってはおよそ二十一年ぶりの出陣なのであった。

彼はこの一年、とても忙しく活動していた。それまでの約二十年間、ほとんど何もしていなかったのと対象的に。だが、この一年忙しかったのは別に彼だけでは無かった。

■ 「義仲戦記」「義仲ものがたり」とは独立で読

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義仲戦記7「義高の覚悟」1183年3月

義仲戦記7「義高の覚悟」1183年3月

↑ テーマソングはこちら

二人は陣幕を潜り、本陣を出た。自分達の宿所に戻る為である。
本陣から少し離れた処まで来た時、そこに少年が一人、松明の灯りの横で二人を待っていた。
二人が近付くと、その少年は土下座し、

「僕!いや!私も、
連れて行って下さい!鎌倉へ・・・
義高さまと一緒に!
お願いします!義仲様!」

いきなり言われて二人は驚き、顔を見合わせた。この二人の親子は、義仲とその嫡子義高であ

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義仲戦記8「燧ケ城合戦」1183年4月

義仲戦記8「燧ケ城合戦」1183年4月

「嘘だろ・・・
 そんな筈が・・・何故?・・」

誰かが呟いた。

稲津新介実澄、斎藤太
[越前の武将]
林六郎光明、富樫入道仏誓
[加賀の武将]
宮崎長康、石黒光弘[越中の武将]
仁科次郎盛家、落合五郎兼行
[信濃の武将]
ら北陸と信濃の武将達は
今、目の前で起きている事が理解出来無かった。茫然としていたのである。

だが、これは戦さなのだ。
何もしないで放心している暇など無い。しかし彼等は、そ

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義仲戦記10「安宅合戦②」1183年5月

義仲戦記10「安宅合戦②」1183年5月

矢を射た後、素速く次の矢を箙[えびら。矢を収める道具]から抜き取りながら、周りを見回した時、味方の武将が敵の矢に射られたのが見えた。

「!」

思わず目を見開き、

「宮崎どの!」

稲津新介実澄[越前の武将]は悲鳴に近い声をあげた。
宮崎長康[越中の武将]が落馬したのだ。
敵の集中攻撃を受けて。
稲津新介は、急ぎ宮崎の許へ馬を近付け、馬を降り、宮崎のところへ駆け寄ると、

「私に構うな・・・新

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義仲戦記11「北陸義仲出陣」1183年5月

義仲戦記11「北陸義仲出陣」1183年5月

「義仲。いよいよ出陣するのか」

宮様[北陸宮。以仁王の御子]が、静かに尋ねた。

「はい。征って参ります」
源義仲も静かに、そして穏やかに答えた。
和やかな雰囲気の中で。

しかし、義仲が纏っているのは緋色の匂い威の大鎧[鎧の上の段に行く程、色が濃くなるデザイン。明るい赤から濃い深紅のグラデーション]。
戦備えの格好である。
だが、出陣前の張り詰めた緊張感、などはどこにも無かった。

ここは越後

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義仲戦記12「般若野の戦い」1183年5月

義仲戦記12「般若野の戦い」1183年5月

「そろそろ義仲が自ら本隊を率い出て来るだろう。
だが義仲勢はおそらく全軍で四、五万騎の筈だ。
我ら平氏方の十万騎の約半分、というところだな」

平氏方追討軍の大将軍平忠度が言った。

↑ ラップで義仲の生涯がわかる!
アニメと歌で義仲戦記の現在地もばっちり!

加賀国[石川県]金沢の犀川の河畔。
平氏方追討軍十万騎の軍勢は、燧ケ城の戦いに始まる半月に及ぶ北陸勢との戦いにおいて、連戦連勝。しかも、そ

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義仲戦記13「倶利伽羅合戦①」1183年6月

義仲戦記13「倶利伽羅合戦①」1183年6月

「敵の義仲勢は戦意が高く勇猛でしたが、やはり我らより兵の数が少ないと思われます。
敵方の先頭部隊は、我らを全滅するつもりで追撃を掛けて来ました。これは少しでも兵力差を縮め、我ら平氏方の兵を減らそうとする行為に間違い無いと思われるためです。」

越中前司平盛俊[平氏の家人]が、そう報告すると、

「ふむ。忠度どの[清盛の末の弟]の予測していた通り、やはり義仲勢は全軍で四、五万騎、と言うところだろうな

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義仲戦記14「倶利伽羅合戦②」1183年6月

義仲戦記14「倶利伽羅合戦②」1183年6月

「敵義仲勢の先頭部隊を発見しました!
この先の羽丹生に白い旗が!
おそらく陣を構えているものと思われます!」

郎等の報告を受けた平氏方追討軍大手の総大将平維盛が、馬上から進行方向に目をやると、確かにこれから向かいつつある方向に源氏を示す白い旗が三十本程立っていて、風に翻っているのが見えた。

「義仲勢も砥波山系に入って来たいたのか」

呟く様に総大将維盛が言うと、

「敵義仲勢の先頭部隊の後方や

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義仲戦記15「倶利伽羅合戦③」

義仲戦記15「倶利伽羅合戦③」

「はっ?・・・えっ?」

「いや・・あの・・もう一度、言って下さい」

石黒光弘と宮崎長康が訊き返した。

石黒などは耳に手を当てて義仲の言葉を聴き逃すまい、としている。
そんな二人を面白そうに見ていた義仲が、先程と同じ言葉を繰り返した。

「精強な兵を十五騎集めてくれ」

と。

「・・・・・」
「・・たった・・十五騎で・・一体、何を・・」

石黒が絶句し、宮崎が辛うじて訊き返した時、

「義仲

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