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義仲戦記

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第1期(本編) 2022年3月27日より、毎日20:30に更新!5月19日に完結しました。 第2期(外伝) 2022年8月14日より不定期更新しています。 源平盛衰記と玉葉をベ…
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#平安末期

義仲戦記1「市原合戦」1180年9月

義仲戦記1「市原合戦」1180年9月

彼は自分に課していた。

決して自分からは攻めない事を。
そしてそれが楽な道では無い事も知っていた。

後手に回る事の不利を。

しかし知力を働かせ、準備を怠らなければ、主導権を取れる事も知っていた。だから彼の戦いは常に受け身であった。可能な限り戦さを避けたかったのである。
彼はそれが、正しい、と思ってやっていた訳ではない。彼はそうする事を選んだ。

だが、選んだ、と言うよりも彼はそうしたかったの

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行家ものがたり⁉② 1181年3月

(遂に時代の主人公であるワシが出陣する時が来たようじゃ!)

彼は盛り上がっているのを通り越して、一人でイっちゃっている。
まぁ無理も無い。
彼にとってはおよそ二十一年ぶりの出陣なのであった。

彼はこの一年、とても忙しく活動していた。それまでの約二十年間、ほとんど何もしていなかったのと対象的に。だが、この一年忙しかったのは別に彼だけでは無かった。

■ 「義仲戦記」「義仲ものがたり」とは独立で読

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義仲戦記29「京中守護」

義仲戦記29「京中守護」

「この度、院[後白河法皇]より京中守護を命じられた。
私はその任に当たる人選を一任され、既にこれを選定し、院の裁可を得た」

義仲は、宿所として指定された六条西洞院の邸宅にある広い庭に居並ぶ武将達を見渡しながら告げた。

武将達の顔には、いよいよ京での仕事が始まるに当たり、晴れやかで誇らしげな表情が満ちている。

「これより名前を告げられた者らは、各々の郎等を率い、京中の警戒、狼藉者[犯罪者]の捕

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義仲戦記32「平家追討」

義仲戦記32「平家追討」

「平氏が京を捨て、入れ替わって入って来た源氏らに、私が最初に命じた事が蔑ろにされておるのは気に入らん」

寿永二年九月一五日。この日、御所殿上の間では朝廷の公卿らが集まり、後白河法皇御臨席のもと、会議が開かれていた。が、その冒頭、左右大臣の挨拶もそこそこに、御簾の内側から法皇の不満の御心の表明がなされた。

いきなりの法皇の発言に、この場に集っている参議の公卿らは一瞬面食らっていたが、こうした事に

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義仲戦記35「妹尾合戦」

義仲戦記35「妹尾合戦」

水を打った様な静けさ、とはこの場の事を云うのだろう。

誰もが息を呑んだまま、二の句を継げないでいた。

播磨国[兵庫県南西部]加古川西岸に義仲勢は本陣を構えていたが、その本陣内部は沈黙には支配されていた。この静寂は、凶報を受けた驚愕により齎されたものであった。

備中水島での搦手第一軍・第二軍の惨敗。
 
これは勝利する事に慣れていた義仲勢の諸将達にとって衝撃であり、また重く伸し掛かる事実でもあ

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義仲戦記36「帰還」

義仲戦記36「帰還」

「ちッ!逃したか・・・」

駆け去る瀬尾を冷たく一瞥した小弥太が、馬の足下に転がる瀬尾の着けていた兜に視線を落とすと、

「追撃に移る!第五軍はこのまま福輪寺に留まり後続の第三・第七軍本隊の義仲様の到着を待て!
第四・第六軍は敵の追撃に移行する!」

今井兼平の号令が掛かる。

「よっしゃあ!第四軍!俺に続け!
奴らはこの先の板倉川に防衛線を張るそうだ!行くぜ!」

命じた小弥太は先頭を切って敵を

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義仲戦記38「群像乱舞」

義仲戦記38「群像乱舞」

「今回の出陣にあたり遅参した者の名とその理由、それと姿を見せなかった者の名を書き留めておきました。頼朝様が後日、詮議なさる時にお使い下さいますよう」

頼朝の前に紙の束が差し出されている。
それを一瞥した頼朝は、

「和田義盛。御苦労であった」

一応、労いの言葉をかけた。
が、頼朝はこの時、不機嫌になっていた。
それは遅参した者や出陣しなかった者を書き留めた紙の束を見れば判るが、想定していたより

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義仲戦記39「密告」

義仲戦記39「密告」

「今頃は西海で平氏追討の戦いにその身を投じておると案じておったが、どうやら息災の様で何よりじゃ」

閏一〇月一六日。
つまり義仲勢が電撃的に京に帰還を遂げた翌日、早速義仲は後白河法皇からの呼び出しを受け、法住寺御所・殿上の間に昇殿していた。

公卿らが並んで着座している中、義仲も着座し、手をつき深々と一礼すると、いきなり御簾の内から声が掛かったのである。
と、公卿らが一斉に緊張したのが義仲に感じ取

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義仲戦記40「緊迫の三日間」

義仲戦記40「緊迫の三日間」

「義仲様がお倒れになられた事は、この場に居る者達以外には絶対に漏らしてはならん。各自の郎等らにも、だ。良いな」

義仲麾下の武将達にとって眠れない夜が明けた十一月七日の早朝、四天王筆頭樋口兼光は昨夜この場に集まっていた者達を前にして口火を切った。

「でなければ京の政局に多大な影響を与えてしまう事となってしまう。
ただでさえ噂や風聞を真に受け付和雷同してしまう貴族らが、この事を知ったとすれば一体

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義仲戦記41「室山合戦」

義仲戦記41「室山合戦」

(おいおい。スゲェな!こりゃイける!さすがワシじゃ!
やはり法皇陛下より御指名されたワシは天下の追討大将軍サマじゃ!
そこら辺に転がっている有象無象の木っ端武士どもとはワケが違うワイ!
この戦さ、もはや勝ったも同然じゃ!)

「ぅわははははは!」

新宮十郎備前守行家は疾駆する馬の上で一人、興奮を抑え切れないでいた。いや、最後の方は笑い声さえ上げていたのであった。
主に自分自身を褒めて上げるコトで

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義仲戦記43「決壊前夜」

義仲戦記43「決壊前夜」

「では法皇陛下。私は失礼して八条殿へと戻らせて頂きます」

京が不安に慄いている十一月一七日の夜の事。法住寺御所南殿に参集しているお歴々の中で、八条女院[後白河法皇の妹]がそう切り出すと、それまで騒々しかった広間が水を打った様な静寂の場へと変化した。

「ほう。八条院よ、戻ると申すか」

義仲に対し最後通牒を叩き付け、取り巻きの近臣らや、呼び集めた延暦寺座主、園城寺長吏といった有力寺院の責任者、公

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義仲戦記44「乱麻を断つ 法住寺合戦」

義仲戦記44「乱麻を断つ 法住寺合戦」

その男は全ての者を唖然とさせていた。

義仲勢もそうだったが、法住寺御所に集められている約一万二〇〇〇名の者らも同様にその男を眺めていたのである。

寿永二年十一月一九日、早朝。
この日は一幕の喜劇と共に明けたのであった。

夜が明ける前に第二軍を防衛の為に残し、六条西洞院の邸を出陣した義仲勢七〇〇〇騎は、義仲の指示の許、各軍はそれぞれの道程を経て法住寺御所に至ると、その法住寺殿西の門の築地の上に

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義仲戦記45「鎌倉の胎動」

義仲戦記45「鎌倉の胎動」

後白河法皇による乱は、法皇方に多くの死者を出した。
法皇の親族や近臣、貴族、高僧を始め悪僧ら、それと武士らがその犠牲者となったのである。

乱の翌日、十一月二〇日。
五条河原に法皇方として戦い、命を落とした者らの首級が晒される事となった。
その数およそ一〇〇名以上。
その中には比叡山延暦寺天台座主明雲大僧正、園城寺長吏円恵法親王らこの度の乱で主導的な役割を果たした高僧を始め、近江中将高階為清、越前

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義仲戦記46「予期せぬ障碍」

義仲戦記46「予期せぬ障碍」

「何だと!それは本当か!」

「はい!間違いありません!
解官された者の詳細はこれに!」

朝廷の役人が書類を差し出す。
右大臣九条兼実は引っ手繰る様にして書類を掴み取ると、彼らしく無い荒々しい手つきで紙を一気に広げるや、瞬きする事を忘れた様に見開かれた眼で読み進んで行く。

そこにはこの日、官職を解任された者らの名が列記されていた。

中納言藤原朝方を筆頭に、参議右京大夫藤原基家、太宰大弐実清、

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